ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (89) 平田 寛一

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

バイア州北部で農業一筋に60周年迎えた
マンゴー栽培の先駆者は実践自立の経営

平田 寛一 アリゾナ農場 会長

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (89) 平田 寛一

 ブラブル北東伯のノルデスチ地方を流れるサンフランシスコ川の灌漑設備の完成によって、中流域地帯のペトロリーナ(ペルナンブッコ州)とジュアゼイロ(バイア州)の両岸地域一帯は、ブドウやマンゴー、メロン栽培などでブラジルを代表する果樹生産地になっている。生産された果樹は欧米やアジア、南米、中近東など世界中に輸出され、国内市場でも大都市のサンパウロやリオ、ベロ・オリゾンテなどブラジル全土で広く販売されている。

 ここジュアゼイロ(バイア州)郊外に立地するマンゴー栽培専業農家である平田甚一ファミリーが経営する『アリゾナ農場』。1970年に借地だった70haの農地を買収し新たに買い増し続けて、いまでは保有土地面積560ha果樹面積300haでマンゴーだけの栽培を行っている。1ha当たり100本の栽培本数で、品種は糖度が高く高品質で単位収穫の高いトミーアトキンス種を中心に合計3万本(10m×10m間隔の昔の方式で収穫しやすい栽培面積法)を栽培している。1年中収穫ができ年間収穫トン数は9000トン。繊維質がなく粒が大きい、平均糖度は15度、と品質の良さでサンパウロとベロリゾンテの仲買業者に販売している。平田は「いままでこの地で農業経営を52年やっているが、失敗したこともないし損するようなこともなかった」と自信をもって自分の農業経営をこう言い切った。

 この平田は66年にペトロリーナに最初に入植した日本人の1人だった。入植した時はサンフランシスコ川の灌漑工事はまだ始まっていなかった。手掛けた最初の畑作はタマネギ、トマト、スイカ栽培だったが、当時の地元民はトマトやスイカを食べることを知らなかった。そこで食べ方や味覚を覚えさせてから売れ始めた。当地の家庭食卓に野菜やスイカ普及でパイオニアの1人になったのが平田。その後メロン栽培で大儲けもしている。

 結果的になぜマンゴー栽培1本になったのか。この地域で平田にはマンゴー栽培の最初のパイオニアとしての自負があった。その栽培理由を聞くと「川端に沿って野生のマンゴーが育っていた、これは栽培できる」という確信が成功につながったという。80年から始めたが当初は小売価格に破格の高い値段が付いたこれを契機に栽培本数250本からスタートした。「ここは気候に恵まれた絶好の適地適作地だ」という。

 同時に96年には半年間かけて、サンフランシスコ川から灌漑用水を2本の管で自分の農地まで8キロの距離を持ってきた。その費用は「全て個人負担で莫大な金がかかった」。しかし農業は何をやるにしても水資源の確保がいまも昔も生命線であることを平田は改めて教えてくれた。従業員数は70人。マンゴーの選別・梱包・出荷までを行う集配センターの面積は1500平方メートルある。マンゴーの出荷先はサンパウロとベロ・オリゾンテ2都市に特化しており、搬送用のトラックは取引業者が全て用意して取りにきてくれる。

 同農場のマンゴー販売の統一ブランドは『アリゾナ』。20個入りの出荷用果物箱ごとに、生産者名として平田の子供それぞれの個人名「ジョージ」「クラウジオ」「ジェラルド」「マリア」「アンデルソン」の名前を小さく入れている。これは子供たちが共同経営をしていることでもあるが、なぜこうなったか具体的には、ジョージ・イサオ、55歳、子供2人で3人目が8月出産予定。クラウジオ・カズヒロ、54歳、子供1人。ジェラルド・タダシ、50歳、子供2人。長女のマリア・ルージス・サユリ、既婚、子供2人。アンデルソン・ユキヒロ、37歳、子供2人。5人の子供それぞれがマンゴー栽培地を分割所有したことによるものだ。平田によれば「今年に入ってから決めたことだが、子供ごとに農地所有区分を分割して各々に経営責任を持たせている。相続で争い事がないようにする決断だった」。

 その平田は取材した今年3月にブラジル移住60年周年を迎えた。その感想は「農業経営が成功し続けここに入植して本当によかった」という。公道から自宅にたどり着くまで10キロの間には家が1件あるだけの農場内自宅に住んでいる。今年85歳を迎えるが矍鑠としており自ら運転して農場を案内してくれた。生活する上で大切にしている言葉は「努力」。趣味はモノ作りで、その一例は運搬用カレッタ(荷車)製作。農場から果物を運ぶ荷車は全て平田による手作り車。58年の移住以来、平田5兄弟は5人とも農業経営で成功しており仲が良い。家族移住で当時は25歳だった。平田は移住以来、人の助けを借りずに自助努力だけで成功した数少ない農業移住者の1人になっている。

 ところでブラジル平田寛一家の家族構成は、先の5人の子供と孫の12人及び曾孫1人。妻はキヨ、60年に見合い結婚した。いまキヨ夫人に贈る言葉は「ありがとうの一言に尽きる、ここまで本当によくやってきてくれた」。父は作吉、母はマツで、四男として人に頼らずに実践自立で生きてきた。子供の頃に父からは「真面目に正直に生きること」を教えられ、母の実家は代々熱心なクリスチャンの家系でマツも106歳まで生きて天寿を全うした。「両親のおかげで子供たちにも親の言うことを聞くように教育してきた」。続けて「平田家と子供たち自身が自分の名を汚さないように生きていくことも教えている」という。

 取材の最後に自分が誇れるオンリーワンは何かを聞くと「農作物づくりでは人に負けたくない気概がある。当地域に入植以来、自分の作物をつくることが生き甲斐に繋がっている」。「代々平田家は私の兄弟も、子供の代になっても、一致協力し助け合っていくことができると確信している」と『家族の和』を強調して取材を結んだ。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2018年5月1日

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