コチア産組の栄光と悲運① 

かつてのマンモスコチアも今は昔 脇田 勅

 昔、「ブラジル最大の組合」とか、「マンモスコチア」などと呼ばれていたコチア産業組合というのがありました。活字になる時は決まって「マンモス」の枕言葉が付いた組合です。ところが、どこかに消えて、今では昔の語り草となっています。コチア産業組合は、1927年 月 日にブラジル在住の日本人農家によって設立された農業協同組合です。そして、 年9月 日に多額の負債を抱えて解散(会社の倒産)して姿を消しました。それで、コチア産業組合と言っても、今では忘れてしまった人が多いだろうと思います。

 日本人農業史研究家の故・中野順夫氏が書いているように、コチア産組は70年代にはラテンアメリカ地域における農業協同組合として最大規模を誇りました。組合員数が1万人を超え、従業員が約6000人いました。また、事業分量においてブラジル大企業中20位前後にランクされ、農業部門では世界的に知られた巨大企業の一つでした。

 このコチア産組がどのような組織かも知らず、何の予備知識もなく、私は55年に同組合に就職しました。

 フランスの有名な哲学者パスカルは人類最高の古典の一つに数えられている不朽の名著『パンセ』の中に次のように書いています。

 「生涯において最も大切なことは職業の選択である。しかし、偶然がそれを決める」

 私の場合もまったくこの言葉の通りでした。コチア産組への就職は私の積極的な選択ではなく、思いもかけない偶然の連鎖の結果でした。このように思わぬ瑣事(さじ)が順逆ともに、人間の運命を大きく左右することが往々にしてあります。人間の運命はどうなるか予測はつきません。そして、その変転は必ずしもその個人の力で左右できるわけではないのです。そういうところに私は運命というものの動かし難い力を感じざるを得ないのです。運命だか神の配慮だかは、実に「劇的」以上のものです。

 私は27歳から50歳の誕生日にコチアを辞めるまでの23年間、精一杯働きました。その間、14年間は後述するように最高権力者である専務理事3人直属の部下として仕えました。

 それゆえ、経営トップとしての3人の専務理事の業務執行や運営手法を身近で直に見てきました。人間ができていなければ、人は動かせません。そして、出来、不出来は部下が一番よく知っています。「上、三年ニシテ下ヲ知ル。下、三日ニシテ上ヲ知ル」(出典不詳)という言葉もあります。

 その3人の専務理事の中で特に強く印象に残っているのは、すでに泉下の人となっている安田ファビオ氏でした。周知のように安田氏は、40代の若さで日系人として初めてブラジル連邦政府の大臣になった人です。権力者は愛されるより恐れられよとか、部下から恐れられないようではトップではない、などの言葉があります。

 安田専務はカミソリのような鋭い切れ味の人で、そして大変厳しい人でしたので、私たち部下はいつもピリピリしていました。しかし、安田専務は厳しさに耐えて仕えるに足る上司でした。また、トップとして権力(Poder)と権威(Autoridade)とを合わせ持った経営者でもありました。(つづく)

2017年8月11日付

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