【特集】和歌山県民移住100周年式典 仁坂知事、尾﨑県議長らが来伯出席

和歌山県民移住100周年式典 仁坂知事、尾﨑県議長らが来伯出席
祝辞 和歌山県知事 仁坂 吉伸

和歌山県民移住100周年式典 仁坂知事、尾﨑県議長らが来伯出席

 谷口会長はじめ和歌山県人会の皆様、御来賓並びに御臨席の皆様、「和歌山県人ブラジル移住百周年記念式典」が、盛大に開催されましたことを心よりお慶び申し上げます。

 和歌山県からブラジルへの移住は、今から100年前、大正初期に始まったことが記録されています。神戸港を出港し、アフリカ大陸最南端の喜望峰を経由、およそ2か月をかけてサントスに到着し、内陸にあるコーヒー園へ向かわれたと聞いております。当時移住された方々は厳しい住環境や労働条件、あるいは干ばつによる不作など、幾多の困難を乗り越えられ、文化や風習、言語の異なる異国の地で生活の基盤を作り上げられました。そして、そこで得た多くの財産を日本にいる家族や故郷に送金し、当時の日本を支えてこられたのです。

 またこの100年間の歴史の中で、第二次世界大戦後の日本は、食糧難・就職難の時期があり、さらに1953年(昭和28年)には、ふるさと和歌山を大水害が襲い甚大な被害をもたらしました。このような社会情勢を背景に、和歌山から大勢の方々が新天地を求めてブラジルへと渡られました。和歌山県から移住された方々は、その勤勉さとたゆまぬ努力で信頼を勝ち取り、今日の日系人社会の繁栄を築いてこられたのです。ここに改めて、移民の先駆けとなった方々へ、そしてブラジルの地で御活躍なされる県人会の皆様方に、深い敬意の念を表します。

 県人会におかれましては、周年の式典を5年ごとに開催されており、55周年、及び60周年記念式典には私も出席させていただきました。楽しい時間を御一緒する中、皆様方のふるさと和歌山への熱い思いに心を打たれたことを昨日のことのように思い出します。

 ブラジルでの移民の歴史が100年を超え、2世、3世へと世代が引き継がれる状況にあって、周年の式典はもとより、この度の「移住百周年記念式典」が開催されることは先人たちの御功労を顕彰するとともに、皆様がそのルーツを再認識する機会として、大変意義深いものであると考えております。

 和歌山県といたしましても、2009年から実施しております県人会の子弟受入を引き続き実施していくことで、県人会の皆様との絆を強めてまいりたいと考えております。

 和歌山県出身の皆様が、このブラジルの地において多くの苦労を乗り越えられて、今日の生活を築かれているように、皆様の故郷和歌山県も残された皆様の同胞がたくさんの困難を乗り越えて、元気に今日の和歌山を作っています。来る2019年には「ねんりんピック」、2021年には「国民文化祭」や関西一円で開催される「ワールドマスターズゲームズ」などが和歌山を舞台に開催されます。皆様方には、これらの機会に是非、里帰りしていただき、皆様の同胞との交歓を楽しんでいただき、和歌山の魅力を十分に堪能していただければと願っております。私たちはいつでも皆様を歓迎いたします。

 結びに、谷口会長をはじめ県人会の皆様、御来賓の皆様、御来場の皆様方の更なる御活躍と、御健勝をお祈り申し上げ、挨拶といたします。

 

祝辞 和歌山県議会議長 尾﨑 太郎

和歌山県民移住100周年式典 仁坂知事、尾﨑県議長らが来伯出席

 和歌山県議会議長の尾﨑太郎でございます。まずはじめに、「和歌山県人ブラジル移住百周年記念式典」が多くの皆様のご参加の中で盛大に開催されましたことを、和歌山県議会を代表いたしまして心よりお祝いを申し上げます。また谷口会長をはじめ県人会の皆様のご配意により、私たち和歌山県議会の議員をこの記念すべき場にお招きいただいたことにつきまして、厚くお礼を申し上げます。

 私自身、「在伯和歌山県人会創立50周年記念式典」に出席をさせていただいており、このたび、13年ぶりにここブラジルの地を訪れることができました。「百周年」という大きな節目に、はからずも県議会の代表である議長として皆様にお目にかかることができ大変感激をしております。前回の訪問時と同様、ブラジルのこと、和歌山のことなど色々とお話をして楽しい時間をご一緒に過ごさせていただきたいと思っております。

 私たち訪問団は、和歌山を出発し約30時間をかけて当地に到着しました。世界の国々への移動が非常に速く便利になった今日でも、ブラジルは本当に遠いところだと改めて実感した次第です。ましてや今から100年前に移民としてブラジルに渡った先人の方々が、地球をちょうど半周したこの遠く離れた異国の地で、言葉の壁や日本と異なる食文化、生活習慣、風土病のマラリアなど数々の困難に直面しながらも開拓魂を発揮し乗り越えられた、ひとかたならぬご苦労やご努力に心から敬意を表したいと思います。

 また県人会の皆様が、和歌山を母なる故郷「母県」と想い慕っていただき、ブラジルと日本との友好親善にご尽力されておりますことに対しまして、併せて深く敬意を表し感謝を申し上げる次第です。知事の挨拶にありましたとおり、今後、「ねんりんぴっく」や「国民文化祭」、「関西ワールドマスターズゲームズ2021」など和歌山を舞台に開催される催しが目白押しです。この機会に、皆様方も、是非また和歌山へお越しいただき、世界遺産や温泉など「ふるさと和歌山」の癒やしを満喫していただくとともに、和歌山が誇る海の幸、山の幸も存分にご賞味いただければ幸いです。和歌山県議会といたしましても、今日、皆様とこのようにお会いしたことで、皆様のふるさとでもあります和歌山の発展と両国の友好の絆を深めるため、さらに全力で取り組んでいかなければとの思いを強くしたところでございます。

 最後になりましたが、谷口会長はじめ和歌山県人会の皆様、ご来賓の皆様、そしてご来場の皆様のご活躍とご健勝を心からお祈りいたしまして、お祝いのご挨拶とさせていただきます。

 

ごあいさつ ブラジル和歌山県人会連合会会長 谷口 ジョゼー眞一郎

和歌山県民移住100周年式典 仁坂知事、尾﨑県議長らが来伯出席

 和歌山県人ブラジル移住100周年記念式典にご参加して下さって誠に有難うございます。和歌山県から世界へ移住した県民は第二次世界大戦前がおよそ31万人で戦後がおよそ2千人であります。そのうちブラジルに関する和歌山県の移民者送り出しは1908年の笠戸丸より8年遅れて開始され戦前戦後を通して1600家族人数は6000人と推定されています。

 初代の移住者は皆、誰一人残らず、過酷な生活を挑まなければなりませんでした。まず慣れていないポルトガル語の壁、それから異なった食文化と習慣など。それに加え、最低的な住宅に余儀なく暮らし、数多く犠牲者を残した熱帯地であるこの国の風土病のマラリアなどを問わず、毎日自分らの経済的独立の夢を目指し、朝から晩まで夢中に働きました。皆同じく金を儲けて繁盛する夢を抱えながら一生懸命努力しました。中には繁盛して故郷に錦を飾る者もいました。和歌山県移住者の内に偉大な人物もいました。そのうちの松原安太郎は戦後、当時ブラジル共和国の大統領ジェッツリオヴァルガスの友人となり、ドラードス近郊森林の譲歩を得て松原植民地を開拓しました。そこへ和歌山県から戦後移住した人々は幾多の困難を乗り越え、やがて出世しました。

 もう一人の実力者は竹中儀助であった。農科の範囲で商業の経営で繁栄し、和歌山県人会の創立者でもあった。また中井繁次郎もいました。彼は初代の和歌山県人移民として100年前サントス港に到着した。サントスに存在し幾隻の漁船を所有し、漁業で繁栄した。サントス日本人会の会長役も務めた。

 しかし、皆成功したとは言えないけれど、生き残った者は殆どブラジルで生まれた子弟を通して花を咲かせた。ブラジル人として生まれた彼らは親の弛まない努力によって支えられ、勉強した。その挙句、2世、3世は立派な成人としてブラジル社会のエリート階級に属するようになった。けれども自分の幼い子を残し、他界した悲惨な最期を遂げたものも少なくありません。

 その中で「笠戸丸」初代移民「平野植民地」で起こったマラリア風土病の悲劇は有名である。またシャガス感染病で命をさらわれた者も多い。その中で無縁仏として放棄された遺体もかなりあったそうです。この異郷で苛酷な運命で終えた彼らのため、心から尊敬し、ご冥福を祈る次第であります。

 現在、ブラジルに存在する和歌山県人の子孫はおそらく4万人位と推定しても越したことではないと思います。しかし、民の混血が進み、殆ど日本語を理解できず、日本文化に興味が浅い日系人も増加している昨今であります。それも自然と移り変わる時代の影響であるのでしょう。せめて日本文化と伝統だけは守っていかねばならないと思います。和歌山県人会子弟の我らもこれから先も力を合わせ、出来る限り頑張らなければならないと思います。

 以上をもちまして私のご挨拶と致します。有難うございます

 

2017年11月4日付け

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