「松井太郎さんと語る」 岡村作品の試写を通して 

「松井太郎さんと語る」 岡村作品の試写を通して
生前の松井太郎さん(2010年9月、本紙撮影)

移民作家の思いを振り返り

 去る9月1日、ブラジル日本人作家の松井太郎さん(兵庫県神戸市)が99歳で亡くなった。今月には100歳の誕生日を迎えるはずだった。ブラジル日系社会の文学界に20を超える作品を発表した中、長編『うつろ舟』が2010年、日本の松籟社(しょうらいしゃ)から出版されたことで、晩年にして一躍脚光を浴びた。松井さんと懇意にしていた記録映像作家の岡村淳さん(58、東京)が、2011年に製作・構成・撮影・編集したドキュメンタリー作品「移民小説家 松井太郎さんと語る 西暦2011年版」の試写を、このたび見る機会を得た。その内容を紹介し、松井さんの移民作家としての思いなどを振り返る。

 松井さんは1936年、19歳の時に家長である父親の意思により、「もんてびでお丸」で家族とともに渡伯した。農業生産の傍ら、好きな読書が高じて、還暦(60歳)を迎えてから本格的に小説を書くことに専念。これまでに20を超える作品を生み出し、『コロニア文学』『のうそん』『ブラジル日系文学』などにも発表してきた。
      
 岡村さんが同作品で松井さんをインタビューしたのは、2011年12月。10年に日本で書籍化された『うつろ舟』に続いて、当時は2冊目の出版準備(『遠い声』12年松籟社発行)をしていた時期だった。好きな読書の際に目の不調を訴えながらも「かえって念を入れて(書籍を)読むことができる」と話す松井さんは、小説家としての最近の動向について質問され、「清書したら、2つ、3つ発表できるものもある」と、まんざらでもない様子だ。

 そうした中で「2冊目(『遠い声』)を(日本で)出すということは、(関係者は)損はしてないんでしょうな。いくら志が高うても、先立つものが無いとね」と尋ねる松井さん。1冊目の『うつろ舟』の在庫が無くなるほど好評だとの岡村さんの説明に、「それは、ありがたい。あんたらが宣伝してくれたから」と充実した表情を見せながら、感謝の気持ちを語る。

 同書は岡村さんの友人である国際日本文化研究センター教授の細川周平氏、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授の西成彦氏が奔走して編者となり、日本での出版が実現。松井さんは、こうした人々との出会いがなければ「(『うつろ舟』は)埋もれて消えていたですよ。私の本心は、日本から来た先生たちがこれだけ(自分の作品に)肩入れしてくれて本当に良かったのかということ」と控え目に話しながらも、同書が好評を得た事実に「これはやった、とホームランを打った思いで、いつ死んでも満足と細川さんに手紙を書いた」と喜びを表していた。

 松井さんは04年、日系社会で『コロニア狂言集』を発表しているが、その評価が自分の耳に入ったのは「(発表から)10年経ってから」だったという。それでも「筆を折らずに表現を続けてきた根源」について、「小説が好きということに尽きる」と強調する。

 日系社会での戦後の勝ち負け抗争について松井さんは、「勝ち組」関係者が当時のマリリアの自宅にも来たことも説明しながら、自身の父親に「(勝ち組を)相手にするな」と注意した記憶を振り返る。その上で、「(敗戦した)日本を援助しようというのが本当の愛国心。日本が勝ったというなら、なぜ(勝ち組の)代表者を10人でも20人でも日本に行かせなかったのか。あんだけ(戦勝したということを勝ち組関係者が)思い込んだら、しょうがないけどね」と持論を語る。

 また、親に連れられて渡伯した松井さんは「やっぱりブラジルが第一」と言いつつも、「日本では小説を書く気持ちはなかった。日本へのサウダーデ(郷愁)が自分に小説を書かせる原動力になった」と本音を明かす。

 ドキュメンタリー作品の最後は、ミナス旅行に行った孫からの土産としてもらった笛のことを句にした松井さんの思いで締めくくられる。「生きのびて もらった笛を 吹いてみる」―。晩年になって小説家として花開き、残された人生を味わう松井さんの充実した気持ちが込められている。

2017年10月19日付

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