ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(65)㊤ 児玉 哲義

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

武士道精神が空手指導の原点 在日ブラジル日系社会をリードする1人

魂誠會道場主兼師範 日伯交流協会副会長兼事務局長 児玉 哲義 ㊤

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(65)㊤ 児玉 哲義 ㊤
児玉哲義

 児玉は静岡県浜松市で暮らして今年で26年目に入った。1965年にサンパウロ州で生まれた日系2世。91年に空手修業のために来日した。そしていま、日伯交流協会・副会長兼事務局長、世界武士道空手連盟 「魂誠會」館長兼児玉道場師範、児玉グローバルサポート株式会社代表取締役、の職を持つ。公的団体の副会長、空手指導の道場主、会社社長、と3つの顔を持ち、同時に在浜松ブラジル総領事館からは「市民協議員」、浜松市教育委員会からは「心の教育推進協議員」を頼まれてボランティア活動を行い、日本とブラジルを繋いでいる。いずれも世のため人のために尽くすサムライ魂を必要としている世界だ。こうした長年の功績が認められ、在日日系人、在浜松ブラジル総領事館、在日ブラジル大使館、浜松市民、浜松市、静岡県などと固い友情と信頼の絆を築いている人物だ。在日日系ブラジル社会の中では日系人を代表する1人といってもいいだろう。

 まず日伯交流協会の児玉とは。その児玉の持っている一途邁進の心は余人をもってしても変えがたいものがあるといわれる。特にそれは日伯交流協会(本部・浜松市)を誕生させたことだろう。日伯間を結ぶ浜松市の中心的な公的機関として2009年の設立以降、浜松在住日系青少年の健全育成、市民と政府を結ぶ架け橋の役割、日本とブラジルを中心とする多国籍者との交流の場づくり、他団体の活動支援、などが主な目的だ。某紙によると「設立目的は08年の日本人ブラジル移住100周年記念の世界空手大会の実行委員会のメンバーとして、浜松に空手道場を構える日系ブラジル人2世の児玉哲義師範を中心に集まったのは、実行力もあり、実績のある人たちでした。初代会長には現静岡県知事で当時静岡文化芸術大学学長だった川勝平太氏が就任した」と児玉の存在がいかに大きかったかが書かれている。主な活動内容は2か月に一度の例会で「教育、文化、スポーツ」を各テーマに講演会や情報提供を行う。その間に理事会では日本におけるブラジル人コミュニティー問題や日伯交流活動について話しあっている。また様々な交流イベントも開催しており、浜松市、同教育委員会などとも力を合わせて活動していると児玉は語る。また同協会は国際文化都市・浜松の顔づくりにも一役買っている。浜松市や静岡県からの信頼も高く多文化共生文化づくりでも地域とともに率先してボランティア活動を行っており、ほかにも、外国籍の子どもたちに声をかけて歩く「夜回り活動」、日伯運動会、浜松市多文化共生センター、外国人集住都市会議、東日本大震災への救援支援活動、なども加えておきたい。

 次に世界武士道空手連盟「魂誠會」館長兼児玉道場師範、としての児玉とは。05年の道場開設以来、「空手はスポーツではなく、礼節を重んじる武士道」と位置づけして青少年に空手を教えている。道場の理念であり空手指導の原点になっているこの精神とは、「心やさしく強くなること」、「自分に厳しく他者を思いやる、特に子供と年寄りを」、「礼節を重んじ、誠に生きること」だ。道場の案内書には『武士道精神に基づいた指導で、礼節、責任、忍耐、などについて教え、子供や若者たちの体と心を鍛えます。目標を達成するための努力を続け、自分のためにも人のためにも行動できる人間への成長を図り日々指導に励んでおります。どんな困難も負けず生きる力や感謝する大切さを空手の修業を通じて伝えていきます』と書かれている。

 浜松市中区にある道場開設以前は、「長年、体育館や公園、山などでの空手の稽古を続けるうちに生徒が増えてきたから道場を開いた」。ブラジルから来た家族などを中心に、空手を通して日本人や外国人の青少年教育に寸暇を惜しんで汗を流す道場主だ。「一撃必殺」を身上とする極真会館空手流の道場の中では、青少年教育でここまで評価された例は日本国内では聞いたことがない。これも児玉の人間力だろう。16年8月には空手新団体を設立し、「世界武士道空手連盟 魂誠會い(こんせいかい)」を立ち上げた。門下生への指導内容は実戦空手・キックボクシングのレッスンが中心になっている。

 そして経営者としての児玉とは。空手道場以外に児玉が経営している会社は、生命及び損害保険代理店も取り扱う「児玉グローバルサポート株式会社」だ。「日本へ働きに来た人々へのグローカル的なサポートの提供と日本人とブラジル人が共存できるグローバル社会を目指すこと」を目的に立ち上げた会社だ。設立理由は「子供の時から会社の経営者になりたい思いがあった。そして空手以外でも社会から認められる目標がある」。「保険契約時の説明と事故発生時のポルトガル語で対応できること」など、「ブラジル人やその他の外国人の事情を知り、どんな時でもお客様を第一に考えてサービスすること」がお客様から高評価されている。13年には日伯交流協会主催、児玉グローバルサポート協賛の「ブラジル経済の現状」セミナーも開催している。

 1991年に初来日してから現在までの児玉の日本暮らしを回顧してみよう。その児玉は来日から2005年の道場開設までは、タクシー運転手、製造業、人材派遣事務所の人事担当、会社経営者などを経験した。この時期は日本に職を求めてブラジル日系人がどっと入国した時と重なる。ピーク時には日本に32万人が滞在し、浜松市にはいまも約2万人が暮らしている。90年代前半は「日伯双方の文化の違いによる壁があり日本の同化文化に対応できない日系人青少年の犯罪が増加し、通訳で頻繁に警察署の仕事を手伝った。ここで空手を通して青少年の健全化教育に取り組むようなり、学校や警察で通訳を勤める中で様々な人生の物語を共有しました」。同じ90年代の思い出は「来日して二種免許を取得するため朝から晩まで勉強し2カ月位で合格した時の喜び。その後がむしゃらに働き子供たちの成長を楽しんだこと。日本で初めて空手教室を開いたこと」。00年代には「00年に会社を立ち上げて働く日系ブラジル人と雇う企業の間の人材斡旋業をしていた。その間、日本語能力試験一級に合格し保険募集人の資格を取得した。08年、日本人ブラジル移民100周年記念に日系ブラジル人の空手師範として初めて浜松で空手のジュニア世界大会を主催したこと。09年にブラジル政府より国家勲章を叙勲したこと。同時に08年に起こったリーマンショックは日本暮らしで一番きつい出来ことだった」という。10年代に入ると「人材派遣業から保険代理店に仕事を変えたこと、浜松市制100周年を記念に初めて浜松市立小学校のグランドで日伯運動会を主催したこと。東京海上日動の保険代理店になれたこと。世界武士道空手連盟魂誠會を設立したこと」だと回顧した。(つづく、筆者=カンノエージェシー代表 菅野英明)

2017年3月21日付

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