―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑦

―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑦
日本海外協会連合会の機関紙「海外移住」(昭和45年〈1970年〉1月1日号)に掲載された第1次団で初めてオーストラリアへ派遣する団員を紹介した

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟外史

学移連『中興の祖』となった第17期委員長の谷村信弘
移住から『全世界相手にした海外活動』へ舵切り

◆第9次派遣団から帰国後委員長に就任

 第17期委員長の谷村信弘(早稲田大)は、学移連活動の中でそれまでの委員長と違った経歴を持っていた。従来の委員長は委員長を経験した後に実習調査団団員として海外に飛び出したか、卒業後移住した人がほとんどなのだが、谷村は大学2年生終了後、第9次南米実習調査団団団員としてアルゼンチンで実習し、帰国後委員長に就任した。

 この海外実習の経験が、彼の考え方を変えた。高校卒業時点で南米に移住しようと思っていた谷村は、実習調査団への参加は移住のための情報収集という目的を持っていた。南米で学移連OBや移住者達の話を聞き、実情を見て感じたのは、谷村が思い描いていた『移住』ではなかった。「海外で事業活動し、それなりの成功を収めるには、徒手空拳で渡航しても成果に乏しく、『人・物・金』が必要であるという現実を見せ付けられた」と回顧する。

 帰りの「ぶらじる丸」で考えたのは、「これから南米で仕事をするには『人・技術・資本』が必要。技術も資本も無い自分にはどこかのメーカーに入って南米に出掛けた方がいいのではないか」との思いが強くなっていた。

 この思いから委員長就任時に「学移連も『従来型の移住』から『これからの移住』を追求することを活動の一環にすべし」と基本方針を定めた。

 当時、日本の社会は、就職戦線では売り手市場で、卒業後南米もしくはカナダに移住する、と堅い意思を持った学生は学移連でも少数派だったという。谷村は、「その人たちに敬意を払いつつも、それだけでは学移連を束ねていけない。『全世界を相手にした幅広い海外活動』を学移連のプラットフォームみたいなものに出来ないだろうか」と考えた。

 だが、学移連の看板にある『移住』という二文字が重くのしかかった。「学移連の看板を書き換えるのは不可能だから、規約を改定することで、なんとか求心力を保てないものだろうか」と思い至る。

◆活動の目的定めた規約第3条から『移住』が消えた

 この学移連の規約改正は、谷村が言い出したのではなく、その数年前の「移住研究」「海外事情研究」のブロック化、さらに遡れば、学移連設立直後から引きずっていた懸案事項だった。だが歴代委員長、執行部は先送りしていただけで、根本的な解決策を見いだせなかったといっていいだろう。しかし、海外実習で明確な自らの指針を決めていた谷村は、この懸案事項解決に乗り出した。

 谷村は役員会のたびに何回も規約改正の議論を重ねた。しかし、堂々巡りの議論が続き、なかなか結論まで辿り着かなかった。「誰かがいつかギアを入れ替えねば学移連という組織は内部崩壊するのではないか」と考えた谷村は改正案を作り、全国総会で提案しよう、と意思を固め、役員や顧問の後藤連一にも相談を持ち掛けた。「後藤先生も学移連の将来に危惧感を持っておられたので、『君のやりたいようにやってみたら。ダメだったらその段階でまた考えればいい』と言って頂けたように記憶している」と谷村は振り返る。

 そして、学移連の目的を記載している規約第3条の改正案が出来上がった。

 学移連設立時の第3条の文面は、「本連盟は海外移住に関する理念の研究及び実践を通じ、海外移住思想の啓蒙並びに海外移住の促進を図ることを目的とする」。改正案は、「本連盟は国際間に於ける人間の移動について原因分析をなすとともに広く海外問題を追求し、その中で正しい人間の移動のあり方を考察し実践する事を目的とする」とし、文面から『移住』の文言を消した。

 1970年5月17日、東京農大で行われた第51回全国総会に規約改定を諮ったところ、意外にも反対意見は殆ど出ず、淡々と承認作業が進んだという。

◆サークル加盟に加え個人加盟制を導入

 この総会でもう一つ、提案され決議されたのは、個人加盟だった。従来、学移連の連盟員はサークル加盟だけだったものを個人にも門戸を開放した。「昭和46年版連盟案内」には、「我が連盟は設立以来サークル加盟を前提として諸々の活動を為してきた。その是非は別として現在に至ってサークルのない、あるいはあっても、そのサークルが連盟に加盟してない学校の一個人から連盟参加の熱望する声が高まってきた」と個人加盟を容認したのだ(当時の個人加盟費は、入会金1千円とし年額2千円)。当時は加盟校の減少に歯止めがかからなかったため、連盟員増加を目論み、現状打破を目指したといえる。

◆全世界睨み、派遣を学生総合実習調査団に改編

 谷村はもう一つ、大きな改革を断行した。それまで、南米実習調査団とカナダ実習調査団の二本立ての派遣制度だったものを、海外学生総合実習調査団に改編した。そして派遣地域もカナダ・南米に限らず、全世界を対象にした。谷村は規約第3条を改正し「移住の拡大解釈」を実現し、「連盟とは広く海外で活躍したい学生の研鑽の場」と考えていたことから、派遣国を拡大したのだ。

 第1次海外学生総合実習調査団として谷村が送り出したのは、南米(6人)、カナダ(7人)、アフリカ(2人)、オーストラリア(2人)、イスラエル(1人)の合計18人という大所帯となった。「趣旨・意義がしっかりしたものであれば、応援してくれる人・会社は絶対あるはず」との信念を持っていた谷村の意向に沿い、役員が総出で協賛金を集めて、18人を送り出した。

 この規約第3条改正、海外学生総合実習調査団への改編、個人加盟制導入は、学移連創立から15年目の大改革となった。以後、学移連が閉鎖されるまで約20年間にわたり谷村が拓いた道は学移連の骨格となって引き継がれた。

 谷村は、まさに『中興の祖』といえる。(敬称略、つづく)

2018年12月12付け

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