「トリーリャ・ド・ボネッチ」 小宮可楠子

「トリーリャ・ド・ボネッチ」 小宮可楠子
ラビさんと小宮さん

 日本で趣味だった山登りは、サンパウロに来てからすっかりお預けになってしまっていた。本屋に行っても登山地図は見当たらないし、インターネットでも登山情報を見つけられない。ただ山のごとくそびえるサンパウロの坂を上ったり下りたりして悶々と過ごしていた。

 そんな頃、夫婦でイーリャベーラへ行くことになった。ビーチリゾートをイメージしていたが、なんと「山の中を5時間歩かないと辿り着けない秘密のプライア」があるという。久しぶりの山歩きに心躍った。

 山の前夜に泊まったのは、サンパウロの慌ただしさに疲れ半年前に脱サラしたというラビ(LOVE)さんのポウザーダ。「明日歩いてプライア・ド・ボネッチに行く」と話すと、「コブラがいるから気をつけて」と言われ仰天。コブラに噛みつかれたらどうしよう?!と翌日怯えながら歩くことになった。ブラジルでは蛇のことを全般にコブラと呼称するというのはもっと後で知ったこと。

 心配性で優しいラビさんに登山口まで送ってもらい、ザックを背負った重装備で歩き出したトリーリャ・ド・ボネッチは、前半に吊り橋と滝がある他は変化がない割にアップダウンが激しく、想像していたよりもつらかった。一方ブラジル人たちはちょっとその辺のジムに行くような軽装で、やすやすと私たちを追い越していく。情けない。目印が少ないのでどれだけ進んだか分からないままひたすら歩き、もう限界と思った頃、目的地のプライアが見えたときには疲れが一気に吹き飛んだ。崖に近づいてプライア全体を見下ろし、自己満足に浸った。

 ボネッチのポウザーダでは電波は圏外、wi-fiもない。電気も最小限に抑えられていて、まさに山小屋のようだった。真っ黒い夜、ろうそくの穏やかな灯りに包まれて飲むカイピリーニャは格別。豊かな気持ちで眠りについた。がしかし翌朝、猛烈な痒さで目が覚めた。いつの間にか全身ボハシュード(ブヨ)に刺されていたのだった。朝食のとき他の宿泊客も皆一様に痒そうな仕草をしていておかしかった。ボハシュードも人種差別はしないらしい。

 帰りもラビさんが迎えに来てくれた。とにかく痒い私たちは「イーリャベーラは素晴らしいけどボハシュードには参った」と、つい文句を言ってしまった。ポウザーダに戻ると、ラビさんは茶色い液体の入ったスプレーボトルを差し出し「どうぞ持って帰って」と言う。手作りの虫除けだった。

 ラビさんの温かさで、ブラジル初登山はますます思い出深いものになった。

 トリーリャ・ド・ボネッチをきっかけに、ブラジルでは登山道のことを「トリーリャ」と呼ぶと知ってからは、モンチ・ベルジのペドラ・ヘドンダやリオのモッホ・ドイス・イルマンスにも登ることができた。

 もっともっとたくさんの山に登って、いろいろな景色を見てみたい。

2017年8月29日付

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