―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期④

―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期④
海協連がお膳立てした「海外移住問題座談会」を報じる海協連の機関誌「海外移住」(1954年12月20日号)

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史

崇高な理想掲げたが
わずか10校での船出

◆海協連がお膳立てし戦前と違う移住目的

 1954年12月に行われた「海外移住問題座談会」は、海協連主催だった。この座談会の司会を行った鳥谷寅雄は海協連の専務理事という要職に在り、拓殖大学で国際移住論を教えていた講師でもあった。鳥谷にしてみれば、文部大臣が大学での移住啓蒙に対して積極的な姿勢を国会で答弁したことから、大学生の組織化を考えたに違いない。

 座談会では、やはり海協連理事の海本徹雄も出席していた。海本は、「先ごろ神戸のあっせん所で移住世論調査を行い移住の動機を聞いた際『民族発展のため移住する』と答えた人があったが、こうした考えは間違っている。日本人として自信を持つのはよいが、中南米に行って狭い民族意識を発揮したのでは逆効果である」と戦前の移住者の意識を指摘した。

 この発言を受け、鳥谷は「戦前の満州移民は日本の国力を移植するのがネライであった。日本の国力を移民によって伸張するという考え方ではいけない。移住することにより結果的に経済的発展があり日本人の勢力が増大することはあろうが、それはあくまでも自然の結果であって意識的に民族発展、国力伸張をめざしたものではない。この点をハッキリ区別しないと誤解を生ずると思う」と結論付けている。

 鳥谷は戦争中、岸信介の部下として満州に駐在していただけに、満州移民と同じ轍を踏まない移住を考えていた。

 このように、座談会とはいうものの海協連が主導権を握り、これからの移住の方向性を学生たちに植え付けようとする方向性がはっきり浮かび上がっていた。

◆設立発起人会でも海協連主導で実施

 この座談会から1か月後の55年1月22日、第2回目の会議が海協連会議室で行われた。会議は「日本学生海外移住連盟設立発起人会」と銘打って行われ、海協連からは理事長代理の坂本龍起、専務理事の鳥谷寅雄、学生は、麻布獣医科大、上智大、日大、拓大、東京農大、教育大(現筑波大)が参加した。

 席上、鳥谷が議長を務め理事長代理の坂本が海外移住に対する学生としての心構え、研究態度についての示唆を行った。

 学生は、この講話をもとに学移連の目的、事業などについて討論し、組織の骨子が出来上がった。

 この時、設立趣意書がまとめられた。

 設立趣意書は次の通り。――「日本の海外への発展とその維持とは単に国内問題として取り扱われるべきではなく、国際視野のもとに世界人類、特に次の世代を担う学生の連繋協力によって解決しなければならない。

 それは民族の国際的交流、移動が世界各国に対し直接、間接多くの影響を及ぼし、又世界各国の人口支持力並びに生活程度の消長がその国の政治経済を動かして国際関係に多大の影響を及ぼすからである。

 従って、今後に於ける海外発展の正しい解決は各国民、特に学生間に於ける相互の諒睦、そして之に伴う知的交流文化の配分等につき、協力一致するとき初めて見い出される。

 新しい日本建設に当たり我々は斯くの如き視野に立ちつつ海外問題の研究とその解決とに努力し、且つ国際友愛精神による国際的寄与への第一歩を強く踏み出さんと欲するものであります。

 自然には国境がなく、人類の間に本来何等の確執もあるべき筈はない。否全人類総てが相携えその生活の向上と文化の建設とに努力すべき責務を有するのであります。

 然るに海外移住に関する研究と推進とに関し、次の世代を背負う若き学生間に於いて、従来その全国的提携、協力が極めて欠ける点の多かったことに鑑み、茲に各大学有志の賛成を得て世界平和を祈念しつつ、日本学生海外移住連盟を設立せんとするものであります」――。

 崇高な理想を掲げてのスタートだったが、これまでの経緯を見る限り、移住に関心を持つ学生が率先して組織作りに邁進したというより、海協連主導で戦後の移住を定義付け、リーダーとなる学生を育てるための長期的な教育活動の一環として作り上げたとみるべきではなかったかと思わざるを得ない。

 続いて4月22日には衆議院議員会館で設立大会が開かれ、6月11日に設立総会兼ブラジルからの留学生野上昭三氏との懇談会が衆議院第二議員会館が開かれ、正式に発足した。

 加盟校は、拓殖大、東京農大、神戸大、中央大、上智大、神奈川大、日本大、早稲田大、麻布獣医科大、天理大、(学移連30周年記念誌)わずか10校だった。

 続いて6月25日、第2回連盟委員会、7月16日、第3回連盟委員会と頻繁に会議を行い、内部固めをおこなった。

 そして、7月15日には拓大移住研の市川益男が移民監督助手として神戸港を出発し、10月1日には農林省に於いて映画会を開催し、ブラジル、ボリビアの映画を上映、10月22日には農林省で第4回連盟委員会と同時に映画と講演会を実施した。この時の講師は民族研究家の山内盛彬、移民研究家の坂本氏、映画は「移民と共に」(天理大学提供)と「アルゼンチンの将来」の二本立てだった。

 設立当時、積極果敢に事業を展開したことが分かる。(続く、敬称略、鈴)

     ◎
 題字の「日本学生海外移住連盟」の文字は第2代顧問会会長・後藤連一氏(日本大学教授)が揮ごうしたもので、長年学移連事務所に掲げられていた表札。

2018年4月7日付け

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