【2016年新春特集】ミュンヘン五輪で銅メダル獲得 石井千秋さんに聞く人生と今後の期待

ミュンヘン五輪で銅メダル獲得 石井千秋さんに聞く人生と今後の期待
昨年5月に来伯した講道館の上村館長(左)と

 1972年に開催されたミュンヘン五輪に柔道ブラジル代表として出場し、軽重量級で初の銅メダルを獲得した経験を持つサンパウロ市在住の柔道家・石井千秋さん(74、栃木)。今年8月に開かれるリオ五輪を前に、石井さんの人生を改めて振り返るとともに、今後のブラジル柔道界への期待など話を聞いた。(松本浩治記者)

 石井さんは1941年10月1日、栃木県足利市で五男の末っ子として生まれた。石井家は祖父の時代から柔道を行っており、父・勇吉さんに仕込まれ、兄たちとともに石井さんも4、5歳の頃から柔道を始めたという。

 「千秋」という名前は、父の勇吉さんが徴兵によりビルマ、スマトラなどの戦地を転戦し、「一日千秋(せんしゅう)の思いで待て」との思いを込めて名付けられたそうだ。

 また。慶応2年生まれの祖父・清吉さんは、若い時から柔術を行っており、講道館創始者の嘉納治五郎氏から「講道館で柔道をやらないか」と誘われ、入った時には六段を贈られたというから、祖父の代から一流の柔道一家だった。

 「小さな頃から柔道の暑中稽古、寒中稽古と滅茶苦茶にシゴかれましたが、そのお陰で小中学校時代はいつも番長でした。中学で黒帯、高校で三段となり、大学に入ってすぐに四段となるなどトントン拍子に上っていきました」

 当時、150人もの部員数を誇った柔道の名門・早稲田大学に入学した石井さんは、朝昼晩と柔道の稽古に明け暮れ、1964年に開催された東京五輪の柔道日本代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、前年の63年の予選会で、当時中央大学1年生で「昭和の三四郎」の異名を取った岡野功さんに敗れ、日本代表としての出場の夢を絶たれた。石井さんは64年3月の卒業後、「オリンピックに出られないなら、ブラジルでも行くか」と海外に出ることを決意した。

 当時、石井家の三男がフランスやイタリアなどヨーロッパで柔道を普及しており、「カウボーイに憧れていた」という石井さんは三男の兄から「お前はヨーロッパには向いていない」と言われたこともあり、アメリカには日本が戦争に負けたことで「敷居が高い」と思い、22歳の時にブラジルに行くことを決めた。

 呼び寄せにより農業移民としてサンパウロ州プレジデンテ・プルデンテの農業学校に入った石井さんは、2年契約で落花生作りなどを行ったが、当時ブラジルでも柔道の有段者会があり、着伯すぐに全伯大会に出場し、「皆やっつけた」という。

 「石井千秋」の名前はブラジルでも広まり、「田舎の道場を回ったり、指導をすると少しばかりのお金をもらえた」と石井さんは当時を振り返る。ブラジルに来て約1年後、石井さんは黒帯を担いで南米を放浪することに。俗に言う「道場破り」だった。アルゼンチン、チリ、ペルー、ボリビアなど各地の道場やクラブに行き、「柔道の有段者です。1本お願いします」とあいさつし、50~60人を並ばせて自分の技をかけて倒すと道場主たちは「ぜひ、残って指導してほしい」と言われることが多かった。

 そうした放浪生活で1年半ほど過ごした後、ブラジルに戻り、日本で婚約していた惠子夫人を呼び寄せた。

 その頃、戦後移民でブラジル柔道界の先輩でもあった倉智光さんから「いつまでも若いわけでもなく、今だから『先生』と回りが言ってくれる。お前は才能があるんだから、ブラジル代表としてオリンピックに出てみろ」と言われたことが大きな転機になった。

 五輪に出場することを目的にブラジル人に帰化した石井さんは、聖州大会、全伯大会、南米選手権、汎米選手権、世界選手権に出場して好成績を収めるなど、ブラジル代表選手となる階段を一歩ずつ登り詰め、72年のミュンヘン五輪に柔道軽重量級選手として出場することになった。

 現在のブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野脩平氏が石井さんらブラジル代表の監督となり、ミュンヘン五輪開幕前の3カ月は東京の道場で特訓を行い、東京からまっすぐミュンヘンに向かったという。

 ミュンヘン五輪で柔道軽重量級に出場した石井さんは、3回戦で当時の西ドイツのバルト選手と対戦。同選手とは前年に西ドイツのルートヴィヒスハーフェンで開催された第7回世界選手権でも戦い、石井さんがわずか5秒で1本勝ち。銅メダルを獲得していた。そのバルト選手は石井さんへの雪辱を果たそうと必死に食い下がり、石井さんは2回投げたが審判の判定が悪かったこともあり、まさかの判定負けを喫した。敗者復活戦に挑んだ石井さんは苦戦しながらも勝ち上がり、オリンピックでブラジル初の銅メダルを獲得することができた。

 世界的にも有名になった石井さんは、ブラジルの日本人及び日系人の協力も受けながら聖市内に道場を開き、3人の娘たちも柔道を継承。長女のタニア千恵さんはブラジル女子代表として92年のバルセロナ五輪に出場。三女のバニア幸恵さんも2000年のシドニー五輪、04年のアテネ五輪に出場したほか、日本の実業団チーム「コマツ」に入り、汎米大会で金銀銅メダルを獲る成績をあげるなど各種国際大会で活躍してきた。また、タニア千恵さんの娘や息子たちも米国で柔道強豪選手となっており、石井さんの祖父の代から数えると「黒帯五代」となる。

 石井さんは2014年3月に「ブラジルの柔道のことを知ってもらいたい」と『ブラジル柔道のパイオニア』を出版。昨年11月下旬には、弟子たちの厚い思いと協力を得て、そのポ語版も発刊した。

 現在のブラジル柔道について石井さんは「国際大会が多く昔のような苦しい乱取りの稽古が少なくなり、選手にハングリーさが無くなった。今の選手は大会に出ると金をもらえるし、自分の技も持たずに判定勝ちで結果を出すことだけを考えている」と批判する。そうした中で「格闘技なんだから、相手をブチ殺すぐらいの思いで自分の技を持って戦ってほしい」とブラジル柔道の今後に期待していた。

2016年1月1日付

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