「ブラジル桜花会」いまだ消えず③ 特別寄稿 脇田 勅

俳優の鶴田氏や練習艦隊を歓迎

 1971年9月1日、東映まつりのためにサンパウロに来た歌手で映画俳優の鶴田浩二(本名は小野栄一で、海軍少尉)を料亭「青柳」に招待して、ブラジル桜花会による歓迎会をしました。歓迎の言葉で私は、「本席は小野栄一海軍少尉の歓迎会です」と申しました。彼のあいさつの中で、「太平洋上を飛行機で飛んでいる時、この太平洋の海底深くに多くの戦友と軍艦が今も横たわっていることを思うと胸が熱くなりました」と言った言葉が耳に残っています。

 翌日の9月2日は東映まつりの最終日でした。鶴田は前日、最後のステージで私たち桜花会のメンバーと一緒に「同期の桜」を合唱することを決めていました。

 ショーが最後になりますと鶴田は、「このサンパウロには海軍で私の先輩や後輩がいますので、彼等と一緒に『同期の桜』を歌います」と言うと、同歌のイントロが流れ出しました。それと同時に私たち桜花会のメンバー11人は全員黒の艦内帽をかぶってステージに駆け上がり、鶴田の両側に一列に並び肩を組んで「同期の桜」を合唱しました。観客席からヤンヤの拍手が起こりました。

 1976年8月14日、日本の海上自衛隊の練習艦隊がサントス港に入港してきました。桜花会メンバーも軍艦旗を持って出迎えました。練習艦隊が岸壁に接岸する時には海軍最高の礼式である登舷礼式で、乗員は上甲板に舷側に沿って整列し、右手に帽子を高く大きく振ります。軍楽隊が勇壮な「軍艦マーチ」を吹奏し、まさに感動的です。

 この海上自衛隊の練習艦隊は大体4年ごとにブラジルに来ましたが、私たちブラジル桜花会はいつも、練習艦隊の幹部(司令官、参謀、艦長)を料亭に招待して歓迎していました。今では旧海軍の出身者はいませんが、1980年ごろまでの練習艦隊の幹部には、旧海軍出身者がいました。そのころまでの司令官は、前任者からの申し送り事項として「サンパウロには我々の先輩の桜花会というのがあるので、敬意を表すること」と言われていたそうです。

 また、そのころまでは練習艦隊司令官主催の艦上パーティーに、桜花会のメンバーがいつも招待されていました。

 同16日午後7時から旗艦「かとり」で「アットホーム」と呼ばれる艦上レセプションが始まりました。当日は艦内を開放し、上甲板には天幕を張ってご馳走を並べ、酒、ビールも用意して招待者に振舞ってくれます。この「アットホーム」に招待された私たち桜花会の会員は全員、白の艦内帽をかぶり、軍楽隊の演奏に合わせて軍歌「艦船勤務」などを高らかに斉唱します。一般参加者は珍しそうに私たちが歌う軍歌を聴いていましたが、自衛隊員たちは「昔、海軍で鍛えられた方たちは違いますね。迫力がある」と言っておりました。

 ブラジル桜花会に、森さんという終戦時に海軍少佐で駆逐艦の艦長をしていた人がいました。この森少佐が艦長時代に少尉だった部下が、練習艦隊司令官として来たことがあります。昔の将官である海将補の司令官は再会した森少佐に「気をつけ」の姿勢をして昔どおり「艦長」と呼んでいました。いくら偉くなっても昔の上官には頭が上がらないということです。

 また、後述の酒巻和夫少尉の海軍兵学校の同期生が練習艦隊司令官となって来ました。いつものように、ブラジル桜花会は料亭で艦隊幹部の歓迎会をしました。この時、海軍兵学校の同期である酒巻さんと練習艦隊司令官はお互いの名前を呼び捨てにして、「貴様」「俺」で話していました。これが同期というものです。(つづく)

2016年10月18日付

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