デカセギ子弟たちの歩み④ 斎藤マルシオ清さん㊦

「子供には可能性を」と帰伯決断

 デカセギ子弟として日本に渡り、日本で生まれ育った娘二人を連れて帰伯した斎藤マルシオ清さん(38、3世)。偏差値が重視される日本で不本意な高校に進学しても、娘が退学してしまうことを心配したという。

 「自分の工場の仕事の道を歩ませたくない。子供には色んな可能性を与えたい」との思いで、周囲の反対も押し切ってブラジル行きを選んだ。仕事の当てもなく、「なんとかなるだろう」とは思いつつも、不安は拭えなかった。

 それでも、帰伯後は旅行ガイドの仕事を経て、現在の、日本企業向けのサービス業の会社の仕事に就くことができた。

 仕事面は整ったが、子供の教育面も心配だった。「子供たちは本当に苦労したと思います」と当時を振り返る。

 斎藤さんの長女Aさん(17、4世)と次女Bさん(14、4世)は、愛知県豊橋市で生まれ、それぞれ14歳と11歳までを過ごした。

 長女Aさんは同市内のブラジル人が運営する幼稚園で育てられ、ポルトガル語を話していたため、公立の小学校に入学する時はあいさつ程度の日本語しかわからなかったという。

 放課後に大手学習塾に通い、日本語を習得した。話し方や発音を理由に笑われたりすることもあったものの、あまりイジメにもあわなかったそうだ。

 一方、次女のBさんは、日本人の子ばかりの幼稚園で育ち、反対に、ほとんど日本語しかわからずに育ったという。

 それから両親とともに渡伯した二人。ブラジルに渡る1年前から家庭でポ語を使うように心がけていたり、着伯すぐからNPO法人「カエルプロジェクト」に通い、ポ語の基礎を学んだりするなど、準備はしていた。

 それでも「想像とは違った」と口を揃える二人。治安面や、ブラジルの学校での扱いにも戸惑ったという。

 日本人として珍しがられ、「日本語を話して!」とからかわれるなど、「きまずさ」や「(人一倍見られることの)恥ずかしさ」を感じた。

 日伯の違いを問うと、「本当の友達がいない。信用ができない」とこぼす次女Bさんに、「信用するのが大変」と同調する長女Aさん。子供ながらに直面する、文化の違いを越える困難さもうかがわせた。

 それでも、着伯から3年が経ち、どちらも授業にはついていけているという。ポ語習得に関しては、「(ポ語を)勉強したという感覚はない」と語り、「友達や家族が手伝ってくれた」と話す二人。

 この点について、父・斎藤さんは、「プレッシャーをかけずに、モチベーションを保つこと」を心がけていたという。家庭で教えあったり、使ったりするといった環境作りにも工夫したという。

 加えて、祖父の移民の話や、ブラジル日本移民の歴史についてもなるだけ娘らに伝えるようにしているという。

 「(着伯当初は)ブラジルに馴染むのでいっぱいいっぱいだったけれど、日本の文化は受け継いでいってほしい」と語る斎藤さん。「僕も日本で教育を受けて育ったから、日本の良い所もあると思います。良い感じでブラジルでも日本の文化を残していって、ブラジルと日本の良い所を両方、取っていってもらえれば」と、優しく微笑んだ。(つづく、河鰭万里記者)

2018年4月12日付

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