ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(69) 山本 陽三

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

アマゾンで婦人服専門店などを 店舗経営
大和魂で北伯日系社会を支え続ける

山本商会 山本 陽三 社長

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(69)
山本 陽三

 「質実剛健と大和魂」をバックボーンに、アマゾン移民を象徴する情念を保ち続け、商売人として58歳から本気で事業を創業し、経営者業を継続しつつ、北伯及びベレン圏の日系コロニア社会発展に大きく貢献している。1935年香川県坂出市生まれで今年82歳になるが、いまも自ら人生目標をつくり、ここアマゾンで商売を通して世のため人のために生きる山本の人物像を探ってみた。

 山本の会社(会社名は山本商事)は婦人服やファーストフード、食堂など事業をカテゴリー別に5つにブランド化し、パラー州内に19店舗、マラニョン州に5店舗、アパマ州に1店舗、アマゾナス州に3店舗、ピアウイ州に2店舗と、ほぼアマゾン川流域の主要都市に合計30店舗のチェーン店経営を行っている。1店舗当たり100平方メートルとミニ店舗展開だが、お客様ニーズに即応できる態勢を敷いている。Kattleyaは各店とも中産階級の中年婦人服装飾類、Victor Hugoは中産階級以上の中年婦人向けバック類、TACOは各店ともジーンズやカジュアルなど若い男女向けを中心にした一般大衆向けの衣料品、GIRAFFASはファーストフード食品、食堂以外の3ブランドは全ての店がショッピングモールに出店し上品で垢抜けした店で、店舗平均毎月1500人のお客様が購入に訪れる。現在の売れ筋商品は、TACO店扱いのジーンズ及びカジュアル服、Kattleya店の販売では安くて品の良い婦人服などがよく売れている。ブラジルはいま前PT政権の不祥事で経済が低迷し続けており、消費の落ち込みも大きく小売業界は大打撃を受けている。「特にショッピングモールは閉店する店が続出しており、わが社も危険な戦いを強いられている。各店舗とも全ての売上げが落ちており、半分の15店舗が赤字になった」と過去に経験したことがないような落ち込みに驚きを隠せない。続けて地方都市は経済が弱いので「商売も地道にコツコツと粘り強く続け、真面目に手堅く続けていく」という。

 山本がこの衣料店などのチェーンを展開しようと思ったのは、 58歳の時で商売人としては大器晩成型であった。それまではヤンコール(70年に会社設立)という店名で輸入雑貨と州内最大規模の民芸品店をベレン市内で営んでいた。何が山本を変えたのか、ここに大きなヒントがあった。それは、93年のブラジル盛和塾が誕生して3年目、山本と稲森和夫塾長とが初めての出会いがあった年である。家業の商店経営から起業し企業化することに本気で取り組んだのである。「日本の高卒で移住してきたので会社経営に関する勉強をしたかった」ことが入塾理由だった。その後山本の意識に変化が起きた。入塾前は「農業移住で来たが商売が好きだったので金儲けをして成功しようと思っていた」ことが、「経営者として『世のため人のため』に生き抜こうと決心した」瞬間だった。そこには、店員たちを大切にし、お客様から喜ばれる店として、常にプラス思考で前向きに、明るく夢と希望を抱いて経営している山本の姿があった。この不況期に支えになっている塾長の言葉は「誰にも負けない努力をする」と「燃える闘魂」の2つだ。

 ブラジル山本家は家族で10名、一族で40名になるが、山本ファミリー総出で山本商会の会社経営に当たっている。社長は山本陽三、妻の紀子は人事課長、山本の妹である稲垣てい子は専務、長男の康平ジェラウドは副社長、次男の信二エドワルドは渉外部長、稲垣の長男であるファビオは営業部長、同次男の睦男エメルソンは新店舗開設部長など、家族の結束で会社が動いている。後継者は長男の康平ジェラウドで「副社長として業務一般の実務を私が直接教えそれを実践で鍛えている」という。「今後はブラジルの政治経済に影響されない事業を探して、将来は事業形態を3本立てにしたいと考えている」と今後の展望を語る山本だった。80年代、90年代前半のハイパーインフレ時代より経営が難しいこの不況期を乗り越えていけば、山本商会は微動だにしない成長を遂げていくことだろう。

 こうした闘将の経営者である山本の人生行路を辿ってみよう。今年82歳になっている山本は、「質実剛健、夢を抱いて生きる」家訓に忠実に生きている。戦前の厳格な警察官だった父・峰雄と母・千枝との間に5人兄弟の1番目として生まれた。少年時代は瀬戸内海の浜辺で育ち魚釣りや貝類をとって遊んだ。武道家でもあった父からは男らしく生きるように諭され、母からは長男として弟や妹を可愛がり常に労わることを教えられた。これがいまの人生にどう役立っているかを聞くと「人生では、大和民族としての誇りを持ち、正直で勤勉で思いやりのある心を持つ。経営では、盛和塾生として、常に明るく前向きで、素直な心で、夢と希望を抱いて生きていく」ことだという。剣道3段の実力を持っていた父は戦前には天覧試合にも出たことのある使い手で日本の終戦で警察官を退職し、その後、様々な事業を始めたが武家の商法ですべて失敗をしていた。そんな時に母が「ブラジル移住掲載の新聞を父に見せてブラジル行きを勧めた。父は即決し親子6人で54年5月に「あふりか丸」で横浜港を出港し移住した。山本は当時19歳で多感な青年だった。輸入雑貨店と民芸品の店を開業する前年の69年に東京女子医大で事務職を勤めていた花嫁移民で妻になった紀子がトランクを両手にベレン空港に到着した。山本と家族の嬉しさはいかほどだっただろうか、たぶん言語に絶する喜びだったに違いない。そのいまをこう語る。「東京から1人で嫁ぎ、長男の嫁として両親に良く仕え、弟と妹の面倒をよく見てくれて、さらに難しい私を助けながら、よくぞついてきてくれたと感謝している」と山本の目が熱くなった。長男でなぜ陽三かと皆に聞かれるが、それは「太陽が1番で、天皇が2番、そしてお前が3番に成るようにと祈ってつけた」と名前の由来を父が答えてくれたという。それ以来、「太陽の心を持つ男」を心がけているという。

 アマゾンで戦後移民として63年生きてきた歴史の生き証人として、その日系社会や日系人の中では絶えずその中心軸の1人に山本はいる。現在はパラー日系商工会議所副会頭、北伯県人会協会会長、北伯香川県人会会長を務め、さらにボランティア活動でもブラジル日本交流協会の学生を何人も世話してきたし、香川県の留学生や技術研修生の推薦も長年続けている。

 「パラー州は面積が広大で鉄、銅、マンガン、ニッケルなどの鉱物資源が多く石油も出る。地下資源だけでなく木材を始め、その他の天然資源も未開発だ。北伯はブラジルの中でもこれからの夢のある未来の天地だと思う」と語った後、「数年前に外務省はベレン総領事館をベレン領事事務所に格下げをした。目先のことだけではなく、パラー州の未来の発展を予測して長期的な視点と計画で日本はよりここに力を入れてほしい」。

 山本は「人間1度生を受けたなら(2度とない人生だから)人生を力いっぱい生き抜くこと。手足も頭を使わねば衰える。プラス思考で常に夢と希望を持ってすればそれは必ず実現する」。続けて「私には逆境を克服する精神力があり、二度とない人生だから100歳まで現役で頑張る、と宣言し覚悟を決めた」と若い精気がほとばしる青年のような輝く顔で取材を結んだ。(筆者 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2017年4月25日付

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