―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑮

―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑮
南平台の総理私邸での記念撮影

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史

岸総理講演会顛末記 ㊦ 岸総理私邸の夕食会 富田 眞三

 岸総理講演会が無事終了した翌週、未だ興奮の冷めやらぬ我々講演会実行委員たちは、中村代議士に伴われて岸総理に講演会のお礼を述べるために総理官邸を訪問した。ご多忙にもかかわらず、快く時間を割いてくださった総理は、農大生手作りのロースハムの美味しさを絶賛してくださったので、農大生の菊池は大感激していた。

 暇乞いをする我々に総理は、「どうだい、来月君たちを自宅に招待するから、夕食を食べながら、大いに語ろうじゃないか」とおっしゃって、我々を喜ばせてくださった。

 と言うわけで学移連一行は渋谷区南平台町の岸総理私邸に招待された。 

 10月13日、午後5時、学生12名とOB3名の計15名は渋谷駅を出ると、駅前の交番に寄って南平台への道順を尋ねた。学生服の我々を見て、警官は目を白黒させて、「何しに行くのだ?」と尋問される羽目になったのも愉快な思い出になった。

 岸総理がその夜、講演会を主催した、我々学生の労をねぎらう夕食会に用意された料理は「うなぎ」だった。食い盛りの学生には願ったり叶ったりだった。 

 我々は振舞われたうな重に舌鼓を打ちながら、総理と中村議員に海外への熱き思いを夜が更けるまで語ったのだった。

 かくして学移連は、言い方は悪いが岸総理とコネクションをつけることが出来たのである。

 この写真が南平台の総理私邸での記念撮影である。 

 前列左から=田中桂、中村寅太氏、岸総理、葛西清忠、高橋順冶郎、井上順八。

 後列左から=今村邦夫、石原寿一、山本博康、羽嶋禎紀、芝田可行、堀口進一、富田眞三、玉沢徳一郎、菊池延、高田達、大束員昭、中村長芳氏(総理秘書官)。

 大学別出席者は、拓殖大と早大=各4名、東京農大=2名、神奈川大、上智大、中央大、東京外大、日本大が各1名、計15名だった。

 岸総理邸の夕食会からしばらくして、新聞に「総理府主催・皇太子ご成婚記念・青年海外派遣事業」の募集要項が発表された。自宅で読んだ朝日、読売によると、日本青年をアジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカとオセアニアに派遣する、と記されていた。ところが、何度読んでも南アメリカがないのである。

 そこで筆者は学移連の仲間と連絡をとり、急遽、この「海外派遣」について話し合った。筆者は「なぜ中南米諸国が入っていないのか」を問題にしたのである。

 岸総理が講演会で力説した、日本人の南米への進出はどうなったのか、是非総理に訊いてみよう、ということになった。
           
◆棚から牡丹餅の南米旅行

 数日後、葛西委員長を初めとする、我々連盟役員は岸総理とのアポが取れた。青年海外派遣の募集要項をご覧になった総理は、「南米が入っていないな」と呟きながら、直ちに総理府の担当者に説明に来るよう中村秘書官に命じられた。一時間ほど待たされた我々に、総理は苦笑いをしながら、「役人のちょんぼだったよ。南アメリカを忘れるとは、まったく面目ない」と我々に謝罪されたのである。

 そして、今から派遣事業に南米を追加することは出来ないから、学移連で三人代表を選んでくれたまえ。政府予算で派遣することも急なことなので出来ない。そこで「私が奉加帳の最初に記名して、財界の皆さんに事情を話して協力を要請するから、その金で南米諸国を廻ってきて欲しい」と言われたのである。

 数日後、葛西委員長は初ページに「岸信介30万円」と達筆で墨書された奉加帳と訪問すべき日本を代表する会社とその担当者の名簿が渡された。

 こうして形はどうあれ、学移連の仲間3名が南米を自分たちの目で見、肌で感じて来る旅が実現したことは誠に喜ばしい出来事だった。将に瓢箪から駒が出た、というか、棚から牡丹餅の「南米行き」が実現したのだった。

 最初の人選は葛西委員長とポルトガル語が少し話せた筆者に白羽の矢が立った。だが、大学を留年中だった筆者は学業を優先して辞退し、代わりに東京外語大・ポルトガル科の山本博康が派遣されることになった。残る一人は関西支部の天理大スペイン語科の山崎亮二に決まった。

 「南米学生親善使節団」一行は昭和34年12月27日、横浜港出航の大阪商船・あめりか丸でリオデジャネイロ港(ブラジル)に向け出発した。今村と筆者は横浜から神戸まで3人を送りがてら、同船に乗船して名残りを惜しんだ。3人はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ヴェネスエラの7か国を廻って、翌年の4月27日、帰国した。彼らの帰国報告会は5月10日、拓殖大に於いて盛大に開催された。

 昭和35年(1960年)10月、先輩に負けじと学移連の第6期羽嶋委員長等後輩諸君は、第1次南米学生実習調査団員12名をブラジル、アルゼンチンへ派遣し、彼らは1年間海外で実習に従事した。”Work before Study”をモットーにした、南米学生実習調査団は1969年、学生総合実習調査団へと発展的解消を遂げ95年まで35年間の永きにわたって、南米のみならず、カナダ、オーストラリア、アフリカ諸国へ農業、商業、工業、水産の4部門の現地企業へ300名近い学生を実習生として送りだした。

 そして多くの初志を貫徹して日本を飛び出した、「学移連大学」卒業生たちが、世界各地に於いて「日本人ここにあり!」を、身を持って示していることは誠にご同慶に堪えない。(この項おわり)
     ◎
 題字の「日本学生海外移住連盟」の文字は第2代顧問会会長・後藤連一氏(日本大学教授)が揮ごうしたもので、長年学移連事務所に掲げられていた表札。

2018年5月5日付

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