「油送船移民」の航海㊦ 多岐にわたり活動する牧田さん

「油送船移民」の航海㊦ 多岐にわたり活動する牧田さん
美港会で出展した絵と牧田さん
「油送船移民」の航海㊦ 多岐にわたり活動する牧田さん
1997年、皇后陛下にサンバの概要を説明する牧田さん(上部右端)

 油送船「プレジデンテ・ヴェンセスラウ号」に通訳として乗船し、1960年にリオ到着後、中南米最大、随一の造船・重工業会社として発展した石川島ブラジル造船所(通称・イシブラス)の現地採用社員となった牧田弘行さん(83、東京)は、同社で25年間、営業・企画担当として勤めた。

 86年、会社の方針で旅行会社を子会社として買い取ることになり、同子会社の社長に就任。その後、イシブラスの経営が悪化。イシブラスからの支払いが途切れる状況になり、同子会社が上げてきた利益で会社を買い取り、12年間社長を務めた。日本には同子会社時代に仕事で何度か行く機会があり、98年に引退するまで、デカセギの人たちを1回30人のグループで2カ月に1回程度、日本へ送っていたという。

 82年には、リオデジャネイロ日系協会の専務理事に就任し、6年間務めた。88年からは同協会長を2年間、90年からはリオ州日伯文化体育連盟(連盟)の副会長も10年間任された。同協会長時代には移民80周年を迎え、連盟副会長時代の97年には、ご来伯された天皇皇后両陛下の歓迎行事を引き受けていた連盟を筆頭に、リオ州日系4団体(同協会、同連盟、日伯文化協会、商工会議所)と総領事館が連携し、両陛下が参列する式典でサンバショーを企画。連盟の故・菅原和司会長(当時)が天皇陛下に、牧田さんが連盟副会長として皇后陛下にそれぞれサンバの概要を説明した。

 2007年には、長年にわたりリオデジャネイロ日系社会の重役を務めた功績が評価され、日本政府の「旭日単光章」を受章した。

 現在はリオ美港会(松本泰子会長)の副会長を務めている。同会は40人の会員が絵画を出展し、毎年展覧会を行っている。今年で29回目を迎えるが、牧田さんは初回から作品を出展し続けてきた。「子供の時から絵を描くのが好きだった」と穏やかな表情で話す牧田さんは、高校時代から本格的に絵を描き始め、美術部の部長も務めていたそうだ。今年も11月に同展覧会が開催され、ドイツのモンシャウ(ベルギーとの国境付近)に訪れた際に描いた絵を出展する。

 バイオリンも長年弾いていた牧田さんは、日系協会の音楽会に10回近く出場したという。

 多彩な牧田さんの「色々な経験をさせてもらった」という言葉の裏には、想像を絶する波乱の航海や、リオ日系社会での華々しい活躍の記憶があった。(おわり)

2017年10月6日付

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