ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(73) 川崎 俊広

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

電気工事士の資格で仕事も家庭も安定
次世代育成を兼ねる電設会社を創業した

友電設(ゆうでんせつ) 川崎 俊広 社長

川崎 俊広 社長 経営も人生も「何事にも全力を尽くして努力する」と実践自立の開拓者精神で経営者人生を切り開いてきた川崎。日系2世として1989年に19歳で来日し2007年に電気設備工事会社を創業した社長だ。この来日時期前後から始まった日系ブラジル人の日本への出稼ぎブーム。だがその実態は学卒者といえども、仕事は3kを含めた自動車部品や食品工場などを中心にした単純作業で、その大多数は人材派遣会社の雇用者だった。その労働実態は日本経済の雇用調整弁として利用されてきた側面がある。しかし08年のリーマンショックで失業者が続出し多くがブラジルへ帰国した、同時にこの年を挟んでブラジル経済が目を見張る拡大成長期に入った。日本でピーク時には32万人いた日系ブラジル人が次々と帰国し現在は18万人に減少している。しかも12万人は日本国籍保有者または永住権保有者と日本での定住化が加速した。同時にその定住者にも高齢化が進み老後が心配されているのが現状だ。

この定住化に伴い生活の安定を図るために、雇用形態も手に職を持った専門技術者などを中心に職種も徐々に多様化してきた。在日日系人経営者の中でこの先頭グループに立っている1人が川崎俊広だろう。国家試験の電気工事士資格を取得した川崎は経営者として新たな雇用モデルの構築に挑戦している。同時に同じ地域に住む同業者仲間十数名とともに『在日南米電気工事業者協会』(所在地・横浜市鶴見区)を設立。いま代表理事を務めているが同協会をまとめ上げた本人で、その目的は1人でも多くの電気工事士の資格保有者を増やすことだ。雇用不安につながりやすい派遣という雇用形態から抜け出し、正社員型雇用につながる専門職として「主に鶴見周辺の在日ブラジル人や外国人のために、電気工事士試験の日本語対策講習会などを開催し、合格者アップに尽力している」。そこには12年間にわたり身をもって体験した派遣型雇用で自身の片目を失明したような苦労を2度と繰り返してはならないという強い思いがあった。

ここでいう電気工事士とは、「ビル、工場、商店、一般住宅などの電気設備の安全を守るために、工事の内容によって一定の資格のある人でなければ電気工事を行ってはならないことが法令で決められており、その資格のある人を電気工事士」という。電気工事士の職能団体として社団法人日本電気工事士協会があり「我々電気工事業界にとっては、日本の経済界や産業界はもとより、国民生活の基盤である『電気』の安定供給を支えるのが使命」と位置づけされている。

川崎が07年に創業した株式会社友電設(ゆうでんせつ、本社・横浜市鶴見区)はこの7月に創立10周年記念日を迎える。取引先やお客様から「信頼がおける」「仕事の品質が良い」が高く評価されており、経営理念は『最善を尽くして納期を守り質の高いサービスを続けること』を掲げている。業務内容は、施設、テナント、工場、商店、公共施設、共同住宅、一般住宅、電気設備、インターネット、Lanケーブル、防犯カメラ、エアコンなどの配管や配線工事、管理などの電気設備工事一切を行っている。主な受注先を50社前後持っており、創業以来、社業は毎年着実に業績を伸ばしており今年は約5億円の売上高を見込む。その理由について「工事品質力の維持と絶えざる向上心、納期を厳守すること、人と人との繋がりを大事にすること」の3点が同社の現在に繋がっており、「実直に仕事をし続けてお客様からの信用を得たことが極めて大きい」という。

さらに川崎には経営基本方針6か条がある。同社資料によれば、先の会社理念とともに「従業員を大切にする家族主義経営」、「日本語習得のための教育予算は惜しまない」、「新規参入事業への進出は徹底的に研究し市場知識を深化させること」、「有能な会計士を雇用し投資管理と会計管理を行う必要がある」、「余計な無駄は徹底して省き支出を抑制し会社の在庫や資材は徹底して会社管理下で行う」、と明確な経営信念と経営指針が明文化されている。同時に会社の成長と発展を支える経営の原点が示されおり、在日日系人経営者の中でも会社方針をこれだけ明確化した例は数少ないと思われ、ブラジル進出を視野に入れた経営基本方針といってもいいだろう。

同時に「社員を大切にする、人材を人財化する」会社で知られ、創業時8名だった従業員は現在60名を超えるまでに成長した。うち70%が日系ブラジル人を中心にした外国人だ。全従業員の30%が電気工事士の資格をもっており「目標としてはこれを70、80%台にまで高めたい」という。また「当社の外国人従業員は派遣社員とは異なり安心して働ける職場環境を用意している」。続けて「経営者人生が始まったこのお陰で職にあぶれた人材を数多く採用することができた」と人助けできたことを素直に喜んだ。人材の育成法も「人材育成、従業員とのコミュ二ケーション、できる限り助言する」という人間性重視の経営で、「これからも寛容さをもって社員の成長を見守り続けたい」と顔が輝いた。

こう語る川崎だが、創業時には会社立ち上げ直後にリーマンショックに襲われ仕事が激減した一方で、新会社ゆえに新規開拓先獲得には血の出るような汗を流して昼夜を問わず頑張った。そして10年後のいまは「この業界は需要が旺盛でまだまだ成長していくと予想している」と語れるほどの経営者になっている。

ところでなぜ電気設備会社の創業社長になったのか、その背景と経緯を簡単に説明しよう。もともと飛行機のパイロットになりたくてブラジル空軍専門学校に入学したが、当時はブラジル経済が超インフレ時代で生活環境が悪すぎ、兄とともに1989年に出稼ぎで日本に来た。そして神奈川県の基礎工事会社で12年間働いた。この間1回も転職しなかったが人生の無駄をしない川崎らしく資格や免許取得に努めた。その後、仕事で貯めた手持ち資金で起業家を本気で考えていた。ここが人生の妙だった。妻・瞳の義理の兄が経営していた電気工事会社で働いたことである。この間に電気工事士試験を受けた。難しい日本語だらけの問題で大変だったが見事に合格した。そしてこの資格を得た川崎は4年後にこの会社を買い取った。人生の転機を迎えた最大の瞬間だった。経営に自信を持っていた川崎は満を持して会社を創業したのであった。

ここで創業経営者として人生の荒波を乗り切ってきた川崎の人生を回顧してみよう。

70年にブラジル最南部のリオ・グランデ・ド・スル州で父・春夫(北海道出身で37年生まれ)と、母・朝子(樺太出身で同じ37年生まれ)との間の4人兄弟の末っ子として生まれた。少年期に父を亡くして生活環境が一変したが芯の強い子供で育った。当時の父からの教えは「人の和を重んじること」、母からの教えは「物事にこだわらず大らかに生きること」を教わった。これがいまの人生にどう役立っているかを聞くと日本及びブラジル暮らしともに、人生面では「どんな困難に遭ってもストレスに負けることなく乗り越えることができる」、経営面では「取引先や従業員と良い関係を保つこと」という。80年代は来日し土木関係の仕事、90年代は工事現場で事故に遭い片目を失明した。2000年代は電気設備工事の仕事を開始し会社設立、結婚し子供が誕生、10年代は本社社屋建設、と公私ともに全力を出し切って現在を築いてきた。1980年代に日本で働きいまブラジル最南端の州都・ポルトアレグレで暮らし、長年にわたり川崎を見守ってきた母の朝子は「俊広を誇りに思う」と自慢の息子をこう語った。

周りから「経営能力に優れ人材育成に努めている」と評価され、「物事には頑固、他人に任すのが苦手、リーダーシップがある」と、人に使われる人生ではなくリーダー人生を歩んでいる川崎には最愛の家族がいる。妻の名前は「瞳」で74年生まれ、「素直で優しい」「常にアドバイスをしてくれることに感謝」と心優しく頼りになる瞳夫人を絶賛した。子供は長女が「里奈」、次女が「英美里」の2人。

家族愛を原点に「人に尽くす、世に尽くす」人生を歩んでいるが、その好例が冒頭で書いた同業者仲間十数名とともに設立した『在日南米電気工事業者協会』だろう。在日南米人のためにNPO法人「電気工事士試験・日本語対策講習会」へ協賛し合格者増加を応援している。また在日外国人でも試験に合格すれば取得できる電気工事士資格だが、試験問題には日本語による難しい専門用語も多い。そこで主に日本に定住する在日ブラジル人の安定した就職を願っている在日ブラジル大使館も全面的にバックアップし、その成果として業界団体にかけあってこの資格取得を助長するために、今年から日本語にひらがなのルビを打った試験問題を出すことになった。自国民の公僕としてここはブラジル大使館の功績を称えたい。

在日ブラジル人の派遣による雇用不安を少しでも解消し雇用安定に繋がるこうした挑戦は、出稼ぎから約30年を得たいま、その出稼ぎ文化を変えていく新たなトレンドとしても注目されよう。こうした在日ブラジル人社会を担い、後継世代のために頑張る川崎は「在日ブラジル人の人材育成に尽力し、日本での活躍の場を広め、かつ両国の理解を深めていきたい」と実践力を伴ったリーダーらしい力強い言葉で取材を結んだ。いま注目の日系人経営者の1人である。(筆者 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2017年5月23日付

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