―移住に賭けた我らが世界―第2章 飛躍期⑨

―移住に賭けた我らが世界―第2章 飛躍期⑨
外務省移住局長宛に提出した第3次団団員の選考委員依頼書 

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟外史

派遣団選考㊦
関東・関西を融合し、名実ともに全国組織に
第9期委員長 富田 博義

公平な派遣選抜制度の確立

 学移連の事業は実習調査団派遣だけではないのである。年間を通じ四十余(註1)の加盟大学の研究会員達の親睦、外国事情や移住情勢の調査研究、発表、移住の啓蒙宣伝、新聞発行、来日した海外在住移往者からの現地知識の吸収(会合や講演会)語学の研修等の中の一つの事業としての実習調査団でなければならないと思うのであった。そうであれば役員は一年の任期を全うするのが使命でなければならないと思うのだった。

 第二は学移連という公的組織が行う事業は全加盟校学生が平等に事業に参加しその利益を享受できるものでなければならない。本部役員が優先的に実習調立団員を構成してしまうのはあたかも実習調査団をいや学移連を私物化しているようにもみえるのだ。

 実習調査団は彼らだけのものではないと思うのであった。学移連加盟員全員のものでなければならないと思った。尊い寄付金にしても学移連という組織に与えて下さったものである限り全員が平等に恩恵に浴するものでなればならない筈である。

 当時の学移連の本部に集う各大学からの幹事達の間の連携は委員長の指導力の元にまとまっているとはみえなかった。また関東と関西は派遣団員の人数の割り振りに端を発し移住に対する意見の相違(移住実践型と移住や中南米研究型)が見られたりして両者がそれを互いに理解しあい協力して円滑に組織を盛り立てて行こうというまとまりに欠けるようにみられた。

 そこで私は学移連創設時のように皆が力を会わせ高い理想と志を持った学移連を取り戻さなければ組織の力を結集して事業を大きく前進させることは出来ないし、学移連を起こし政財界にも認められるようにここまで育てた先輩達に申し訳が立たないと思った。

 それで武藤崇さん(次期一〇期委員長)と力を合わせて関西は十三(じゅうそう)の寺で開かれた全国総会で委員長に立候補したのです。幸い当選し副委員長関西支部長新谷正(関学大)君、故・四方征紀総務部長(日大)、須貝吉彦庶務部長(東農大)大久保政孝渉外部長(神奈川大)、梅野良紘(水産大)をはじめ他の役員の皆さんの力強い協力のもとにかつての理想に燃えた志を高く持った誠意をもって問題解決に努める学移連を取り戻すべく働いたのでした。

 まず試みたのは関東と関西の和解融合です。これなくして真の学移連のまとまりはありません。夏休みに合宿を行い、皆で同じ釜の飯を食い語り合いお互いの気心が分れば若者同士必ず打ち解けるはずであると思ったのである。

 それには、できればいずれの地方にも偏らない旅費も同じ位の関東と関西の中間がいいと思い杉野先生にご相談しました。ちょうどうまい具合に先生が元場長をされていた石川県経営伝習農場(註2)がまさに本州の真中の能登半島の羽咋市にありました。先生の後輩が場長をしているので頼んでやろうとおっしゃってくださりそこに決まりました。

 そして杉野先生ご自身が参加して下さるという思いもよらぬ幸運なご提案でした。合宿中は先生を囲んで一日中人生を語り、世界を語り、海外移住の意義、拓殖理論についてのお教えなどを受け最高のゼミナールになりました。そこには関東、関西のわだかまりもなく青春の真っただ中の学生同士としての心の通い合いがあり熱く杉野先生のご指導のもとに語り合いました。次は実習調査団の派遣形態についてです。私は全大学から希望者を募りその中から良い人を選ふ方法を提案し皆でそれについて討論しました。そして決まったのが選考委員会制度による団員の選抜方式です。誰にでも平等にチャンスを与えようではないかということです。このような観点から第三次実習調査団からは全加盟校から応募者を募り公平な選抜制度のもとで派遣団員を選ぶことにしたのです。

「我が青春の学移連」記載の松田潤治郎氏(拓大)の“第三次南米学生実習調査団について”より転載させていただきます(機関紙「学移連」に委員長による三次団の募集から派遣までの記録が所載されている)。

 それによると「今回より選考試験制度を採用し、全国の加盟校に均しく派遣事業への参加の機会を与えた。国家予算も交付されるようになりその期待に背かぬようにするためには、派遣事業以外の諸事業を活性化して連盟組織の向上を図らねばならない」趣旨が書かれており、従来の「南米へ行こう」から三次団からは「行かせよう」に変えて、選考委員会も設置したとある。そのような経緯で選考委員会を杉野先生に中心になっていただいて構成した。かたちの上で学移連委員長が選考委員長になり学移連顧問教授杉野忠夫先生に選考委員会をリードしていただいた。財界四団体からは経団連事務局長花村仁八郎氏、外務省からは移住局業務課長福田孝三郎氏、学移連OBからは元委員長葛西清忠氏のメンバーであった。世界へ羽ばたこうブラジルへ行こうというからには日本の大学生として恥ずかしくないような時事問題、一般常識、南米事情の知識は不可欠であるからその筆記試験をおこなった。次に一年間の過酷な実習調査に耐えられるかどうかを知るための人間性を知るために一人ずつ選考委員の前で面接が行われた。このようにして初めての選考委員会は終了した。筆記試験、面接試験の結果選考委員会により合格者が選出された。
 現役役員からはただ一人須貝吉彦君(東農大)を実習調査団団長として送り出し他の全役員は日本国内の学移連の年間業務を全うするために引き続いて任期終了まで務めることになった。しかしながら前年までの調査団員の選考とは全く異なる公募や試験や面接による私情を挟まぬ公明正大な選考委員会制度による団員選抜方式への変換の道のりは決して平坦なものではなかった。ともあれ多少の紆余曲折はあったものの第三次南米学生実習調査団員十二名は当時の日本の大学生としてどこへだしても恥ずかしくない優れた学生であったことは間違いない。それはまた送り出した学移連としての誇りでもあったのだ。彼等は一九六二年六、七月に二班に分かれてブラジルへ向けて横浜を発ったのであった。(つづく)
                                     
(この原稿は、学移連OB会設立準備会が2011年に出版した「我が青春の学移連」第2号から転載したものです)

註1…昭和36年「連盟案内」によれば、関東15校、関西13校、他8校、加盟希望校7校、中には、横浜市大や一橋大も加盟希望していた。

註2…「経営伝習農場」は、戦前満蒙開拓指導員養成の「修練農場」が、戦後農林省管轄となり名称を改めたもの。後に各県の「農業大学校」と時代に即した名称に変更された。

2018年10月5日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password