ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(62) 磯部 清次 前支部長

武道空手界のシンボル・極真空手 絶大な功績でスポーツ省公認の団体に
極真会館ブラジル支部 磯部 清次 前支部長

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(62)
磯部 清次
 『1人の師匠と18歳の時に運命的な出会いがありそれが一生を左右した』、極真空手(累計門下生は世界中で2500万人)の創始者である故大山倍達総裁との出会いがまさにそれだった。「心身を鍛える、人を育てる、礼節など日本の武道精神の普及、青少年教育に貢献する」と日本から誕生した武道の1つである極真空手は最強の空手道普及と青少年教育に貢献しブラジルと日本を結んでいる。その人物こそ磯部清次なのだ。

 ブラジルには約200の空手流派があるといわれる中で、ブラジルスポーツ省の公認団体として認められているのが極真会館の空手なのである。「武道空手、一撃必殺」とケンカ言葉にも似た物騒な言葉だが、これが極真空手の神髄だ。1972年に「昭和の武蔵として尊敬する師匠の大山倍達」の命により極真空手のブラジル支部づくりで来伯した。当時24歳だった。ボストンバッグ1つでブラジルを何も知らずに裸同然で移民してきた。当時は使命感だけで来た。しかし持ち前の負けん気、師匠への忠誠心と責任感、取組んだら命懸けで目的を達成する使命感が重なって、同時に一流の選手より一流の指導者に向いていた性格も加わり、極真空手は年を重ねるごとにブラジルでその存在感を増していった。極真空手の創始者であり師匠の大山も愛弟子応援のために73年74年と2年連続でブラジルを訪れている。

 磯部はその声に応えるように励んだ。72年にサンパウロに道場を開設して以来、サンパウロのほか、リオ・デ・ジャネイロ、ポルト・アレグレ、マナウス、サルバドール、クリチバ、フォルタレーザ、ベロオリゾンテ、ヴィトリア、ブラジリアなど、ブラジル主要都市に道場を開設して延べ10万人の門下生を集めている。同時に初代の南米支部長として、道場開設国は、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ギアナと南米全域をカバーし延べ門下生数は50万人に達する。1つの組織としては南米最大規模の空手道場がこの極真空手なのだ。このために土日返上、年中無休のような日々で自分が率先垂範で頑張った。「師匠の教えを支えにここまで頑張れた、一心不乱で空手の普及に務め、数えきれないほどの演武会と試合、そして練習漬けの日々だった」という人間の極限まで努力をした。

 一方では極真は同好会ではないので道場も経営の飯の種は欠かせない。そのために1番早い自営の道を磯部があるメディアで語っている。「極真会のブラジルを預かるという事、つまり運営も経営も道場をやっていくというのは早い段階で実績というのを残さなきゃいけない。実績を残すのに一番手っ取り早いのはいい選手を作ることだ」と答えている。その言葉通り道場主になって27年後にその夢を実現させている。サンパウロのリベルダーデにある道場(正式名称は極真南米本部リベルダーデ道場、現在、南米本部長はフランシスコ・フィリョ、師範代はウリャセス・リュージ・イソベで磯部の長男、現在門下生は250人、道場面積は140平方m)から1999年の第7回全世界空手道選手権大会優勝者になったフランシスコ・フィリョ、2007年の第9回極真世界王者にエヴェルトン・テイシェイラがなった。2人の世界チャンピオンを誕生させた結果、「私は選手としては並みだったが極真世界ではその指導力が大きく評価された」という。世界チャンピオンを誕生させたのは磯部が自ら考案した独自の練習法だった。「私の身長は168センチ、体重が62キロと選手としては小柄な部類に入る。当然パンチやけりは大型選手に比べて劣る。そこで私は蹴りがより強くなるように練習した。先の2人が世界一になったのは、まず素材として体が大きいこと、そして極真ブラジル独自の練習法があった。蹴りが天下取りに繋がる、つまり蹴りをより強くする脚力と全身の筋力強化策に磨きをかけた」。その方法とは磯部が世界で初めて考案した自動車のタイヤチューブを使ったトレーニングと移動式サンドバッグだった、そして同時にあらゆる意識と技術の向上に努めた。「12歳からリベルダーデ道場で練習を始め28歳で世界王者になったフランシスコが1つの目安になり、彼以上の実力をつけることでエヴェルトンのチャンピオンは自信があった。彼はここの道場でスタミナ向上に務め、9歳から練習を始め25歳で王者になった」という。

 72年以来、44年間にわたり空手指導をしている磯部は「日本の礼節、両親や目上の人への尊敬、忍耐心がつく、家庭で親の言うことを聞くようになったなど、青少年教育に大きく貢献している。昨年には日本の精神文化の1つである、武道精神の尊敬、感謝、忍耐という躾やモラルの点が評価されて、ブラジルのスポーツ省より予算がついた画期的な年だった」。ブラジル公認のスポーツ団体であることが改めて証明されその嬉しさの心中が察せられよう。2014年の極真ブラジル支部40周年記念では25カ国から世界の強豪12チームが参加しサンパウロで国際大会を開催した。またサンパウロ市議会が全会一致で磯部がブラジルの大地の第一歩を踏んだ「10月10日を極真の日」として条例に定められた。磯部にとってはこれ以上ないほどの人生の喜びだったに違いない。もし福井に留まっていたらここまでの夢を実現できただろうか。

 一途邁進の磯部は48年3月に福井県福井市で生まれた、短気で臆病だった少年は空手との出会いで血気盛んな青年に変貌していく。父・清範と母・すて子との間の6人兄弟の3番目で長男として生まれプロ野球選手になることが夢だった。父からは「嘘をつかず後ろ指を指される人間になるな」と教えられ、母からは「真面目な人間になれ」と諭された。それが大山の教えに従いその教えを忠実に守り極真空手一筋の人生に繋がった。福井県の代表的な県民性の一端を持っている。福井県農業林学科短大を68年に卒業し役人生活を送る。しかし始めていた強い空手への夢は絶ち難く、極真会入門を再三にわたり親を口説き続け、とうとう親父は根負けした。磯部青年は70年に東京・池袋に住む大山倍達がいる極真会に弟子入りした。実践三昧の練習で明け暮れする。その後大山総裁の運転手を命じられる。そして磯部を見込んだ大山が突然ブラジルで極真空手を立ち上げてこいとの命令が下る。金無し、モノなし、同僚無しの、ないない尽くしの移民船の船旅だった。その後、ブラジルで44年間の苦労が報われいま大輪の花を咲かせている。その陰には73年に結婚し夫を支え続けてきた妻・泰子の絶大な内助の功があった。磯部は「近い将来ブラジルに極真空手大学をつくりたい」といって取材を結んだ。福井県出身の移住者を代表する顔の1人といってよいだろう。(文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2016年8月30日付

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