キューバ革命を生きた日系人㊥ 反革命派とのゲリラ戦も経験

キューバ革命を生きた日系人㊥ 反革命派とのゲリラ戦も経験
カストロ氏が演説したという広場(ハバナ大学)
キューバ革命を生きた日系人㊥ 反革命派とのゲリラ戦も経験
革命軍としてマエストラ山脈に立つカストロ氏(サンティアゴ・デ・クーバの革命広場・壁面写真)

 1946年9月、宮坂フランシスコさん(79、2世)は家族とともに首都ハバナへ。キューバの富裕層の邸宅の庭師としての仕事をするためだった。

 その後、宮坂さんはハバナ市内で高校を卒業。当時のキューバ国内は、革命の真っただ中だった。ハバナ市唯一の大学(=ハバナ大学)内では革命指導者がデモを行っており、閉校されていた。そのため、宮坂さんは就職し、銀行員となった。

 59年にキューバ革命が実現。大学が再開され、宮坂さんは「エンジニアになりたかったが、当時は商科のみしか再開されていなかった」と振り返り、「仕事につながるから」という理由でハバナ大学の夜学・商科に入学した。革命後の大学内では、フィデル・カストロ前国家評議会議長が学内広場で演説をしたり、学生の意見を聞くために、頻繁に訪れていたという。宮坂さんは「フィデルは学内の公園で、学生とよくディスカッション(議論)していましたよ」とカリスマの実像を語る。

 また、宮坂さんは学内で結成される民兵部隊に、トレーニングという名目で入隊し、仕事の終わりに訓練に参加していた。59年2月にはカストロ氏の好意で、革命軍がバチスタ政権(40~44、52~59年)とゲリラ戦を戦ったグランマ州のマエストラ山脈に連れて行ってもらったという。60年には、民兵部隊・総勢約400人が山頂まで案内された。革命時にゲリラ戦を戦った学生グループがあったため、民兵部隊には実戦経験者が多数おり、トレーナー(民兵部隊指揮者)はスペイン市民戦争(内戦、36~39年)の経験者だったそうだ。

 60年5月、ハバナに戻り、訓練を行っていると、反革命派の分子がシエン・フエゴス州のエスカンブライ山脈に潜り込んだという知らせが入った。宮坂さんは「まさかとは思った」と当時の心境を語り、民兵の1人として、同分子を追いかけた。宮坂さんは「ゲリラ戦になり、撃ち合いも2度経験しました」と革命時の奔走(ほんそう)を振り返る。

キューバ革命を生きた日系人㊥ 反革命派とのゲリラ戦も経験
ゲリラ戦が開始されたマエストラ山脈

 ゲリラ戦を終えてハバナに戻った宮坂さんは、銀行員の同僚に声を掛けられ、キューバ貿易相へ。翌61年から65年まで東京の在日キューバ大使館で商務官として働いた後に帰国。日本商社・双日(当時は日商岩井)のキューバ事務所に長年勤務し、現地幹部・代表も務めていた。(戸)(つづく)

2018年1月20日付

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