【移民110周年特集】バストス入植90周年 例年通り18日に慰霊祭を実施

【移民110周年】バストス入植90周年 例年通り18日に慰霊祭を実施
バストスの町並み

卵祭り、柔道・野球大会も開催

【移民110周年】バストス入植90周年 例年通り18日に慰霊祭を実施
7月の「卵祭り」で展示される「卵富士」

 海外移住組合連合会が、1928年6月18日に移住地売買契約登記を完了・開設して以来、今年で入植90周年の節目の年を迎えたサンパウロ(聖)州バストス。養鶏の町として現在も栄え、ブラタク製糸株式会社による生糸生産のほか、柔道や野球などの武道及びスポーツが盛んな地としても有名だ。バストス日系文化体育協会の海老澤孝治(えびさわ・たかはる)会長(60、茨城)は、今年の入植90周年及び移民110周年について「特に変わったことはしない」と話しているが、例年通り6月18日に執り行った慰霊祭をはじめ、7月中旬の卵祭りと同祭に併せての柔道大会や、日伯親善野球大会(8月)が予定されているなど、行事が目白押しの状態だ。

 バストス移住地の設立について、「バストス二十五年史」には「海外移住組合聯合会が一九二七年八月一日に設立せられ、同年十月下旬、故梅谷光貞氏が専務理事として渡来、移住地の建設に就いて調査研究。越えて一九二八年、移住地の選定に着手、六月十八日、バストス移住地購入の手続きを完了。爾来同日を以って移住地創立記念日と定められ、・・・」などと記されている。

 29年4月には、ブラジル拓殖組合が設立され、支配人として故・畑中仙次郎氏が着任。同年6月にバストス移住地への第1回移民が入植している。それらと並行して、他の地域からの転入組や海外移住組合聯合会を通さずに、各地方自治体の組合が単独で移住組合員の送りだしを行っていたところもあったという。

 移住地の総面積は1万2000アルケール(約3万ヘクタール)。1ロッテ10アルケール(24ヘクタール)ごとに区切り、各区ごとに平均して「80×3000」メートルの縦長の区画割りを家長が、くじ引きで選んだと言われている。

【移民110周年】バストス入植90周年 例年通り18日に慰霊祭を実施
勝ち組の凶弾に倒れた脇山甚作氏(手前)と溝部幾太氏の墓

 全盛時代の50年代、約1500家族と言われたバストスの日系人口は、12年前の2006年には約800家族と減少したが、現在は日本に出稼ぎ就労に行っていた家族が帰伯するなどし、約1200家族と増えているという。

 現在の文体協は、30年頃に「バストス自治会」として設立。その後、日本人会となったが、第二次世界大戦に突入後は敵性施設として閉鎖を余儀なくされ、各地の日系社会で戦後10年におよぶ「勝ち負け抗争」による血生臭い事件が発生したことは有名だ。特に、認識派(負組)でバストス産業組合専務理事を務めた溝部幾太氏や陸軍大佐だった脇山甚作氏がそれぞれ、46年3月と6月にバストスとサンパウロで勝組関係者の凶弾に倒れている。

 戦後の日本人会をつくりあげたのが、ブラ拓製糸専務やバストス連合日本人会会長などを歴任した故・谷口章氏だ。同氏自身、自分の子息を4人も亡くしてることから、戦後特に病院再開に力を入れたとし、当時の日本人会が病院(現在は史料館となっている)経営に着手していた事実がある。

 62年には、日本人会が正式登録され、70年代初頭には現在の会館が建設されている。

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 現在、6月18日の入植記念日には毎年、慰霊祭と敬老会が同地で開催されている。海老澤会長は「(入植90周年と移民110周年記念の今年)特に変わったことはしない」と話しているが、今年も同日に慰霊祭と敬老会が例年通り実施。7月14、15日がメインとなる恒例の「卵祭り」に併せて、昨年から再開された伝統ある柔道大会も開催される。また、同祭では、今年の入植90周年祭にちなんで会場の規模を50%拡大するという。

 さらに、8月には移民110周年を記念して、早稲田大学野球部との日伯親善野球大会も行われる予定で、同4日のバストスを皮切りに、聖州プレジデンテ・プルデンテと北パラナのマリンガでもブラジル代表などとの交流試合が実施されるそうだ。

 そのほか、90周年事業として90周年史編纂とともに、同地の移民史料館改修工事も推進されており、10年後の入植100周年に向けてさらに活動していく考えだ。

2018年6月23日付

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