「こどものその」還暦のお祝い コロニアの善意に支えられ

「こどものその」還暦のお祝い コロニアの善意に支えられ
「こどものその」園生による60周年記念ケーキカット

園生の平均年齢も50歳を超える様変わり

「こどものその」還暦のお祝い コロニアの善意に支えられ
「こどものその」関係者と来賓

 社会福祉法人こどものその(頃末アンドレ龍彦理事長)は23日、野口泰サンパウロ総領事、与儀昭雄援協会長、西尾ロベルト文協副会長、池田マリオ連邦警察グァルーリョス空港署元署長、そして日本からは「こどものその」創立者で浄土宗僧侶の故長谷川良信師次男の長谷川匡俊大乗淑徳学園理事長・淑徳大学名誉教授ら多くの招待客が出席して創立60周年祝賀会を祝った。

 祝賀会はまず長谷川名誉教授ら9人の浄土宗僧侶の読経に始まり、頃末理事長の開会宣言、出席者全員で焼香、長谷川名誉教授の法話へと進み、法話では「咲いた花の美しさに感動する人は多いが花を咲かせる為に努力した人に注目する人は少ない。仏教における過去・現在・未来のすべては連続であり、こどものその園生の為に行うのではなく、園生と共に存在して、寄り添い分かり合うことだと伝えた。また、寒い冬が終わり氷が溶けると水になると言う人もいるがこれを氷が溶けると春になると言う人もいる。これは知性とか感性の違いで他人の心の痛みに共感できる心の豊かさにつながる」と説き聴く人達の心を打った。

 祝賀会はその後、会場を野外テントに移動、野口総領事ら来賓の祝辞、日本酒樽の鏡開き、園生による60周年記念のケーキカット、園生とプロ歌手が一緒に歌ったりダンス等の演芸が繰り広げられ、楽しく美味しい昼食の場となった。

 現在、在園している園生は71人「こどもその」ではあるが平均年齢はすでに50歳を超えて中には70歳以上の園生も存在する。

 かつては青少年だった園生に対しても今や老人ホーム同じ医療対策が急務となりだしている。

 60年周年を迎え、理事ら関係者は資金面等、より一層深い分析・考察が求めらている。

 

「こどものその」還暦のお祝い コロニアの善意に支えられ
左から長谷川理事長、野村市議

サンパウロ市議会がこどものその福祉活動を表彰

 23日の60周年祝賀会に先立ち、21日夜にはサンパウロ市議会がこどものその歴代理事ら関係者の長年に渡る福祉活動に対し、同議事堂において功労賞を授与した。

 授賞式には日本から来伯した創立者・故長谷川良信師の次男・長谷川匡俊大乗淑徳学園理事長・淑徳大学名誉教授に野村アウレリオ・サンパウロ市議会議員からプラッカが手渡された。

 


日系社会に貢献する 「こどものその」

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「こどものその」の本館全景

 知的障害者の収容施設「こどものその」は日本移民たちの間に生まれた知的障害者を収容、彼らの両親が安心して仕事に向かい、障害児たちがいくらかでも社会復帰が出来るよう簡単な作業を教え、社会生活の適応力をつけるために設立された。創立して60年を刻んだ「こどものその」の歴史を、振り返ってみる。

◆創立者は長谷川良信師

 「こどものその」は1958年9月、南米浄土宗日伯寺にあった日伯寺学園の特別養護治療教育部として産声を上げた。創立したのは、日系社会の福祉増進のため来伯していた長谷川良信師(淑徳大学学長、大正大学名誉教授=当時)である。同師は、教育者、住職、社会事業者として知られ、3回来伯、その間に日伯寺を開教、日本移民記念館建設の提案など日系移民の生活向上に努めた。

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市川幸子教師とこどもたち

 長谷川師が養護治療教育部を設置したのは、知的障害児を抱え苦労している日本移民に支援の手を差し伸べ、障害児には簡単な仕事を教えることで自立を促すのが目的だった。当初、養護治療教育部に収容されたのは13名の知的障害者で、障害児には部屋掃除、ベッドメーキング、身の回りの世話など簡単な作業を指導、さらに話したり、歌ったりの学習も行い、他の人と一緒に生活する楽しさを体験させた。彼らが成人したとき、自宅に戻って社会生活が出来るようにというのが狙いだった。

 養護教育部は59年12月にパウリスタ児童療護協会として独立したが、その前の同年3月、井口吉三郎氏がイタケーラに持っていた土地を寄贈したため、「パウリスタ児童療護協会 こどものその」として日伯学園から本拠をここに移し、新たな歴史を刻み始めた。「パウリスタ児童療護協会 こどものその」から「社会福祉法人こどものその」に名称が変更されたのは82年3月だった。

 井口氏が寄贈した土地は未整備の状態だった。そのため日系団体、多くの日系人がボランティアとして参加し、大木の切り株、根の撤去といった整地作業を行い、建物の建設に取り掛かった。こうして61年、最初の建物として食堂棟が完成した。63年になり新たに用地を買い増し、男子寮、女子寮も建設された。

◆多岐にわたった 収容者の教育訓練

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長谷川良信師

 障害児が実習作業で精神を鍛え、社会参加を実感できるような施設も作られた。採卵のための養鶏場、鶏の糞を有機肥料にする工場などがそうである。鶏糞を肥料に野菜の栽培も行われ、収穫物はイタケーラの青空市場で販売された。収益金は「こどものその」運営費の一部に充当されている。

 79年には能力のある障害児たちが陶芸品の制作を始めた。作られた陶芸品は日系、ブラジル両社会で高評価を受け、注文をこなせないほどの人気だった。現在も陶芸品は、県人会などの周年事業の引き出物として利用されるなど各方面から重宝されている。

 女性の収容者には農作業などの他、専門家が指導監督して清掃、食後の片付け、食器洗い、衣服の洗濯・アイロンがけ、アクセサリー作りなど家庭的な作業が割り当てられた。知的障害者は学習、社会生活困難者が多いが、一定の役割を与えることで、彼女たちは働く楽しさを体験している。

◆運営の基礎固め

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段ボールのリサイクル作業

 「こどものその」は営利団体でないため、運営資金は寄付金が主な収入源になる。その基礎固めとして60年に寄付会員制度を設立した。東奔西走してこの制度設立に貢献したのが62年7月、「こどものその」2代目園長に就任した西本尊方開教師だった。

 同開教師は寄付会員制が出来た60年にはパウリスタ児童療護協会の外交担当だった。同氏はサンパウロ州、パラナ州、そしてマットグロッソ州の奥地まで歩き回り同協会の必要性を説明、1100人もの会員を集めた。同協会が連邦政府、サンパウロ州から社会福祉団体として認可を受けた61年3月には、会員数は2270人に達していた。こうしたことから同氏は2代目園長に就任することになった。

 寄付金集めでは65年11月、同協会初代理事長の大河内辰夫氏の死去に伴い2代目理事長に就任した日伯病院、木原暢医師も大きく貢献した。地方巡回診療をする傍ら、各地の有力者に寄付を依頼して回った。同医師の在任中の75年には会員数は7186人にまで増加していた。

 だが、これら会員の多くは一世で世代が代わってしまうと協力してくれなくなり、年を追うごとに会員数は減っている。

 因みに2012年の「こどものその」の収支を見てみると、1カ月の経費は21万レアルである。職員の給料、水道・電気、食料品購入などが主な出金先だ。

 収入は25%が知的障害者の保護者の寄付金、日本政府の援助金が6%、農作物の販売収入が10%、バザーの売上金が22%など寄付金以外の収入が72%を占めている。不足分の28%を一般の寄付金で埋めている。

 この数字を見ても、「こどものその」の運営には、いかに寄付金が重要かがわかる。

◆高齢化した園児たち

 創立当時は「こどものその」の名称通り子どもたちばかりだったが60年が経過し、園児たちも同じだけ年を重ねてきた。すでに高齢者の仲間入りをした人が少なくない。同園を訪問した人は、「えっ、子どもさんの施設じゃないんですか」と驚かされることもしばしばだ。しかし、作業をしたり歌を歌っている楽しそうな姿は今も昔も変わらない。

 同園を支えてきた人たち、日系社会の支援が続く限り、「こどものその」は変わることなく続いていく。

2018年9月28日付

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