デカセギ子弟たちの歩み⑦ M・Kさん㊤

帰国できなかった真相

 「どっちでもいいかな。日系ブラジル人でも、日本人でも、ブラジル人でも。まあ(相手の)呼びやすい方で」と語るM・Kさん(17、4世男性)を前にすると、こうした人種的境界がいかに曖昧かに気付かされる。

 M・Kさんの父は日本人で、母は純血の日系3世。邦字紙の慣例に従えば、最初に移民した世代の内、もっとも古い代から1世として数えるため、4世と表記する。

 とはいえ、M・Kさんは日本で生まれ、9歳まで滋賀県近江八幡市で育った。加えて、日本国籍も保有しており、れっきとした日本人(1世)でもある。さらに、ブラジル国籍も保有しており、9歳から17歳の現在に至るまではブラジルで暮らしてきた。

 「(何人かに)関係なく、一人の人として考えてくれたら…」。

 M・Kさんの両親は同じ仕事先の工場で出会った。母はデカセギで訪日就労していた3世。一緒に日本に来ていた大叔父(M・Kさんの母の叔父)、大叔母と帰伯する予定だったが、日本人の父と出会い、結婚。M・Kさんの3つ年上の姉も含め、2人の子を出産した。

 家庭では時々母がポ語の単語を織り交ぜることもあったが、ほとんど日本語を使い、公立の小学校に通った。2年生の時に、ブラジルにルーツを持つ生徒にポ語を勉強させる学校の取り組みがあったそうで、そこで初めて自分は「ちょっと違う」という自覚が芽生えたという。

 「先生がカウンセリングをしたり、授業でも(ブラジルにルーツがあることで)有名だったけど、あんまり気にしなかったです」。

 2009年9月、M・Kさんが9歳の時に、サンパウロに暮らす母方の祖母が乳がんの手術を受けることになり、看病のために母と渡伯した。

 3カ月で帰るものと思っていたM・Kさんだが、18歳未満だと伯国から出国する際に両親の同意が必要となることを理由に、日本に帰れないと知らされる。

 小学校の友人にお別れもできなかったM・Kさんだが、「(新しい国で、)初めての色々な経験が楽しかったのであまり疑問にも思わなかった」と子供らしい当時の心境を振り返った。

 それから、ポ語が全くわからなかったM・Kさんは、サンパウロ市内の日系のカトリック系の学校へ通った。授業はポ語だったものの、日本語が話せるシスターらに手助けを受けるなどした。

 大手学習塾にも通いながらポ語を習得していったM・Kさんは、大体2年くらいで授業にはついていけるようになったという。

 着伯から2年が経とうとする11年の6月頃に、父が来伯した。ブラジルで離婚の手続きをするためだった。M・Kさんは、この時に初めて母と渡伯し、日本に帰れなくなった、もう一つの理由を知ることになる。

 「その時(渡伯当時)はわからなかったんですけど、2006年に父が浮気をしているのが発覚していたんです。裏側(水面下)のことは母が言ってくれなかったんですけど」、「もしからしたら、母はその(18歳未満の出国に関する)法律を知っていたのかもしれません……」。

 渡伯の3年前の父の浮気からブラジルでの離婚まで、5年間の出来事の真相を突然知ったM・Kさん。

 「正直、心の中でも頭の中でもキツかったです。日本に帰れなくなる。父との関係が薄くなると思いました」。(つづく、河鰭万里記者)

2018年4月17日付

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