「油送船移民」の航海㊥ 発砲の背景に大統領命令

「油送船移民」の航海㊥ 発砲の背景に大統領命令
油送船プレジデンテ・ヴェンセスラウ号(株式会社IHI広報部提供写真)

 1960年当時のブラジルに外国資本の造船所は無く、石油も100%輸入に頼っていた。牧田弘行さん(83、東京)は「造船所を造る国家プロジェクトを外国資本(日本)の企業に任せることに、ブラジル国内(主に海員組合)から批判の声が上がっていた」と、虚偽のタレコミが流れた背景を語る。

 ブラジル海軍の軍艦が発砲した最たる理由は、大統領命令(当時はジュセリーノ・クビチェック大統領)で捕獲して調べろという指示があったからだそうだ。牧田さんは「後から伝え聞いた。信じられない話だった。誰も語らず、報道も一切されなかった」と振り返る。

 発砲された61年1月16日、サントス港に入港し、積んできた石油を降ろした。同港には石川島重工業の土光敏夫社長(当時)が迎えに来てくれていた。入港して間もなく、タクシーでサンパウロ市へ向かい、料亭「青柳」で食事をし、酒を酌み交わしたという。ブラジル政府、クビチェック大統領との交渉に成功して石川島ブラジル造船所(通称・イシブラス)建設を実現させた土光社長は、油送船「プレジデンテ・ヴェンセスラウ号」の航海について何も語らなかったそうだ。

 牧田さんは「イシブラス建設に批判的な政治家などが少なからずいたことは推測できる。何も語れなかったのではないか」と当時を振り返る。

 同年1月18日、リオの船着き場プラッサ・マウアに到着した牧田さんら一行は、盛大な歓迎パーティーに招待された。牧田さんは「大統領が来ていたかどうかは分からなかったが、海軍の軍事担当や、工業連盟の人が大勢集まっていた」と当時を懐かしむ。

 牧田さんが着伯した前年、クビチェック大統領(当時)がリオデジャネイロから新首都ブラジリアへ遷都を実現させた。同時に同大統領が「50年を5年で」というスローガンを掲げて工業化推進政策を進めていたブラジルの中で、港湾都市リオデジャネイロが首都である最後の時期に、日本初の海外造船所・イシブラス建設を受注・着手し、日本重工業の海外進出を先駆けた石川島重工業にとっても変革の年であった。

 牧田さんの「50年以上経った今だから話せる」と絞り出すように語る声から、壮絶な航海の記憶が蘇ってきた。(つづく)

2017年10月5日付

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