―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑨

―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑨
明治大学移住研が総会で配った「脱退声明文」

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟外史

異色の工学院大から初の委員長に ㊥
第21期委員長 駒井明(工学院大)

◆全国総会

 1973年4月「第三次海外学生総合実習調査団」としてブラジルから帰国後復学、履修単位不足の中、同級生は卒論に着手、何としても大学を卒業しなければとブラジルでの実習体験を通して、実社会に早く出て思いっきり働きたいと焦る思いが強かった。

 本部役員交代の8月広島夏期全国合宿総会、誰か委員長に立つだろう思っていた。その頃、自宅に他大学の仲間から電話で「学移連を派遣に利用しただけか」の戒めがあった。その役員に出ない遠因に、一部地方大学連盟員が全国総会等で、本部は旅行機関の様な発言があり、執務がもたつくと、つかさず総会時に追求したりしていた。概して二年生になったばかりの生意気盛りの輩だった。昔から本部役員は、最寄りの四ツ谷駅と夫々の大学所在地までの定期代と地方回りの乗車券、急行券までの支給であり、留年を覚悟し文句を言われながら他が為に尽くさねばならない、こんな理不尽に不遜ながら疑問を感じていた。

 また、この総会には、明治大学移住研メンバー数人が突然アジ演説を始めた。要は「旧態依然成る学移連は時代遅れだ」とし、後にも先にも初めての「脱退声明文」をバラまいて立ち去った。問題点は、目的を「移住」から「人間の移動」に変えたが、何も変化を感じられない事だった。判っていてもどの様にしたら良いのか、回答が見つからなかった。

 結局、夏には誰も役員に立たず、東京に戻り9月再度総会に出席した。が、総会は長引き「現執行部が継続」か「学移連解散」の文字が浮かんできた。壇上に居る同窓のカナダ派遣部長を見ると、卒業せねばとの思いからか、任期が延びる事への溜息と憔悴した姿があった。

◆新執行部発足

 「このまま20年の歴史ある学移連を潰すのはもったいない」私がやろう、と誰にも相談せず内心決め立ち上がり「今ここで一緒に役員をやってくれ」と賭けに出た。結局その場で、本部として7人、関西支部から1人が立ち、翌日から四ツ谷の海外移住事業団奥の本部室に集まり、方針を急遽取り纏め、10月の横浜移住センターで行われた臨時総会で承認された。前委員長政信敏治(東京農大)に引継事項と共に、賛助回りなど着用の「襟の少し高い学ラン」を借りボタンは工学院に取替えた。

 第21期学移連本部新執行部に立ってくれたメンバーは非常に有難い存在であったが欲を言えば、もっと多岐にわたり各加盟校から出て欲しかった。一方当時、幽霊校と呼んでおり、名簿には載っているが部員がいるのか、いないのか解らない加盟校が存在し、切ってしまうのは簡単だが、自ら減らしていくことは、加盟希望校入れピーク時全国合わせ60校あったが、70年代に入り脱退校が増え、30校を切っており悩ましい問題も台頭していた。

 本部の1年間の主な定例事項と基本方針に合わせ、役員引継合宿・派遣団募集と強化合宿・各校サークル廻り・春夏各全国合宿選定・総会と各ワーク・賛助活動・帰国派遣団準備・全国遊説・フロンティアセンター合宿・と今回初の書記局派遣等々ハードなスケジュールであり休む暇もなかった。本来は、充実した内容にすべく勉強会等開催し、確立した理念の勉強を目指すはずだったが、行事に追われ事業項目をこなすのに日々アップアップが正直な感想であった。

◆賛助活動

 本部の重要場面として大手企業を廻り寄付を募る活動に、本部役員はもとより、関東支部、派遣団員が5月中から6月末までを目途に行う。毎年5月に賛助活動会議が行われ、誰が何処へ何社回るか方針を決め、経済団体連合会の花村仁八郎専務理事に後藤顧問会長に付き添いながら挨拶、後日秘書の方から名刺30団体程宛に一筆と印を頂き、所謂お墨付きを持って各団体を廻る。また、200弱の会社や業界団体をリストアップし手分けして赴き、学ランを着て寄付を募るのは意外と度胸がいる。中には意地悪な質問され答えられず出直したこともあった。賛助が初めての学生には「注意事項」として、相手先に連絡を入れ「賛助ノート」に記入、質問事項には明確に応答し自身の目標を的確に答え、また、派遣地域数や派遣人数等は頭の中に叩き込み、学生らしく頭髪や服装はさっぱりとする項目まで決めていた。73年依頼金額213万円に対して実績賛助金額は59万円であった。そもそも学移連本部の年間予算は、海外移住事業団から200万円と加盟費や個人負担金を加味すると年間1000万円前後の収支だった。

◆次期派遣団選考

 来期の派遣団選考時期が近くに迫り、東京農大の佐藤貞茂が、「駒井が委員長なら花を咲かす為派遣に応募するか」と支援してくれた。赤羽の佐藤宅には、事業部長の石井要(東京農大)が下宿しており、地方から出てくる仲間の良い宿になった。
 選考委員には、海外移住事業団から課長、学移連顧問会から日大後藤教授、前回派遣団代表それと役員3人で最終面接を行った。他には我々で作成した体力、常識、語学各試験を横浜の移住センターで2日間かけて行われた。

 毎年10人程の派遣応募があるが、この年は少なく4人であった。ましてカナダ派遣のビザ発給が遅れ、不安から北海道大の1人は大学院へ行くかどうかで迷い結局派遣を辞退3人(註1)になってしまった。形式的とは言え試験があり、派遣団強化合宿をし、大使館を回り、企業に賛助願いする送り出す本部役員の辛さもつくづく味わった。(つづく)

 註1=「第5次海外学生総合実習調査団」として

 ①佐藤貞茂 東京農業大学 4年 ブラジル「アマゾン農業の現状と発展」

 ②上野肯二 三重大学 3年 ブラジル「工業とその技術移住」

 ③小野恵子 相模女子大学 3年 カナダ 「国民性の教育」

2018年12月14付け

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