【今月のエッセイ】「現代の日本に失われたものに気づかされる」日本人移民110年の軌跡  サンパウロ市在住 大浦 智子

【今月のエッセイ】「現代の日本に失われたものに気づかされる」日本人移民110年の軌跡  サンパウロ市在住 大浦 智子
大浦さんと子供たち

 22歳でブラジルにやって来て、最初にグァルーリョス空港に迎えに来てくれた人だった主人と結婚して16年。親子ほど年の違う夫は工業移住者として1975年にブラジルに渡り、長らくブラジル生活を送っていた日本人で、来年は古希を迎えようとしている。高齢化する日本人移民の中では若手らしく、今だって心底若いと思いこんでいる「なんて幸せ者なんだろう!」。

 それはさておき、これまで日本本国の家族と切り離され、我が家の生活基盤を温かく支えてきてくれた方々は平均年齢 代から 代の元気な日本人・日系人ばかり。私の祖父母と同世代かほんの少し若いくらい。日本にいたら知り合う事も話を聞かせてもらう事もなかったであろう人生の大先輩方から、その生き様には多く感化されてきた。

 私は祖父母から戦時中に満州にいたこともシベリアに抑留されていたことも祖父の弟が特攻隊でその生涯を閉じたことも、本人たちの口から何一つ聞かされずに育った。

 と同時に、祖父母世代の日本人の精神をあまり受け継ぐことなく根なし草日本人女として育ったのではないかと、ブラジルの日系社会で出会う一世移民やその子孫たちと接することで、ふと自分は実は本来の日本人らしくない日本人なのではないかと感じる時がしばしばあった。

 最初の日本人移民がブラジルに足を踏み入れてから110年の今も、ブラジルの日系社会に接すると、「現代の日本が失ってきたもの」が日本よりも温存されているのではないかと思うような場面に遭遇する。

 女性の場合、それは何でも手作りして大家族や多くの来客に家庭的なおもてなし料理をふるまうとか、理不尽なことがあっても爆発しない忍耐力(それも我慢しているわけではなく昇華してしまうような)とか。

 少なくても私にはどうも身に付いておらず、そのことがかなりコンプレックスになったり、恥ずかしかったりすることがある。

 これまで見返りを求めず救いの手を差し伸べてきてくれたブラジルの日本人、日系人、ブラジル人、海外出身の友人知人たち。日本でも色々な人に助けられてきたとは思うが、ブラジルほど助けられる必要もなかったし、あまり助けられて生きることを知らなかった。だから自分が他を助けるという事にも鈍かったと思う。少なくとも日本人移民110年の中で築いてきた日系人の基盤があるからこそ、なんとなく現代の強そうで実は弱い日本人女の私でも、これまでブラジルで生き延びることができたのは間違いない。来年は「不惑の年(40歳)」を迎える。人生の折り返し地点に立ち、これまでたくさんの人から受けてき慈 愛を今度は与えるような人間に成長できるだろうか。

2018年8月28日付け

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