ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (90) 宮本 倫克 ㊦

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

日本精神と加賀百万石の誇り輝く人の絆
親子3代でマナウス石川県人会の会長職

宮本 倫克 グランジャ・ミヤモト 会長

 ここからは宮本の人物像と宮本家と縁のあった親族、そして親子3代にわたり、地域ボランティアに尽くすブラジル日系人としての誇りと郷土愛を紹介したい。

 宮本は1943年に父・竹一と母・きみ子(現在97歳)との間に北海道留辺蘂(るべしべ)町で生まれ、その後、金沢市に戻り15歳まで育った。4人兄弟の長男で、後の兄弟3人は金沢で生まれた。名前は長女・須賀子、次女・みり子、次男・壮(つよし)。父は16年3月に金沢(地元で通称・尾山)で生まれた。18歳で関東軍に志願し、志願兵として勤勉実直、戦果絶大、などの功で数多くの勲章を受章している。退役後、北海道に渡り留辺蘂町に住む大叔父・西川清吉が経営する木材業を手伝った。その時に隣町の温根湯(おんねゆ)町に住む、きみ子、と出会い結婚した。その後、朝鮮で警察官を務め現地人を大切にしていたことで、終戦後、朝鮮のために働いてほしいと懇願されたほどの人物だったが、同年に故郷の金沢に帰った。そして木材業を始めたが、サムライ気質が旺盛で商売人ではなかった。その後、料理屋を開業していた時に、金沢市で行われた東京農大教授の杉野忠夫の「ブラジル移住の勧め」と題した講演会を聞きブラジル移住を決め、翌年の58年に家族で移住した。

 ここで両親の縁結びになった北海道の大叔父・西川清吉とは、大正7年に金沢市から北海道に移住し、40年代後半から50年代当時、瑠辺蘂を拠点に木材業を中心に道内各地で幅広く事業をやっていた人として知られる。当時の自民党道連の実力者を援助しながら本人も道議会の議長を務め道連を支えた功労者の1人だった。少年期に父から学んだことは、時代の変化に伴い、厳格で生真面目な親父の生き方通りではない、時代に適合し自分に合った生き方と考え方を学んでいった。

 妻の輝代と結婚したのは70年8月、移住事業団の職員の紹介で21歳の時に宮本家に嫁いだ。農場ではドナ・テレーザと呼ばれる。10歳でアクレ州のキナリー移住地に家族で入植した熊本県出身の子弟だった。いまその妻に感謝を贈る言葉は「ここまでようやってくれた、特に私の母の面倒をよくみてくれている」。75歳になったいま、これからやりたい人生の夢は「妻の輝代と一緒に世界1周旅行をする」ことだ。

 またここで暮らす日系人の1人として現在までの主な叙勲や表彰は次の通り。戦後移民60周年記念でアマゾナス州から唯一宮本が表彰。03年に石川県から感謝状。08年にアマナナス州の州警察から感謝状。13年に外務大臣賞。15年にアマゾナス州農業連盟50周年記念で「養鶏部門」で表彰。16年にマナウス市議会から市民功労賞、などブラジルと日本双方から価値ある賞を受けている。

 同時にサンパウロなど南東部と異なる西部アマゾンの日系社会は「我々が主催するフェスタやイベントがあれば進出日系企業も協賛で応援してくれる」ことだ。この言葉を受けるように「宮本さんはマナウスの総領事館や日本からの駐在員社会と日系人社会を結ぶまとめ役に欠かせない人」と語るのはマナウス総領事館の某領事。ここマナウスに宮本倫克あり、と西部アマゾン地域を代表する日系人の1人として知られるようになったのには原点がある。20代や30代の若い時からブラジル各地を廻り見聞を広めた。現地情報の収集や人脈づくりに汗を流した。マナウスだけにとどまり「井の中の蛙、大海を知らず」にならないように、月1回のペースで出かけ、ブラジル各地や日系社会、コチアや南伯といった日系人の会社や事業などの習得に努めてきた。こうした集大成がいまマナウス日系人社会のリーダーとして、地元マナウスを始め、日系人社会、領事館、進出日本企業、日本人会、日本語学校などから、頼りになる世話人として、また橋渡し役としてその評価は高い。

 また郷土の先輩である森喜朗元総理からは、サーレス移住地の50周年記念石碑にと『拓魂』の2文字を拝受したが、その時には「面談は当初20分間の予定だったが倍の40分取ってくれた。帰りにはエレベータまで送ってくれた」。日本の伝統的な精神文化で最も大切な言葉は全てにおいて『信用』が宮本の座右の銘になっている。

 ここでブラジル宮本家の郷土愛が分かる絶好の話がある。石川県と「マナウス石川県人会」(61年発足)との関係だ。サンパウロにある「ブラジル石川県人会」と並んで石川県庁が公認している県人会だ。いま会長には宮本の次男・幸治が就任している。日本移民110周年を迎える今年、親子3代で会長に就任したのは移民史上初めてのことだろう。3世代にわたり県人会やサーレス移住地自治会、西部アマゾン日本文化協会などの要職を務めている例は極めて珍しい。地域ボランティアに貢献するブラジル宮本家の家訓が分かる話だ。

 取材の最後はこの話で結びたい。故郷である金沢市は「私にとって心の故郷だ」という宮本。10年前のサーレスの入植移住50周年記念祭には、金沢時代の幼友達で、踊りと三味線の師匠である竹林国昭夫妻が、18人の弟子を連れてお祝いに馳せ参じて祭りを盛り上げてくれた。幼馴染が地球の反対側にある日本からブラジルに18人もの団体で来てくれるということ自体、宮本の人徳と人物が分かろうというものだ。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2018年5月9日付

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