―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑩

―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期⑩
国際協力事業団法案の冊子表紙

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟外史

異色の工学院大から初の委員長に ㊦
第21期委員長 駒井明(工学院大)

◆国際協力事業団設立

 海外移住事業団は、上部団体と言いながらも、運営に介入することはなく学移連担当吉村政雄職員に時々意見を求め、温かく見守る姿勢だった。同じフロアーの片隅一室(2間×3間)に間借りする立場だった。

 1973年2月19日自民党本部より「海外関係団体朝食会」に招かれた。内容は「国際協力事業団法案」了解事項の説明だった。この法案概略は、「開発途上の経済及び社会の発展に寄与し、国際協力の促進に資するため、技術協力の実施及び青年の海外協力活動の促進に必要な業務と、中南米地域への海外移住の円滑な実施に必要な業務を行わせる必要が在る。これが、この法律案を提出する理由である」と当日配布された『国際協力事業団法(案)』に記されていた。説明会には60人程が会議場に集まり質疑応答を行っていた。国会議員の千葉三郎や団体として、農林省、海外日系人協会、ラテンアメリカ医療協会、輸出入銀行、力行会、農村青年連盟、派米青年団などが幅広く参集していた。本法案は、翌年閣議決定された。

◆新たな模索

 学移連もこのままの形態では、何れ終焉を迎えるのは明らかと言う危機意識があった。73年4月渋谷の古びたビルで、海外と交流を図っている学生海外団体との話し合いが有り、如何にして時代にマッチした形にするか意見を交えた。

 その活動は、新しき学生組織構想草案として「日本国際学生センター」なる団体を創設すべく慶応大学生より呼びかけが有り、設立趣意として「現在、国際情勢に通じ、諸外国との交流を促進することは、我が国に於いて緊要な課題である。特に社会の利害関係に囚われず次代の社会を担うべき学生が、こうした活動に積極参画することは意義深いが、遺憾ながら有効な勢力とは言い難い。そこで日本に於ける最も責任ある学生団体が、小異を捨てて、大同につく精神に則り、日本の国際社会に於ける確固とした地歩を築くことを目的とする」また、「世界の平和と繁栄にとって学生による国際的相互理解と、相互協力が不可欠であるとの認識の下に、非政党と非営利性の二原則を確認し、ここに国際学生センターを設立する」

 参加予定学生団体
 (1)「国際経済商学学生協会日本委員会」21大学1000人
 (2)「日本国際学生連合」47大学2万人
 (3)「国際学生技術研修協会日本国内委員会」7大学3200人
 (4)「日豪学生交換連盟」6大学380人
 (5)「日本国際医学生連盟」27大学200人
 (6)「日本国際連合学生連盟」13大学500人

 「非政党性・非営利性」として、また、我々の目的である「世界平和と繁栄」の文字が見られ「小異を捨て大同につく」として何ら学移連活動からかけ離れたものではなく違和感もなかった。時代の変化を見据え「旧来の移住と言う概念では捉え切れない」即ち、人間の移動を新たな視点で考えた場合、新規の海外を標榜する学移連を目指したとしても何ら問題ないように思われた。

 しかし、創設から「移住」への思いがあり、加盟校への丁寧な説明、OBの了解、顧問教授の理解、海外移住事業団の助成金停止の恐れ、経団連などとの関係、思いつくだけでも難問続きである。解決するには、任期中に全て消化するか、留年してでも解決するか、次期役員に先ずは理解されるか、との思いだった。もし、その方向に舵を切り構想通り2万5000名の学生が一堂に会していたら今頃如何なっていただろうか。

 学生組織として20年目を迎える学移連には、年々加盟校が減少していく中、内部充実を図っている事は、問題以前の問題であったかも知れない。何かに書いて有った「人間とは、変化に対して非常に弱く、基本的には変われない生き物のはず」と言われる。いずれにしても、学生組織の宿命である一年毎の任期で結局変われず決断の機会を失ってしまった。

◆『自らの創造』を打ち出し学移連脱退

 「たった10カ月されど10カ月」の任期であった。学移連を背負っていると言う責任感と重圧、毎日が臨戦態勢だった。期限のある仕事の中、何時だったか、東京農大の部室で2日間一睡もせず、皆で合宿準備の打ち合わせやガリ版刷りをした事もあった。一方当時の「工学院大移住研」は、内部指向に傾いていた。工学院大八王子校舎からさほど離れてない、山梨県内の農家を格安で借り合宿所として使用する目的だった。地域の人達にも溶け込み、開拓者宜しく畑を耕し、薪で煮炊きや風呂焚きなどを行い、夜は研究発表と討論を繰り返す。これを「自らの創造していく場」と位置づけていた。

 部員数減少に歯止めが掛からない中、外部との所謂「学移連活動」に勢力が分散する事を恐れ、内部指向に傾き学移連から距離を置き始めていた。翌76年我が移住研は、模索しながら「自らの創造」を打ち出し「部員総意による学移連脱退」を決めてしまった。確かに本部役員は学業を両立する事は容易でないが、我々役員経験者が、学内のサークルでは味わえない知見を根気よく説明し、依然残る「学移連意識」所謂「旧態依然体質意識」に嫌悪している事を変えることは出来なかった。

 そこでも説得不足で「学移連脱退」を止められなかった事に寂しさと、また、本部役員で苦労する事は無いという何故かホッとする安堵感が同居する。

(敬称略、つづく)

 註=「ワーク」とは、杉野忠夫著「海外拓殖の理論と教育」1964年第4章第5節work campから「世界平和と人類の共同の福祉を願うHumanismにめざめた青年の鍛錬と、具体的な建設活動とを表裏一体化した教育活動として行われている」中略「言葉よりも行動によって平和を」というそのモットーは、実学として提唱するわれわれの共鳴を禁じ得ざるところである。と、学移連意識の契機になると毎回の合宿に取り入れられていた。

2018年12月15付け

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