―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑥

―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑥
谷村が送り出した第1次海外学生総合実習調査団が帰国後、作成した報告書「我らが世界」上巻の表紙

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟外史

連盟史を辿る 曲がり角の移住
第17期委員長 谷村 信弘(早稲田大)

 第2章飛躍期で書いたように、学移連内部で「移住研究」「海外事情研究」の二分化が顕著になり、その対策としてブロック化が行われた。しかし、この打開策は功を奏することなく、形骸化していたといえる。その数年後、大改革を断行した委員長がいる。第17期委員長の谷村信弘(早稲田大)だった。学移連の金科玉条だった規約第3条を書き換え、南米、カナダだけの実習調査団の派遣地域を世界各国に拡大したのだ。まさに、学移連を大きく転換させたのだ。谷村は、学移連OB会設立記念誌として2011年に発行された「我が青春の学移連」第2号に「連盟史を辿る 曲がり角の移住」というタイトルで当時を振り返っている。まず、谷村の回顧を紹介する。【編集部】
     ◎
 私が早稲田大学に在籍していたのが1966年から71年の5年間です。入学後すぐに海外移住研究会に入り、学移連の行事にも参加していたことから、68~69年にかけて第9次南米実習調査団でアルゼンチンに派遣される幸運に恵まれ、また帰国後は、69~70年にかけて第17期の連盟委員長を務めさせて頂きました。

 学移連の創立が55年なので、私か学移連活動を行ったのは創立から11~16年経った時期となります。

 60年から私が大学を卒業した、71年までの約10年間の主な出来事を列記すると、ひとつの流れとして「60年安保闘争、ベトナム戦争激化、文化大革命、国際反戦デー新宿騒乱事件、70年安保闘争、東大安田講堂事件、三島由紀夫割腹自殺、よど号ハイジャック事件」等が挙げられます。学生運動という観点では60年安保闘争終了後の一部過激派の運動だけが残っていた時代、と言ってもいいと思います。

 一方、この頃の日本は高度経済成長の道をひた走り始めた時期でもあり、上記の一連の出来事とは別の流れとして、「東京オリンピック開催、東海道新幹線開業、ミニスカート、ビートルズの流行、大阪万博、札幌オリンピック」など元気のいい日本を思い出させる出来事が沢山挙げられます。海外移住という点では移住者数の減少に直面し、日本政府としては「移住政策の見直しや新しい移住理念」並びに「発展途上国とのこれからの付き合い方」を模索していた時期であったと思います。海外関連機関の整備という意味では、62年に海外技術協力事業団(OTCA)の発足、63年に日本海外移住振興㈱と日本海外協会連合会が合併し海外移住事業団(JEMlS)の発足、65年に青年海外協力隊の発足&派遣開始、74年にOTCAとJEMISが合併し国際協力事業団(JICA)の発足などがこの時期の主な動きです。強くなった日本の技術力や資金力を背景に、発展途上国への「国際協力」の重要性を認識し、政府開発援助(ODA)の実現・実行に大きく舵を切っていく時期でありました。

 このような状況では学生の海外に対する意識も大きく変化し、規約第三条(連盟の目的)「本連盟は海外移住に関する理念の研究及び実践を通じ、海外移住思想の啓蒙並びに海外移住の促進を図ることを目的とする。」の取り扱いが益々微妙になってきました。それまでも、地域研究を中心に据えるグループと移住の研究・実践を中心に考えるグループ(所謂、Aブロック校とBブロック校)に分けて連盟活動を行うなどの対策も講ぜられてきましたが抜本的解決には至っておりませんでした。

 学移連創立以降ずっと「移住とは?」、「連盟とは?」が問われ続けてきたのだと思います。今回、学移連OB会2011年大会の記念誌を発行するにあたり、「曲がり角の連盟」というテーマでの寄稿依頼があったのですが、「連盟は私の時代に曲がり角を迎えたのではなく、もっと前から曲がり角に立たされていたはず」というのが依頼を受けた時の正直な感想でした。

 私が本部役員だった時代は既に、所謂「従来型の移住」を連盟活動の中心に据えて加盟大学をひとつに纏めて行くことは難しく、私自身は「連盟とは広く海外で活躍したい学生の研鑽の場」と割り切って連盟活動を行っていました。結果として、それまで南米とカナダに派遣していた実習調査団を派遣国の拡大という形で改組し、第1次海外学生総合実習調査団として、南米(6名)カナダ(7名)アフリカ(2名)オーストラリア(2名)・イスラエル(1名)の計18名を送り出すことにしました。当時作った派遣計画書の『派遣目的』には「(中略)個人ベースの技術者移住、民間ベースの大型移住、国家間・国際間ベースの経済協力という広範な立場で、経済開発の可能性、今後の移住のあり方を考察するものである。」などと、今読み返すと難解な目的が羅列されており、当時の舵取りの難しさが垣間見られます。勿論、この派遣国拡大は学移連規約に明記されている「連盟の目的」とはかなりかけ離れるものであり、諸先輩方含めいろんなところからのご批判もあったことと思っています。

 学移連を卒業してかれこれ40年近く経ちます。卒業以来民間企業での勤務が続いていますが、それもそろそろ卒業となります。この間日本を取り巻く環境も大きく変わりました。国内では少子高齢化社会の到来が益々問題視されています。これまで我々は「日本人が海外へ行く」ことを中心に議論や活動をしてきましたが、これからは「日本の将来の為に、若い外国人を日本に移動させることの必要性」を真面目に議論し実行に移すべきなのかもしれません。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)のように多国間で戦略的経済連携協定を結ぼうという時代になってくると、その協定の中には恐らく「ヒトの移動の自由化」も大きなテーマとして入って来ると思います。学移連OBのひとりとして、これらの問題の解決に何らかのお手伝いが出来ないものかと考えている今日この頃です。(敬称略、つづく)

2018年12月11付け

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