―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑨

学移連に資金的援助などを報じた海協連の機関紙「海外移住」の1956年6月1日号(黒枠の部分)
学移連に資金的援助などを報じた海協連の機関紙「海外移住」の1956年6月1日号(黒枠の部分)

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史

移住予算獲得に貢献した海協連からの委託事業

 すでに、書いたように学移連は、国会の答弁で文部大臣の大達茂雄が大学生の移住推進を示唆したことを受け、海協連が大学生を組織化したことが発端になっている。移住や海外の地域研究を目指していた大学生が自然発生的に組織を立ち上げたというより、国が意図的に学生を纏め、移住推進の旗振り役をさせたとみていいだろう。

 お膳立てをした海協連は学移連を作り上げたものの当初、補助金をつけたわけではないため、学生は独自の資金がなく、活動そのものはサークル内での研究発表が中心で対外的な活動といえば、「遊説」と称して地方の高校などに出向き、講演などでお茶を濁さざるを得なかった。

 当時巷では「もはや戦後は終わった」といわれ、神武景気(1955年~56年)の真っただ中。とはいっても、学生には縁のない時代だった。

 設立から1年ほどたった56年4月、海協連は「日本学生海外移住連盟助成要綱」を作成し、助成を始めることを決めた。海協連の方針は「同連盟の活動を強化するため、予算措置により資金的援助をなすと共に、その事業に対し、当会の機能をあげて積極的便益を供する」とある。

 その概略は次の通り。

 ◎連盟の地方ブロックと関係地区地方海協都の協力促進◎移住問題及び一般海外情勢研究に対する援助◎講演会、研究報告会に対する当会及びその他より講師の派遣◎映画界に対するフィルム、映写機の貸与◎同連盟の希望により各種行事に対する当会共催あるいは当会後援の形式供与◎同連盟員の輸送助監督としての派遣。

 また、「当会事務所へ連絡員の当番を常駐させ、諸連絡、資料の蒐集に当たらせる。必要に応じ、連合会業務一端に参加する(例えば翻訳、調査送出事務等)」とあり、取り方によっては海協連学生事業部のような位置付けともいえる。

 資金不足に悩む学移連、各大学サークルにとっては大ニュースだったに違いない。その最初の予算が「国内開拓と海外移住」の調査だった。56年4月に10万円の予算が付いた。だが、実際に調査を開始したのは翌年8月だった。

 57年当時は神武景気から一転し「なべ底不況」だった。世の中は、南極に日の丸がひるがえり、東海村に原子の火がともった。そして、不況とはいえ、日本人が想像もしなかった経済大国へと疾走を始めた年でもあった。学移連にとっても想像もできなかった資金が流れ込んできたのだ。

 海協連は、学生1人の日当を300円。1か月に換算すると1人9万円を支給した。当時の国家公務員の月給が1か月9200円の時代だった(現在は20万7900円)。しかも、庶務費用として連盟本部に1万円(現在に換算すると20数万円)を支給した。大盤振る舞いといっていい。

 前回、第2期委員長の堀口進一が触れた海協連からの委託調査は学移連にとって最初の事業であり、後年、この業績は戦後移住の予算獲得に大きく貢献した。まず、この調査にかかわったOB2人の証言を紹介しよう。この証言のうち堀口進一の証言は、2010年6月27日に学移連創立55周年記念誌編集委員会が発行した「我が青春の学移連」①に掲載されたものから抜粋した。【編集部】

◆証言者 ― 堀口 進一(第二期委員長)

 学移連初期の活動

 初代の高橋委員長の後を受けて二年生の時(昭和三二年六月)に本部委員長に就任したが、私と連盟とのつながりは、一年生の時に所属していたスペイン語研究会の横山会長の代理として連盟の会議に出席したのが最初で、その後数回出席するうちに本部委員長に推挙された。私以外の本部役員は村井副委員長(天理)、笹野総務(東京外大)、山谷会計(早大)という布陣だった。

 早稲田移住研の富田眞三君とは中学・高校と同窓であり、昭和三二年の夏休みに一緒に「国内開拓と海外移住」というテーマで調査研究を行った。これは当時の海協連の若槻泰雄総務課長の指導を受けて作成したもので、農林省が推進する国内開拓と外務省が推進する海外移住の経済的効果を比較し、移住の優位性を謳ったものである。

 この調査には昭和三一年四月に十万円が海協連を通じて支給されることが決まったが、いわば連盟として最初のオフィシャルな仕事となった。その遣い方であるが、海協連の会議室に各大学から一~二名が連日集まり、分担してこれに当たったとして計算し、学生十人が日当三百円で三十日間調査した費用が九万円、庶務費用として一万円ということだった。報告内容については当時八郎潟の干拓などに膨大な予算を投入しているのに比べ海外の移住地建設の予算は少ないという構図を組み立てていった。これは後日外務省が大蔵省に移住関係の予算要求をする際に資料として活用された。当時、海協連予算で学移連のメンバーを調査員にアルバイト雇用をし、「海外移住と経済的効果」などの冊子が発行された。さほど当時の学移連の活動はアカデミックなものであった。(つづく)

     ◎

 題字の「日本学生海外移住連盟」の文字は第2代顧問会会長・後藤連一氏(日本大学教授)が揮ごうしたもので、長年学移連事務所に掲げられていた表札。

2018年4月20日付

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