ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(71) 越知 恭子

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

アマゾン地域の私立モデル校を構築
60歳で創立し日本人の誇りと気概を貫く

越知日伯学園 越知 恭子 園長兼理事長

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(71) 越知 恭子
越知 恭子

 学校経営をするためにブラジルのUNOPAR大学教育部を60歳で卒業した越知。パラー州の教育界発展に貢献し、同時に日本文化の普及と拡大のために生まれたような人生を歩んでいる。

 2007年2月にベレン中心部に生徒・保護者・地域の人々が一体となり要望し開校した越知日伯学園。その時に越知園長を中心にして教職員が一体となって交わした言葉が「ブラジル社会発展のための人材育成」「日伯文化交流と友好親善」だった。これはいまも伴学園の根底を成す精神でもある。アマゾン川河口に立地するパラー州の州都・ベレンの人口は144万人。サンパウロの1200万人、リオの632万人から比べれば、ブラジルでは中規模都市である。またブラジルの日系人はサンパウロ州の110万人、パラナ州の15万人に次いで、3番目に多いのがパラー州の3・5万人だ。うちベレンの日系人人口は4000人といわれる。

 ここに越知が07年に開校させた生徒数の70%は非日系のブラジル人子弟。教職員も100名を超えている。生徒の構成は、「1日コース」は297名、幼稚園と小中学校で464名、日本語386名が入学している。10年前の開校時が49名の生徒数だったことを考えれば隔世の感がある。サンパウロなど大都市との人口比でみても学園としての存在感は際立って高い。生徒の保護者からは「日系が運営している学園だから安心」「日本語や日本文化を教えてくれる学園だから入学させた」という声が圧倒的に多い。いわば日系のブランド力は信頼の証でもありこの期待に応えていることがさらに評価を高めている。

 1984年からベレンの日本語教育界で活動を始めた越知が、学園の創立を自ら考える転機になったのは、91年の2か月間に及ぶ「日本語学校の今後の課題」をテーマにした第1回汎アメリカ研修(JICA主催、会場・アルゼンチン)に参加したことだった。そこで「バイリンガル教育法」と出会い、幼少時からの多言語教育が人生にとっていかに有意義なものかを身をもって学んだ。この日本語研修と日本語教育に取り組んで以来、JICAとの縁も深くなり現在3人の日本語教師を受け入れている。

 この学園の特徴は、個人個人の向上心や探求心を伸ばし子供の自主性を最大限に発揮させる「モンテッソーリ教育法」を導入し、将来ブラジル社会で役に立つ人材の育成を行うという教育方針に沿って運営されていることだ。ブラジルの日系人が経営するこの種の学校経営で、これだけの生徒数を持つ私立校はたぶんサンパウロにもないと思われるがどうだろうか。

 越知は「私は学園経営もひとつの企業だと考えている」と語る通り、毎日手抜きのない隅々まで行き届いた真剣勝負の日々が開校以来10年以上続いている。同時に、30年以上にわたる教育者としての豊富で磨き抜かれた知識と経験、確かな教育理念と運営方針、学園の明確な経営ビジョン、確かなマーケティング、粒ぞろいの人材と教師陣、日系社会・生徒の保護者・パラー州教育局などとの信頼関係を構築、さらに日本語学習を通して日本文化の普及拡大に努め、パラー州と日本との関係強化に努める。こうした意味でブラジルと日本のために尽くしている外交官も敵わないほどの働きをしている女傑が越知恭子といえよう。

 同学園から昨年発行された「越知日伯学園10周年記念誌」で語った越知の言葉がある。「『現代社会がどんな学園を必要としているのか』『どんな学園なら人様にお役に立てるのか』が学校経営のキーポイントになる。これを原点にして当学園の経営目標を設定した」という。それが同学園の4つの特徴と独自性である。

 ・1つ目は「女性の社会への進出を支援するために、安心してお子様を預けていただき、教育と躾をともに行う学園づくり」、そのために「1日コース」(授業は毎週月曜日から金曜日まで毎朝7時30分から午後6時まで行われている)を設置している。

 ・2つ目は「モンテッソーリ教育法を行う」こと。学園を「第2の子供の家」(幼稚園)として、家庭で学ぶすべての良き習慣や社会人となるための人格形成に必要な基礎教育を施し、生活教育の環境づくりに力を注ぎ子供たちの自立をはかるとともに、将来ブラジル社会で活躍できる人材の育成を行う。

 ・3つ目は「早期外国語教育を取り入れて異文化教育を行うこと」で視野の広い豊かな人間性を身につけた人材の育成を行う。当学園ではポリグロット教育(幼稚園は日本語教育)

 (小中学校はブラジ語・日本語・英語・スペイン語)を採り入れている。

 ・4つ目は「日本語教育を公教育の中に取り入れ、それによって日本語学習者の増加を図ること。そして言語とともに日本文化を体験してもらい、日本文化の普及をはかるとともに、親日家の増加をはかりながら日伯文化交流や友好に貢献できる人材を育成すること。

 越知が語るこの4つ目の話は目から鱗とでもいうべき話だ。日本の文化に親しむ親日家をいかに多く増やしていくか。越知が率いるこの学園には、ブラジルと日本を結ぶ立場と役割、そして教育者及び文化人としての使命感がある。日本語学習者数は、7歳未満は74名でうち69名が非日系、7~10歳は98名のうち80名が非日系、11~ 15歳は69名のうち59名が非日系、16~20歳は35名のうち33名が非日系、21歳以上は110名のうち108名が非日系人で、合計386名のうち日系人子弟は3世と4世合わせても僅か37名だ。ベレン、パラー州、アマゾン全域で、日系人、日本人、日本、が信頼され高く評価されているのかがよくわかる話だ。この学園の日本語学習者数をみると、園長として、経営者として、越知が単なる教育者ではないことがよくわかる。この越知の考えに応えるように、パラー州政府もベレン市も、また領事館やJICA、国際交流基金のほか、ベレンの日系団体や日系人企業も積極的にバックアップしている。同時に、ベレン市議会から功労賞、パラー州政府から教育部門の女性功労賞、同州政府よりインターナショナル婦人賞、外務大臣賞、北伯日本語普及センターより功労賞など、使命感に燃えた学園運営の努力が認められ数多くの受賞もしている。

 越知は47年3月に広島県世羅郡甲山町で生まれた。高校駅伝とマラソンで全国的な知名度を誇る地元の世羅高校を卒業。68年に国立岡山病院付属看護学校を卒業後、東京・築地の国立がんセンターに看護婦として勤務。69年には青山学院大学英文科に入学した。71年にJICA医学研修生として日本に留学していたベレン出身の2世医師である越知エンリケ健と運命的な出会いがあり「この人は凄くまじめで信用できる」として2年間付き合い結婚した。実家で結婚に賛成してくれたのは4人姉妹だが3人全員が反対し賛成してくれたのは母だけだった。結婚しブラジルに移住しベレン暮らしとなった越知は、家族愛に恵まれて、この間、3人の子供を育てながら日系団体のボランティア活動で汗を流している。夫は現在もアマゾニア日伯援護協会が運営するアマゾニア病院と州立病院の医師として活躍している。その健の父である越知栄は73年から77年まで汎アマゾニア日伯協会の第5代会長を務めた人で、31年に第1回高拓生(アマゾン開拓の夢を抱いて来伯した日本高等拓殖学校生、合計248名が37年までに入植した)アマゾン移民45名の団長として、アマゾン川中流域のパラー州とアマゾナス州の州境にある中州の島・パリンチンスのビラアマゾニアに入植した人物で知られる。こうした意味ではアマゾン移住開拓者の1人であるブラジル越知家は、日本からのアマゾン移住を代表するような日本人家族の1つと言ってよいだろう。「結婚以来、いつも変わらぬ主人の愛情のおかげで現在があり心から感謝している」。

 また32年の教師生活で得た集大成をこう語る。「子供が将来自信を持ち、社会の中で1人の良き社会人として生きていく力を身につけさせてやることが教育だと私は考えている」。同学園の特に働く母親のための「1日コース」は、パラー州やベレン市などの州立や公立校にも設置され始めており、学校形態のモデル校として評価されている。いまその学園の中心軸にブラジル教育界に貢献し伯日間を結ぶ、日本精神をもった女傑の越知恭子が立っている。(筆者 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2017年5月9日付

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