ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (86) 山田 勇次 ㊤

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

目標は会社規模3倍増に挑戦、地域貢献でも定評
事業家精神貫き信念の経営でブラジルのバナナ王に

山田 勇次 ブラスニカ社・会長 兼 盛和塾ブラジル・代表世話人

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (86) 山田 勇次

 バナナの国別生産量で676万トンに達するブラジルは世界第4位のバナナ生産国だが、ブラスニカ社のバナナ年間取扱量6万6000トンは、ブラジル全生産量の約1%に相当する。これが山田率いるブラスニカ社(正式社名はブラジニッカ・フルッタス・トロピカイス社、創業1967年)だ。米国の果樹栽培大手のドール社が以前ブラジルに進出しバナナ業界の寡占化を目指したが見事に失敗した。複雑な流通形態と生産業者の地域分散化など多様性の国ブラジルならではの特殊事情があったようだ。山田はこれを乗り越えて独自のシステムで販売ネットワークをブラジル中に構築し、他の追随を許さない強固な販売組織を築いた。その第1歩は17歳で家族から分離して独立営農、20歳の時に25haの土地でバナナ栽培を始めた時から始まる。そしていまブラジルのバナナ王として評価され、誰もが認める立志伝中の経営者になっている。

 ブラスニカ社によるバナナなどの果樹栽培事業は、地域経済と地域社会が同時に発展して行く企業文化も構築している。ブラジルで誰も考えつかなかったバナナ栽培不毛だった地域に山田が初めてバナナ栽培を定着させた。ジャナウーバ市(サンパウロ市から北東へ1300キロ)で栽培を始めた結果、農家が次々と山田に倣ってこの地域で生産を始めた。それにより84年当時4万人だった人口が7・5万人に増加した。さらにブラスニカ1社だけで市法人税の50%を収めている。この功績により山田は名誉市民賞も受賞した。こうして同市はバナナ産業の町に変貌した。山田の功績である。同様にサンパウロ州北部のバナナ栽培を始めたリベロンプレットから160キロ地点にあるデルフィンポリス市(人口8000人)も同様の傾向になっている。こうしていまブラスニカ社は、地域開発、雇用増大、税収拡大、人材育成、など地域開発のビジネスモデル的な会社にもなっている。

 このブラスニカ社はバナナ部門では、ブラジルで最大の生産&販売業者でいまのところライバルはいない。ブラスニカ社の所有土地総面積は1万2000ヘクタール。生産場所は複数の州にあり全部で20か所。ミナス州、トッカンチンス州などで生産しており大きい栽培地は3400haある。バナナは3種類生産しているが主力はプラッタ種。植えてから1年で収穫できる生産の効率性がある。バナナのほかに、ミカン、パパイアなどの果樹栽培と、4000haの土地で牛2000頭を飼育している牧場がある。

 そしてバナナ業界では最強と言われる直売部門は1987年から始めた。これを山田がブラジルで初めて構築し全伯規模のネットワークを持つ独自の卸販売部を築いた。販売店舗のある主要都市は、{本社のあるジャナウーバで取り扱っている商圏は(主にスーパーへ直販)クイアバ、カンポグランデ、ゴベルナドールバラダレス、リオ}{サンパウロはセアザとオザスコ}などのほかに、モンテスクラロス、ベロオリゾンテ、ブラジリア、ウベルランディア、トカチノーポリスなど10か所で、1部地域を除いてほぼ全伯をカバーしている。自社販売の態勢とネットワークができて中間マージンを省いた低価格で高品質なバナナを提供することで差別化を図っている。しかし「最近は競争が激しくなっており利幅が大きく低下している」という。バナナの年間取扱高の中で40%は買取り依頼に来る外部生産者、つまり生産者は販売をブラスニカに頼っているのが現状だ。売上高規模は約140億円。その構成比はバナナが70%で、その他パパイアマモン、カジュー、ミカンなどが30%となっている。

 いまブラジルのバナナ王と言われる山田だが、ここにたどり着くまでは決して平坦な道程ではなかった。いわば84年から当初の5年間は試練の時期だった。バナナの最適生産地を求めてブラジル各地を歩いた山田は、バナナ生産では全く無名だったミナス州ジャナウーバにバナナづくりの理想の土地を84年に発見した。気候、風土、地味などその適地条件を満たしていた。ここを適地と決意した山田は自ら莫大な投資をして灌漑設備を完成させた。そしてこれからという時に栽培したナニッカ種に大量の病害が発生しこの種は全滅、プラッタ種だけが残った。事情を知らない地元住民は当時冷ややかな目で笑っていた。しかしこの種が命綱になり当地におけるバナナ栽培が拡大発展しバナナ王に繋がっていくことになる。
 
 この攻めの経営を会得した山田の凄さは次のエピソードを読んでいただければ納得がいくはずだ。事業を自らの手で興す、誰もやらないことをやる、誰も手を付けない場所に投資する、人の思いつかないことをやる。20歳から会社を立ち上げた起業家であり、誰も考えなかった場所でバナナ栽培を始めた事業家であり、2000人の社員を使いブラジルのバナナ生産量の100分の1を生産する経営者が山田勇次だ。17歳の時に、当時世界的なブーム本だった、ナポレオン・ヒルの書籍「巨富を築く13の条件」を読み事業成功という人生目標が定まった。それ以降、この本の中に書かれている、できる、できる、あなたはできる、必ず成功するという、成功への信念=自己暗示、潜在意識、思いの繰り返しで、信念の確信を創り上げるために、自分の部屋一杯に張り紙で書き込んで十数年間、自己研鑽に励み続けた。同時にこの語録をポケットサイズに改編し40年以上持ち歩いている。人の目の見えないところで数倍或いは数十倍努力している山田の生き方・考え方がよくわかる話だ。その具体例が幾つかある。
・誰もバナナ栽培を考えなかった場所に栽培用土地を購入した
・同地は雨量が極端に少なく灌漑(かんがい)設備を作った
・新天地でのバナナ栽培は当初5年間が失敗続き、害虫が付きにくい「プラッタ種」に変えて事業として成功した
・直売卸し店舗展開を作り始めた
・東北伯銀行(バンコ・ド・ノルデステ)が山田のバナナ事業に注目して融資した
 以後、逆境にめげずその逆境を跳ね返す力が山田にはあった。

 同時に山田は10代の独立営農時代から同心円経営を実践している。それは1人ではなにもできない事を開眼したからだ。社員の心をつかむために取り組んでいることは何かを聞いたところ「いままで社員に給料の遅配欠配をしたことがない、人間関係を大事にする、社員と絶えずスキンシップすること」を挙げた。ここにたどり着くまで、人が集まる工夫、身体が弱かったこともあり人をうまく使う手法を覚えたという。

 これだけの会社規模になったいま、後継者育成にもきっちり取り組んでいる。長男であるジュンはブラスニカ社長を務めており、山田イズムがしっかり浸透している。小さい頃から父とともにどこに行くにもいつも一緒に動いていた。ネゴの仕方もそうだし、人付き合いも、人の使い方も、父の行動を見て覚えてきた。「子供は私の背中を見て成長してきた」。いまでは牧場と牛に関しては山田よりは詳しくなっている。「ジュンは人の話を聞くからいい」(牧場マネージャー談)と自慢の息子になっている。ただ気になる点は山田がカリスマ型創業経営者であるが故に、自ら育てた2000人の社員と組織が、山田亡きあとも後継社長がトップとして通用するかといえば、そこは注意深く見極める必要がありそうだ。
 またブラジル山田家として後継世代に伝え続けたいことは何かを聞くと「子育て教育のイロハは、仕事はやらせて、そして苦労させること、が大事だ」という。

 最近発表したブラスニカ社グループの売上3倍増計画については、「1例だが、会社からクイアバやカンポグランデまで2000キロある。いまトラックで搬送しているが、途中の中継地点でバナナ栽培を含めた生産及び販売拠点化を考えている。現在のジャナウーバに本社を置きバナナ生産を商売化させたが誰も成功するとは思っていなかった。人が思いつかないことをやるのが私の経営の基本的な考えだ。つまり先手必勝でやっていくことが成功への道に繋がっていくことになる」と持論を展開した。(つづく 敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2018年4月10日付け

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