―移住に賭けた我らが世界―第2章 飛躍期⑬

―移住に賭けた我らが世界―第2章 飛躍期⑬
連盟史研究会が外交史料館から集めた600ページもの外交史料

~もう一つの学生運動~日本学生海外移住連盟外史
外務省外交史料館に残された学移連関連の文書類㊦
知られざる外務省と学移連のつながり

多数ある本省と在外公館での便宜供与の往復書簡

 最初に出てくるのが、学移連設立の1955年。設立趣意書が残っているだけだ。翌56年には学移連が行った海外移住実態調査報告書。ガリ版で作った52ページもの報告書だ。続く57年、58年はほとんどなく、59年になって葛西が実行した南米学生親善使節調査団の派遣計画書及び学移連が日本海外協会連合会宛に提出した協力依頼書だ。

 以後、連載にも書いたように同使節団に対し「岸総理も深い関心を寄せている」と南米7カ国の在外公館に便宜供与の指示を出したのを皮切りに様々な文書が外務省本省と在外公館で行われている。その中には、葛西らの行儀の悪さを指摘した文書も含まれているが、岸総理の威光を受けて、第1次南米学生実習調査団の実習先調査に始まり、受け入れ先の交渉など、事細かに本省から現地事務所に指示が飛んでいる。

 第2次団、第3次団などについても現地実習引受先の便宜供与が頻繁に行き交い、外務省が積極的に学移連を支援していたことがうかがえる。ここで疑問なのが、当時すでに海協連がブラジルに事務所を構えていたにも関わらず、学移連案件については外務省が握っていたことだ。考えられるのは、当時日系社会が海協連を単なる移住者送出機関としか見ておらず、信用度が低かったのではないかということだ。ブラジルの日本大使、総領事といえば日本を代表しており、現地移住者にとっては「お上」である。影響力が違うのだ。

 それでも、外交文書に次のような記録が残っている。第3次団の実習先で、吉永正義(拓大)、長坂優(東京農大)がアマゾンでの実習を希望していたことからベレン総領事館はトメアス移住地での受け入れをトメアスの有力者・平賀練吉に依頼するが受入れの意思がないため産業組合理事長の押切他男に依頼した。ところが、押切は移住者なら受け入れ先はあるが、短期実習生はできないと断ったのだ。短期実習生は足手まといで相手にしたくない、いくら総領事館からの要請でも受け入れたくないというのが本音だったのだろう。この交信が6月19日付だった。

 ところが吉永、長坂は6月2日に日本を出発していることから外務省本省は「事情を説明の上、極力説得し、結果を至急回電ありたい」とベレン総領事館に指示を出した。ベレン総領事館は再度、押切を説得している。ベレン総領事館は2日後、「極力説得の結果今回に限り引受を承諾した」と返電した。総領事館の依頼といっても、簡単には言うことを聞かないのが移民だったということだろう。

 この第3次団以降、本省と在外公館での受け入れ先に関しての便宜供与のやり取りがなくなる。これは、学移連が来日したブラジルの日系人有力者と個別に接触し、実習先確保に動き、第4次団に関してはスムースだったことがあげられる。

 加えて、第3次団団員として渡伯した松田潤治郎(拓大)が学移連本部の要請でブラジルに居残り、身元引受人や実習受け入れ先確保で動いたことが功を奏したといえる。

移住政策の変更で海外移住事業団管轄へ

 63年以降は件数も減り、学移連と本省のやり取りが目立つ。そして65年にはカナダ移住に関するやり取りとなり、68年を境に外交史料から学移連の文字は出てこなくなる。

 調べていくと、63年は移住行政に大きな変化があった年だった。海協連が海外移住事業団に衣替えした年だ。同年1月23日、当時の外務大臣・大平正芳が国会で行った演説の中に海外移住事業団の設置に触れている。その部分を引用する。

―――海外移住の問題につきましては、移住に対する新しい考え方の確立と、移住行政の刷新を期するため、政府は海外移住審議会の答申に基づき、移住の実務機関を刷新強化する等、適切な施策を進めることにいたしました。すなわち、来る7月1日を期して、日本海外移住振興株式会社及び日本海外協会連合会の業務を統合し、特殊法人海外移住事業団を設置することといたしました。政府は海外移住行政を簡素化し、移住業務をできる限り同事業団にゆだねる考えでありまして、事業団が、その責任におきまして、地方、中央、海外を一貫する能率的な移住業務を積極的に推進することを期待するものであります。―――

 政府が移住行政を簡素化し、海外移住事業団に移住業務を任せたことによって、学移連案件のほとんどが同事業団に移管されたために外交史料から学移連も消えたとみるべきだろう。

 55年から68年まで件数にして155件、約600ページに上る史料は学移連にとっても貴重な資料であり、当時の学移連活動が外務省ひいては政府にとって信頼されていたかの証左でもありこの連載に登場する草創期メンバーの老成ぶりは驚くことしきりだ。

(敬称略、つづく、鈴)

補足説明=連載⑩「首相官邸にフリーパスで出入りした富田委員長」の文中、委員長の富田博義が就任直後に関東地区、関西地区の融和を図るために合同で全国合宿を企画・実行し、続いて第3次団の選考を行ったと記載したため、時系列が全国合宿を開いた後に第3次団の選考を行った、と受け取れるが、事実は第3次団を選考・送出した後に全国合宿を行った、と第3次団の松田潤治郎(拓大)から指摘をいただいた。
 本来であれば、役員改選は通常9月から翌年9月までの1年間なのだが、富田の場合は、前任の第8期委員長の春日正顕(神奈川大)が委員長就任後、第3次団の選考を行う前に執行部が総辞職したために、富田が委員長就任後、最初に派遣団選考を行ったという経緯がある。このため、通常の役員会の業務が逆になっていた。

2018年10月16日付

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