デカセギ子弟たちの歩み⑥ 嘉悦ペトロスさん㊦

デカセギ子弟たちの歩み⑥ 嘉悦ペトロスさん㊦
ペトロスさんが描いた絵(カエルプロジェクトホームページhttps://projetokaeru.org.br/talentos/より)

伝えられない苦しみを越えて

 12歳まで日本で生まれ育ち、母の病気で急きょブラジルに渡り、そのままブラジルで住み続けることになった嘉悦(かえつ)ペトロスさん(18歳、4世)。

 学校で「会話ができないという苦労」は想像以上の精神的負荷だった。友達もできなければ、教師が言っていることもわからない。「コミュ障(コミュニケーション障害)でした。だんまりで、何を言っていいのかわからない。勘違いをさせたくないから反応ができない」と当時の自分を省みる。

 さらに、住んでいた親戚の家でもポ語がわからなかった。親戚に叱られても内容がわからず、何故なのかもわからず、ましてやそれを訊くこともできなかったという。

 この当時の感覚を「何か、つっかかる感じ」とペトロスさんは表現する。「言葉を出そうとするんだけど、口の中に何か変な空間があって、それが邪魔する感じ。親に怒られて、謝ろうとするんだけど、(何かが)つまっていて声が出ない。めっちゃ泣いても言葉が出ない。それが24時間」と、当時の苦しみを言葉に紡ぐ。

 中学校では教頭が、ポ語しか話せないものの、特別教員を充てがってくれた。さらに、帰伯子弟の支援を行うNPO法人のカエルプロジェクトにも通い、カウンセリングを受けたり、ワークショップに参加するなどした。「(同プロジェクトは、)僕の思考論理を理解しようとしてくれるっていうのが一番良かった」と語った。

 そうした支援も受けながら、少しずつ友達もできていったペトロスさん。変化を実感したのは15歳の頃。中学3年生の授業で、生徒自らが書いたポルトガル語のスピーチ原稿を順番に朗読することになった。

 ブラジルの歴史について原稿を書いて準備していたペトロスさんは、自分の番を迎え、教室の生徒全員の前で朗読をした。そこでなんとか無事に原稿を読み終えた瞬間に、涙がボロボロと溢れ、号泣したという。見守っていた教師や生徒らは悲しいのか嬉しいのか訳がわからず、不思議がっていたそうだが、この時、ペトロスさんは「できなかったことをできるようにする」感動を味わい、「何か壁を壊したような感覚」に涙していたのだった。

 こうして、ブラジルに住み始めて3年が経ち、やっとポ語に自信がつき始めたペトロスさん。それでも親戚に言われる、自分は「日本人ではない」という考え方には納得がいかなかった。

 こうしたアイデンティティーの悩みに向き合うきっかけになったのは、翌年の姉の結婚だったという。姉が日本人と結婚し、日本に渡っていくと、親戚の家で自分が「一人ポツンと残されている」と感じ、夜中に涙がこぼれたという。

 「気づいたら、オレ一人だ」と悟ったというペトロスさんは、次第に自分がブラジルで生きていかなくてはならないという自覚と共に、自分は「四分の一が日本人で、他はブラジル人だ」という自己認識が芽生えてきたそうだ。

 「心は日本人だと思っているし、日本に戻りたいと思っている。でも、今でも悩んでいる。ブラジルに6年暮らして、もし日本に戻って楽に暮らせるのかは不安。ブラジルの考え方と日本の考え方が多分まざっちゃっていると思う」と複雑なアイデンティティーの説明に言葉がつまる。

 それでも、旅行でもいいから日本に戻りたいというペトロスさん。日本を出た当時は、すぐに日本に帰国すると思っていたため、友人にお別れすらできなかったからだという。

 「自分の居心地のいい場所はどこか」と問う記者に、「日本語が話せる所」と「一人になれる場所」と答えるペトロスさん。実は、子供の頃から絵を描くのが好きだったという。

 小学校の卒業文集には将来の夢はマンガ家と書いてあり、ポ語が話せず悩んでいたブラジルの中学校でも、言葉の代わりに絵を通じて単語を教えてもらいながら友人ができるなど、絵という存在はペトロスさんには欠かせないもの。

 「絵を描くのは集中できるし、他のことも考えなくていい。一切がなくなる」と語るペトロスさん。将来は「イラストレイターになりたい」と輝かせる瞳の奥には、伝えることへの特別な思いが秘められているようだった。(つづく、河鰭万里記者)

2018年4月14日付

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