―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑤

―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑤
6月11日に国会議員会館会議室で開かれた設立総会後の記念写真。後列中央が高橋初代委員長(高橋氏の未亡人高橋和子さんから借用)

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史

連盟誕生前夜から誕生まで 第1期委員長 高橋順治郎

 昭和29年(1954年)の早い時期と記憶しているが、拓大で国際移住論を講義していた鳥谷寅雄講師(日本海外協会連合会【略称海協連】専務理事)から、全国の大学には海外で活躍したい希望を持つ学生が多くいると聞く、国際移住論を勉強した君たちが全国の諸大学に声をかけ、海外移住に関する研究や活動ができる組織を作ってはどうか、その時は物心両面で応援できるだろうとの提案があり、その推進役に指名された。

 ところが、今みたいに便利な時代ではなく、研究会のありそうな大学を調べるだけでも田舎出の私には大変なことで、海協連の広報新聞「海外移住」を編集していた堀切秀夫主事に挨拶の基本、説明の仕方、県海外協会の協力を得る方法等々懇切に指導していただいた。

 大学名、住所、研究会名などが判明したので、設立趣意書を作って各大学へ送り反応を待った。発信後2~3ヶ月で数多くの反応があったので、昭和29年12月8日衆議院第二会館会議室において都下の各大学のうち移住問題研究グループのある大学及び団体の代表を招いて海協連主催で座談会を開催した。題は「海外移住問題などをどう考えているか」で、海協連理事海本徹雄、鳥谷寅雄、主事堀切秀夫、東京農大3名、拓大5名、上智大3名、教育大(現筑波大)1名、日大国際研究所2名、都青連2名(都の後援団体)が参加。内容は海外移住の現状と政策の説明があり、学生側から単身雇用の農・工業技術者の送出、対中南米実習制度実施、海外事情の情報提供、講師のあっせんなどの要望があった。

◆一、連盟誕生

 各大学からの参加希望が出てきたので、昭和30年1月22日芝公園四号地の海協連会議室において(仮称)日本学生海外移住連盟設立発起人会を開催し、世話人や規約(案)事業計画(案)などが検討された。当日の出席者は海協連理事長代理坂本龍起、理事鳥谷寅雄、主事掘切秀夫、拓大、東京農大、日大国際研究所、教育大(現筑波大)、上智大、麻布獣医科大、中央大、神戸大などであった。その後世話人による3回ほどの準備会を経て、6月25日衆議院第二議員会館における設立総会で「学移連」が正式に誕生した。

◆二、指導と応援をいただいた思い出

 「学移連」は50数年前多くの方々から物心両面にわたる暖かいご指導と応援、全国の国際派学生が青春を燃やして誕生したものである。

 物心両面にわたり応援していただいた海協連、特に鳥谷寅雄専務理事、海外事情の情報や資料を提供してくれた外務省移住課の方々、中南米11ヶ国を視察し多忙のなか講演をいただいた今村忠助代議士(日大OB今村兄弟の父上)、会場確保でお世話になった楠美省吾、田原春次両代議士、「人口問題、貿易摩擦問題」などの講話を聞いた舘稔人口問題研究所長、「大学は出だけれど、鍋底景気」などの話と連盟活動に応援をいただいた経団連花村仁八郎専務理事等々のご指導ぶりや、現地事情や情報を提供された留学生、設立総会に神戸から自転車で駆けつけてくれた足達剛也氏(神戸大・在ブラジル)を今でもはっきりと記憶している。

 電気もない、ラジオもない東北の寒村から上京した私にとって話すことは苦手で、学移連の立ち上げを指名された時は辞退しようと考え、同郷の高階順次教育大教授(現筑波大)に相談したところ、訛は海外で活動する時の原産地証明と考え、物事に誠意を持って当たれば通じると諭されてどうにか活動することができました。温かく情熱を持ってご指導いただいた杉野、後藤両教授にあらためてお礼を申しあげるととともに、国際派学生として青春を燃やし、今もなお恩師を慕う連盟OBたちに乾杯。

 (この原稿は、学移連OB会設立準備会が2011年5月に出版した「我が青春の学移連」第二号に掲載されたものを転載したものです)。

     ◎

◆高橋 順治郎

 秋田県出身、拓殖大学海外移住研究部に所属していた55年、初代委員長に就任。同大卒業後、海協連(現国際協力機構)に就職、移住業務に携わった。2016年5月17日、永眠。

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 題字の「日本学生海外移住連盟」の文字は第2代顧問会会長・後藤連一氏(日本大学教授)が揮ごうしたもので、長年学移連事務所に掲げられていた表札。

2018年4月12日付け

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