ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(65)㊦ 児玉 哲義

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

未来志向で日伯関係づくりに尽力 ブラジル日系2世は私の誇り

魂誠會道場主兼師範 日伯交流協会副会長兼事務局長 児玉 哲義 ㊦

 そこで児玉の原点になっているブラジル時代を見てみよう。1965年8月19日にサンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ市(サンパウロの郊外都市)で生まれた。5人兄弟の長男だった。最終学歴は高校卒業後のコンピュータ専門学校。少年時代の楽しかった思い出は「日本語学校でサッカーや卓球の練習で日系人の子供たちと遊んでいたこと」、「そして14歳から始めた空手の練習や試合及び空手の先生や仲間と過ごしたこと」で、この当時の児玉少年に空手指導をした師範でいまもリベルダーデで空手道場を開いている森山雅無道場主(7歳から空手を始めて53年になる)は「武闘空手ではなく相手から身を守り勝っても相手を傷つけることのない人間性重視の指導を行っている」と、児玉の空手道の原点を教えた師匠であり、「児玉君のさらなる成長に期待している」と語る。

 子供の頃に親から教えられたことは父からは「長男としての責任、仕事の大切さ、日本人としての誇り」、母からは「優しさ、人への思いやり」だった。それがいまの児玉の原点になっており、それは武士道精神そのものの教えでもあった。ブラジル在住の80年代には「様々な空手の大会で入賞できたこと。20歳で結婚して、その後、子供が生まれたこと。家族を養うために必死に働き、いろいろな人々に助けてもらったこと。勤めていた会社での努力が出世に繋がったこと」という。

 児玉には自分だけが持つオピニオンがある。そのキーワードは次代を担う在日日系人青少年をどう育てていきたいかだ。それは「日系人であっても日本人と同じように日本社会で競争し成功できるための力をつけること」、「日系人の子供たちがしっかり学校へ通い希望があれば大学まで行けるサポートをしたい」、と意欲を語る。

 在日日系ブラジル人を誇りと思う時は「日本人からブラジル人に助けてもらったと言われる時で、例えば、ある日本人の女性のお客様が私の会社で保険契約をするために来店した時、彼女は多くのブラジル人が働く工場で働いており、ブラジル人は優しいと言っていました。仕事で困っている時はいつもブラジル人の同僚が助けてくれますからブラジル人は大好きです、と言われた時は日系ブラジル人を誇りに思いました」。

 日本のいい点は「お客さんを大事にすること、約束や時間を守ること」。ブラジルのいい点は「優しさ、柔軟性」。

 いまのブラジルに言いたいことは「ブラジルが良くなるには政治家だけを攻めるのではなく国民の1人ひとりの日頃の行動を見直すこと」、「子供の教育を大事に考えること」だという。

 ブラジル日系2世出身者としての誇りは「日系2世であることはブラジルのことも日本のこともよく理解が出来ること。私はブラジル国籍を持つ日本人であることを感じる時があれば、ブラジル人でもない日本人でもないと感じる時もある。国籍にこだわらず日系人としての国際的な柔軟性があることは良いと思います」。

 浜松を終生の地と決めたのは「1991年に来日してからずっと浜松に住み付いてしまったから、浜松に道場と会社を開設したから」だ。

 児玉は僅か43歳でブラジル政府から同国の最高国家勲章・リオブランコ勲章を叙勲している。来日して18年目だった。空手指導のかたわら、日系人の青少年の話し相手になるなど、健全育成のための地道な活動が評価された。「両親をはじめ指導者たちやたくさんの協力者がいたから今日まで活動が出来ている、それを心から感謝します」と言って取材を結んだ。

 日本への出稼ぎブームという時代の流れに、浜松市がブラジル生まれの児玉を呼んでいた、といってよいほど『人生には出会いと縁がある』ということを、改めて実感した取材でもあった。(筆者=カンノエージェシー代表 菅野英明)

2017年3月22日付

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