アクレー取材四方山話⑥

写真:アクレー川に架かるモダンな橋
サント・ダイミ教会を再訪 10年前に死亡していた前教団長
 古野さん宅での取材を終えると、それまで私を待っていてくれた生馬氏の車でホテルへ向かった。
 ホテルでは、矢野パトリシアさんを囲んで吉田次長と中瀬シニアが日本語学校や青年ボランティアの件で最終的な打ち合わせを熱心に行っていた。

 私は空港へ出発する前に、もう1か所顔を出したい所があった。時間的には、そこへ立ち寄る余裕はまだあった。「これからホテルをチェックアウトして空港へと行く前に、ちょっと立ち寄って見たい所があるのですが皆さんどうしますか?」と、一応同行の2名に聞いてみた。
 「それはどこですか?」と、聞かれたので「サント・ダイミ教会なんですが」と、遠慮がちに私が応えると中瀬シニアが「わー、行きたーい!」と思わぬ反応を示しこれにつられて、そこにいた全員がついてゆくこととなった。

 サンパウロ新聞の読者の方なら、この幻覚宗教サント・ダイミ教会の事を4月下旬に私が連載記事で紹介したのを記憶されておられることだろう。あの記事中、ヒポリット・デ・マノエル・アラウジョ教団長の安否に触れたが、この機会にその確認をしたかったのだ。
 教会は以前、随分町外れに位置していたように記憶していたが今回住宅は途切れることなく続き、その住宅地内に囲まれるように見覚えある建物があった。やはり、17年間でリオ・ブランコの町は随分発展したようだ。

 昔と同じ鉄柵の扉を、おそるおそる開け教会前の校庭のような広場を我々は横切った。
 鉄の扉の上部に以前取り付けられていた「ようこそいらっしゃいました」という歓迎の看板は、すでに取り外されてあったのが気になった。

 人っ子一人いない広い施設内を、全員がうろうろしている時、背が高く色白の20代の女性が、不審そうな表情でどこからか姿を現した。(妙な日本人たちが居るな)とでも、思ったのだろう。
 私は「こんにちは、実はこの写真の方にお会いしたいのですが」と、昔撮ったヒポリット氏の写真を手に女性のもとへ近寄った。

 その写真を見るや「祖父はもう10年前に亡くなりました」と、その女性が言った。アジーゼと名乗った女性はヒポリット氏の孫であった。
 「自分が死んだら教会内にこしらえてあるお墓に入る」と、同氏が語っていたので「じゃ、おじいちゃんのお墓を参らせてください」と、頼むとアジーゼさん(26)が案内してくれた。しかし、「施設内外の写真撮影は父(現在の教団長)の許可が要るので一切駄目です」と、念を押されてしまった。

 17年間で、教団に何があったのか、随分ガードが固くなっているのを感じた。ヒポリット氏の墓には、幻覚茶を宗教化した初代のダニエル・ペレイラ・デ・マットス氏、2代目のアントニオ・ジェラルド・ダ・シルバ氏も一緒に眠っていた。
 墓に手を合わせた後、そろそろ引き上げようと広場を歩いていると、鉄門から小型乗用車が入ってきた。

 「あ、父だ」と、アジーゼさんがその車を指差した。「あ、それじゃ」と、私は写真を手にその車に近寄った。無精ひげを生やした眼光の鋭い中年の男性が、車から降り立った。

 この男性こそ、由緒あるサント・ダイミ教の4代目教団長フランシスコ・ヒポリット・デ・アラウジョ・ネット氏(45)であった。(つづく・堤剛太)

2010年6月18日付

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