【移民110周年特集】アマゾン移民入植89周年 機運が高まる来年の入植90周年

【移民110周年】アマゾン移民入植89周年 機運が高まる来年の入植90周年
マナウス近郊を流れるネグロ河

「緑の地獄」から「緑の宝庫」に

◆戦中の混乱、戦後の再ピメンタ・バブル

 41年、第2次世界大戦が勃発し、翌年には日伯の国交が断絶。日本人移民は敵性国民としての扱いを受ける。

 ベレン沖で日本と同盟国のドイツ軍の潜水艦がブラジル人が乗った客船を撃沈したことで、ベレン市内では日本人を含めた枢軸国民の家屋や商店などが焼き討ちされる事件が起こった。

 46年には戦時中に凍結されていたアカラー産業組合の運営権を取り戻す動きが強まり、トメアスーで「トメアスー農民同志会」が発足。運輸権を復帰させるために49年にはアカラー産業組合から「トメアスー産業組合」に改称された。そして52年、戦争でアジアのピメンタ栽培が低迷したことに端を発し、ピメンタが大高騰する。約44万本の樹が、当時で約300億円の現金収入をもたらし、移住地には「ピメンタ御殿」が立ち並んだ。翌年には戦後第1回移民がトメアスーに入植し、60年には第2トメアスー移住地建設が始まった。その後も65年にベレンで移民援護協会が発足するなど、ベレン、トメアスーを筆頭にした東部地域は、紆余曲折を繰り返しながら、援護協会十字路病院の発足など今日まで医療、治安、森林農業、教育などの充実による「アマゾンにある日本モデルの街」を目指して発展を遂げてきている。

 53年、戦後第1回ジュート移民17家族54人の一行がアマゾナス州パリンチンスに入植。アマゾン河が約50年ぶりの大洪水に見舞われた年だった。アマゾン開拓功労者の上塚司、辻小太郎が、ゼツリオ・バルガス大統領に直訴し、5000家族2万5000人のアマゾン・ジュート移民の枠を得ることに成功した。当時のブラジルが、アマゾンのジュート産業を重要視していたことが良く分かる事実だ。

 また、57年にはアマパー州マザゴン植民地、59年には、ペルーとの国境に当たるアクレ州キナリー移住地に、61年にはロライマ州タイアーノ移住地に、それぞれ入植が始まり、アマゾン地域全土へと移民が拡大していった。

◆日系人の増加により、各地に日系団体が増加

 57年にマナウスが自由貿易地域として法定化され、67年から活動が開始されることを受けて、日系進出企業が注視。65年には、マナウス市に総領事館が設立され、69年のアマゾン入植40周年時にマナウス日本人会会館が落成した。翌年にはマナウス日伯文化協会に改称され、80年に西部アマゾン日伯文化協会が設立された。現地日系社会の発展、進出企業の増加により、81年に同公館はマナウス総領事館へと昇格した。

 89年、ベレン、トメアスー、マナウスで入植60周年記念祭典が開催され、ベレンではこの年から例年9月の日本週間が幕を開けた。95年にはマナウス市でも日本週間が条例として制定された。

 ベレンでは、34年に領事館が設置され、55年から総領事館に昇格してから2012年に降格されるまで57年間の長い歴史があった。

 そして今年、来年のアマゾン入植90周年に際して、総領事館への再昇格が「内々定」しているという話題が浮上している。背景には、パラー州内で、中国資本の企業、商店の進出が近年目立っており、州立大学内には中国政府機関孔子学院の助成で中国語学科が創設されるなど、中国政府がアマゾン地方進出のためにベレンを拠点にする構想を持っていることが明確にうかがえる影響も大きい。

 中国系企業との覇権争いは元より、在留邦人・日系人が全伯でサンパウロ、パラナに次いで多いベレンの総領事館復活は既定路線と言えよう。

 「緑の地獄」を「緑の宝庫」へと変貌させる大きな役目を果たしてきた日本人移民の入植90周年祭に、日本政府は花を添えられるだろうか。

2018年6月23日付

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