「老い」について考える 第1部 終

日差しが差し込む介護施設の廊下

家族や社会との積極的な交わりを

孤独な老人の増加について、ある県人会の事務局長は「邦字紙は偉い人が表彰されたなんていうような記事よりも、どこの誰が1人で困ってというような話をたくさん書いてほしい。助け合いたい。みんな老後が心配で不安なんだ」と邦字紙に対する要望をぶつけ、熱を帯びた自らの話に涙を浮かべていた。
確かに、ブラジルの邦字紙はアメリカやアジアの邦字紙などと比較して公共団体にかかわる記事が多く、市井に生きる人々の身近な情報が少なく感じる。邦字紙にできることもまだまだあるはずだ。

また、日本からブラジルを訪れ、「日系高齢者の終末期」をテーマに論文を書いている東京大学大学院所属の日本人女性は、日本とブラジルの社会制度の違いについて「日本は2000年から介護保険制度が始まり、皆が介護される老人に手を差し伸べているが、ブラジルは寄付に頼っており20年は遅れている。日本ではそれぞれの地区にいる区長さんのような存在もブラジルには居ないため、地域と関係を持たない独居老人などは社会に埋もれており見付けにくいだろう。死に際は個人の死生感に委ねられている」と指摘する。まだきずなが残るコロニアならば、できることはまだあるのではないだろうか。

加えて、これまで要介護の老人を数多く見てきたデイ・サービスセンターの関係者は高齢者について、「高齢者でも人と交わり会話するといった適度の緊張や刺激を与えてあげないと痴呆が進む」と話しており、孤独の与える心身への悪影響を説いた。
身寄りもなく長年、要介護老人ホームに入居する高齢者を知ったことから、第1部では「孤独」をテーマにコロニアの高齢者について取材を進めてきた。日本と異なり、ブラジルの日系コロニアの高齢者が終末期に孤独にならないためには、個人が家族や社会などのコミュニティーに対して、より積極的に関係を持ち続けるしかないということが特徴として挙げられるだろう。本人が黙っていては社会福祉制度未発達なブラジルでは手を差し伸べてもらえにくい。

東日本大震災の発生によって取り上げられることの多くなった「きずな」こそが、ものを言うのかもしれない。恐らく邦字紙を購読して日系社会の情報に気を配り、そこに参加している高齢者には社会的なつながりがあるが、異国で民族の渕をさまようような生活をしてきた人は、早急な準備が必要だろう。(第1部おわり、植木修平記者)

2013年5月14日付

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