【移民107周年】サンベルナルド瑞穂植民地 ブラジルに第二の故郷を

サンベルナルド瑞穂植民地 ブラジルに第二の故郷を
入植5周年ごろの村にはシャレッテが2台あるだけだった

共存共栄の心で築いた平和村 山から村、村から町への80年

 サンパウロ(聖)市南郊サンベルナルド・ド・カンポ市の瑞穂植民地が5月7日、創設から80年の節目を迎えた。草分け10家族が「第二の故郷」建設の希望を胸に入植したのは1935年。営農、戦中の苦労を経て戦後、一大養鶏村として繁栄した。時代と共に村は町へ変わり、いま元の土地に住む人は少ないが、先人が掲げた共存共栄の理想は今も人々に受け継がれている。団結を大切に、教育や文化活動を重んじた平和村。瑞穂の80年を写真とともに振り返る。(松田正生記者)

[textblock style=”3″]炭焼きで土地代金[/textblock] 草分け10家族の中心は聖州モジアナ線パルミッタル耕地、レジストロから聖市東部イタインへ移った人たち。永住の決意で理想の村づくりの場として選んだのが、聖市から20数キロのサンベルナルド、自然に囲まれた瑞穂の土地だった。
 その一人で村の指導者として尽力した松本龍一氏は「瑞穂村開拓三十年史」で「共存共栄の生活と、この村から一人の落伍者も、又抜けかけの功名者も、つくらないという、協同と平和と勤労の文化村の建設を」と当時の思いを綴っている。
 資金のある人は少ない人を助け、計60アルケールを購入。35年5月7日に各家から一人ずつ入植、共同で家を建て、道を作った。10家族が話し合い、村の文化活動の場所として1アルケールの共有地を残す。
 最初は炭を焼いて土地代を稼ぎ、それからトマトや小ジャガイモなどの野菜作り。多角農業を見すえて有畜農やぶどう栽培も手がけたが、湖に近く毎日濃霧の来る土地。ぶどうは長く続かず、桃栽培に移った。

[textblock style=”3″]村の団結[/textblock] 旧地主の家を使い、創設半年後に日本語学校を開始。聖市イタケーラの農業者らとサンベルナルド産業組合を設立し、40年には聖市営市場近くに購入・%

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