キナリー出身の川田さん㊦ 移住地での過酷な生活を経て

キナリー出身の川田さん㊦ 移住地での過酷な生活を経て
1960年頃のキナリー移住地

 キナリー移住地入植から1年が経った1960年には長兄の川田敏之さん(86、マナウス市在住)家族の元を離れ、川田信一さん(75、長崎)はさらに1キロ先の奥地に父母と姉と4人で移り住んだ。その際、牛9頭、豚50頭、鶏300羽の家畜を飼い、犬と猫も1匹ずつ連れていったという。

 移住地での過酷な生活の中で、川田さんが見出した楽しみが狩猟だった。農業高校時代に畜産科と生物部で学んだ知識を生かし、また、日本に住んでいた頃に撃っていた空気銃の経験も役に立った。

 狩猟は「待ち伏せ猟」と言って、樹木の上に登って鹿、山豚、イノシシや「ムクラ」と呼ばれる袋ネズミなどを狙う。川田さんが愛用したのは「CBC16」という単発の重量4キロもある散弾銃。移住地で知り合ったブラジル人の友人に猟の仕方を教えてもらい、よく奥地に撃ちに行ったそうだ。

 「4000発ぐらい撃っていると、撃つ前から(獲物に)当たるか当たらないかが分かるんですよ。慣れとカンで真っ暗闇でも獲物の位置が分かるし、音が研ぎ澄まされて獲物の音に集中することができるんです」と川田さん。異国の地で日本への郷愁の思いを払拭するように、狩猟にのめり込んだ。

 その後、長兄の敏之さん家族が先にポルト・ベーリョ市に出て、農協の事務員として勤めていたこともあり、64年に川田さん家族も同市に転住。野菜作りや養鶏などの農業生産を行いながら、中央市場(メルカド)で自分たちで栽培した農産物等を販売した。メルカドに手伝いに来ていた恵美子さん(65、熊本)と知り合い、77年に結婚。川田さんが36歳の時だった。

 キナリー移住地時代をはじめ、ポルト・ベーリョでの生活で、川田さんを心身ともに支えたのが文芸部、生物部、山岳部といった高校時代の部活での経験だったという。特に読書には興味があり、サンパウロ市の日系書店から月に1冊の割合で「日本文学全集」や「世界文学全集」を取り寄せては読みふけった。また、高校時代の経験の中でも文芸部の1年先輩の女性との出会いと憧れは、川田さんにとって忘れられない特別なものだった。

 2014年に訪日した川田さんは、高校時代の同窓会名簿を入手し、現在は福岡県に住んでいるとされた憧れの女性に会いに行った。しかし、本人とは会えず、結婚した夫とも別れたことを同地の自治会長から聞かされた。元夫に土産物と連絡先を渡してもらうよう託して、川田さんの長男が住んでいた静岡県を訪問した際、元夫から電話連絡があり、女性は現在、兵庫県明石市に住んでいることを聞かされた。翌日、川田さんのことを覚えていた女性から電話を受け、2人は実に50年ぶりに話をすることができた。

 その時は結局、会うことはできなかったが、川田さんは今年年末に改めて訪日する予定で、女性との再会を今から心待ちにしている。

 現在は生活も以前に比べて楽になり、自宅でテレビを見たり、読書をしたりする日々だという川田さん。今回、初めての「あめりか丸」の同船者会に出席し、新たな思いを抱いたようだ。(おわり)

2017年5月3日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password