―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑯

―移住に賭けた我らが世界― 第1章 草創期⑯
講演会会場は超満員。これに気を良くした連盟員からは様々なうわさ話が広がった

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史

拓大OBが残した講演会 経緯は間違いだらけ

 前回まで4回にわたり富田眞三が書いた岸総理南米講演会顛末記で分かるように、筆者が9年前に書いた岸首相の私邸の前で当時の委員長葛西清忠が土下座をして講演会の了解を取り付けたことが事実でないことがはっきりわかる。しかし、OBの間では、いまだに「葛西ならそれぐらいのことはやっただろう」といわれるほどの猛者だったことは事実のようである。葛西に確認すれば済むことなのだが、彼は早くに他界しており、知るすべもない。このため、噂が独り歩きしている。しかし、この土下座を裏付ける資料があるはずだと、探してもらった。

 土下座そのものではなかったのだが、葛西が所属していた拓殖大学の創立100周年記念出版で発刊された「南米編」(2004年3月発刊)に残っていた。「拓殖大学海外移住研究会、日本学生移住連盟の展開」という第1期委員長を務めた高橋順治郎と海老沢充らの座談会の中に書かれている。海老沢の発言として「現職の首相を海外移住の講演会に引っ張り出したこと」の一項目がある。以下、その全文。

 海老沢 移住研は人数が70人もいましたから、後輩たち全員を招集して交替で毎朝、首相官邸に、学生服をピシッと着させて、靴を光らせて、陳情団の一番先頭に並ばせたんです。そうしたら、向こうの秘書がビックリしちゃってね。それをずっと続けました。朝4時半頃から先頭を陣取って、他の陳情団が来てもずっと後ろに並ばせていました。最初は「なんで君たち毎日そうやって来るんだ」とやられたんですけどね。

 1か月目くらいかな。ちょうど葛西の番でね。葛西は先日もう亡くなっちゃったんですが。たまたま総理が後ろを通って、葛西も声が大きいからね。「どうして取り合ってくれないんだ。何も岸先生をあれしたいということじゃないんだ」と言った。それを聞きつけた総理が車から降りてきて、「なんだい」と言ってくれた。

 それで、日本学生移住連盟の話や拓大の移住研究会の話をしたんです。ちょうど総理もいろいろ忙しいときで、「岸、倒せ」と国会周辺あたりでワーワーやっていたあの頃だから。岸さんは最後のほうで、日本の首相として南米を回っていて、それで帰国されたから、それを狙ったわけですよ。

 僕はここ茗荷谷の講堂に連れてこようと思ったの。そうしたら、学校側が「嘘だろう。現役の首相が一学生の働きかけで講演してくれるものか」と言われたので、僕も意地になって会場探しをやったわけです。それで、共立講堂をもっている共立女子大学の学長に会って、あそこなら近いし、いいだろうと思ったら、警察にものすごく怒られた。何でこんな時期にやるんだって。

 池田 昭和34年ですか?

 海老沢 あれは僕が卒業する前だから34年かな。35年かな。その頃ですね。それで、今度は「忙しくていけないから、何人か来てくれ」と言われて、会いに行きました。

 池田 「忙しいから」と言ったのは岸さんが言われたのですか。

 海老沢 そうです。こっちが言ったのじゃないですよ。岸さんは実に面白い人でした。よく話を聞いてくれて、「君ら、腹が減っているだろう」と、総理官邸で、こんな海老がはみ出したような天丼をご馳走してくれたりしました。

 池田 天米の天丼よりずっといいですね。

 海老沢 そうです。そういうことをやって、それで共立講堂に来てもらったんですよ。その際、警備のために相撲部だとかみんなに招集かけて、体格のいいのを各所に配置して、変なのがいたらツマミ出すようにしたのです。変なのは5、6人いましたね。それをみんなツマミ出して、外にいる警察官に「ハイ」と渡して、それで無事に終わったんです。本当に面白い学生時代を送らせてもらいました。今になって考えると、可笑しなことをやったもんだと思いますけど、いい思い出になっています。

 国松 当時、岸信介を引っ張り出すというのは大変なことですよ。

 海老沢 それはそうですよ。だって、秘書が言っていたもの。「何を考えているんだ。現役の首相を引っ張り出すなんて、明治以来ないことだぞ」って、ひどく怒られました。

 国松 安保騒動の真っ最中でしたしね。

 海老沢 そうです。それで、講演をされてから、しばらくして総理を辞められたんですね。だから、思い出はすごくあるんです。

◆事実誤認が多く信憑性に欠ける

 ところがいくつも事実誤認がある。まず、毎朝、首相官邸に陳情団の一番先頭に並ばせた、というくだりである。今も昔も首相官邸に前に陳情団が列をなすことはない。前もって予約した人たちが受付から中に入る。首相官邸の外には警官隊がいて、列など作れない。

 第2番目は共立講堂を借りるのに共立女子大学の学長に会ったということ。富田が書いているように学長ではなく、理事長に面談していることだ。続いて、警備のために体育会系の学生を会場に配置したのは事実だが、講演会場にいた富田によると、誰も外に放り出されたものはいなかったというのが事実だ。

 この海老沢の話が活字になったのは04年。岸首相の南米講演会は1959年なので45年も時差がある。筆者が土下座の話を聞いたのは73年頃なので、海老沢はこの話を講演会開催直後から吹聴していたと思われる。その話に尾ひれがつき、「葛西が土下座して講演を頼んだ」と広がったと考えるのが順当なのではないか。(つづく、敬称略、鈴)

     ◎

 題字の「日本学生海外移住連盟」の文字は第2代顧問会会長・後藤連一氏(日本大学教授)が揮ごうしたもので、長年学移連事務所に掲げられていた表札。

2018年5月5日付

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