「日本祭りの回想」(2)

特別寄稿 中沢宏一
 第5回の準備段階から多くの若者が参画し、活動していましたし、開催当日は多くのボランティアの青年たちが運営に携わっていました。その嬉々として活躍している姿を見て、「ブラジルで育っているこの優秀な日系青年の集団を日本の方々に見てもらうには最適」と考え、戦後移住50周年記念式典を会場内で実施することを提案し、了解を得ました。
 来伯されてもこれだけの日系青年が年輩の人に協力して、共に運営に携わるところは見れません。借金12万レアルを抱え、日本祭りだけでも大仕事なのに、他の式典を持ってくることは無謀と批判されましたが、小山昭朗氏、菊地義治氏など委員会のメンバーと共にその開催に全力を投入しました。3人で訪日し、総務省関係機関とか海外日系人大会など日本祭りとともに戦後移住50周年をアピールし、訴えました。

 第6回は、吉加江ネルソン宮崎県人会会長が実行委員長となり、大いに実力を発揮してくれました。戦後移住50周年記念式典が州議会の儀典方式によって行われたものですから、アルキミン州知事はじめ、州の要職が参列し、日本から後藤博子参議、高知、広島、宮城、岩手の知事と福岡、兵庫2副知事、多数の県会議員、ふるさと創生団員など約300人が来伯し、日伯両国の有力者に日本祭りを見てもらいました。特に、日本からの方々に日系の若者の存在を知ってもらうことができたことは最大の収穫でした。

 何故に戦後移住50周年式典についてここまで書くかといえば、日本祭り期間中の開催によって相乗効果が予想以上に生じたからです。まさに日本祭り開催だけでは不可能な効果が出て、それによって日本祭が飛躍的に発展したと確信しています。式典開催に漕ぎ着けるまでの紆余曲折を現在回想しても、その経緯にワクワクします。そして、日本祭りの協賛者を説得させる要因となったことは確かで、領事館、JICAに加え、JETROも参加することとなりました。各県人会としても各県からの来訪者との交流ができて喜ばれましたし、相乗効果が最も顕著に現れた例として活用してもらいたいものです。

 第7回は、田畑稔鹿児島県人会会長が実行委員長に就きました。会場全域を使い、州議会の玄関まで使用することとなりました。議長が代わり、次年は州議会が使用できないことは暗に告げられていました。3年目ですので改良を加え、企画・運営面も問題なく、6回にも増して入場者が多く、入りきれないほど大盛況でした。日本政府は青森県出身の木村太郎農林水産省政務次官を派遣してくださいました。丁度JICAを通して青森県のりんご栽培紹介のため、サンタ・カタリーナ州政府農務局(EPAGRE)を招待していたものですから、そのブースに案内したところ大変感激しておられました。

 この年、日系社会のイベントとしては初めてかと思いますが、企業の税金の一部を文化事業へ協力できるレイ・ルアネー(Lei Rouanet)を使っての協賛金が加わりました。トヨタ社がこの施行を積極的に指導して下さり、他社にも働きかけて実現できました。
 この件も日本祭りが社会的に認められた重要な証であります。この責任者の矢野セリナさんは、よくまとめてくれました。

 ところで、前年から州議会での開催に大きな問題が出ていました。それは特別な駐車場がなく、ルア(道路)に駐車すると車を見るという理由だけでとんでもない金額を請求されることが多発していたことでした。第2師団本部が隣にあるし、議会、軍、そして警察に協力を要請しても、何等解決策がなく、これ以上の開催は無理とも考えていました。JETROの桜井悌司所長はイタリアでのイベント開催など経験豊かでご指導を頂きました。所長にはこの種の行事では世界一と評価され、第8回の企画をより充実した日本祭りを目指し、幾度となく相談しました。(つづく)

2010年12月1日付

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