ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (90) 宮本 倫克 ㊤

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

マナウス養卵市場の20%を占める最大の養鶏業者
絶えざる進歩と発展を目指し新たな新事業にも着手

宮本 倫克 グランジャ・ミヤモト 会長

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (90) 宮本 倫克㊤

 今回取材した宮本倫克は、創業以来、赤道直下のアマゾン・マナウスで生きる養鶏事業家だ。同時に金沢市育ちで加賀百万石の気質と気概をもっており、本業とともに日系社会の発展と日伯関係強化に貢献している人物でも知られる。特に組織運営力や組織づくりなどを含めて周囲から頼られる存在になっている数少ない1人だ。本業でも取引先や消費者からの信頼は高い。マナウス鶏卵市場の40%は宮本の出身地であるサーレス移住地の養鶏農家が占めており、そのうちミヤモトだけでマナウス市場の20%を占めている。開業年月は1965年で飼育羽数5000羽からスタートしたが、いまは27万羽で、1日当たりの生産量は18万個で5000ダース(36個入り)を毎日出荷している。

 ここまで成長した理由は、養鶏増産への道を開いたのが68年から始まったマナウスフリーゾーン(通称・マナウス経済特区、税制の恩典など優遇制度のある工業団地)開設により市場のパイが拡大したことだった。鶏糞を農業用肥料ほしさに鶏飼いを始めたが、卵の方がはるかに儲かることが分かった。熱帯で鶏が飼えるかという不安があったが日本から技術指導専門家が指導してくれて、養鶏場は80年代以降順調に鶏羽数を増やした。「家族の協力があったから大きくできた、父が元気だったし家内も頑張った」と家族が一致協力して養鶏業を大きくしていった。しかし、この理由のほかに「運が良かっただけ」と語る宮本だが、品質と新鮮さを前提にした鶏卵づくりを行い、信用と信頼を大切にする養鶏業生産を行う、宮本流の真摯でひたむきな努力に尽きるともいえよう。実際、ミヤモトのように赤道直下で大規模養鶏が成功した例は世界でもインドネシアなど1部地域に限られているのが現状だ。また商売の現状は「ここ数年来、業績は横ばいだがブラジル経済全体からいえば悪くない」という。

 ここで宮本をよく知るためにサーレス移住地の説明をしておきたい。ここの移住地に着くまでには、サンパウロからマナウスまで道路距離で約3900キロ、直線距離で約2600キロあり飛行機で4時間かかる。さらに市内から60キロに離れており車で約40分かかる地点にある。管轄州であるアマゾナス州の面積は日本の約4・4倍(55・5%が保護区域)、人口は約400万人、州都・マナウス市の人口は250万人、公私立の大学が16校あり、朝夕の交通渋滞はサンパウロと変わらないアマゾン流域最大の都市である。マナウス圏には約5000人の日系人が暮らしており6つの日本人移住地がある。宮本が住む移住地の正式な名称はエフィジェニオ・デ・サーレス移住地。鶏卵や野菜生産で知られるマナウスの衛星都市の1つだ。同移住地の概要が書かれた資料によると「ブラジル発展に功績のあった人の名にちなんで命名された地名。マナウス市から東方へイタコチアラ街道の両側に約35キロにわたって続く移住地。58年11月、第1次17家族118人(この中で石川県出身者の割合=3家族で17人)の移住者をはじめとして61年8月までに54家族が入植した。その後発展し一時は82家族を数えたが、過酷な自然状況、販路のなさなどから離農者が続出し、現在は30家族。養鶏、果樹、牧畜などの混合農業で生産物をマナウスへ出荷している。移住地の中心はマナウスから41キロ地点にあり、自治会事務所、会館、農協、小学校、自治会運動場などがあるが、これらも移住者の大きな努力によってできたものである。教育はブラジル語で行われているが、毎週1度、日本語教室が開かれ、日系2世、3世に言葉や野球、折り紙などを教えている。いまでは各家庭が携帯電話で連絡を取りあっている」と記されている。

 アマゾナス州政府が各入植家族に用意した土地は1家族25ヘクタール。(筆者も見たが)宮本家が入植直後に割り当てられた土地は運悪く、傾斜地だらけのデコボコ土地で平らな地面はどこにもなかった。「公的機関が斡旋してくれた土地だっただけにこんなに劣悪な土地とは思ってもみなかった」という。同時に第1次入植者は初期移民と同様に、マラリア、アメーバ赤痢などの風土病でも苦しんだ。移住当初から養鶏と出会うまでは、ジャングルを切り開いた農地でピメンタやトマト・ピーマン・大根などの野菜をつくり、マナウスまで運びそれを売って生活してきた。先に書いたように最初の養鶏は60年頃から始めたが野菜などの肥料作りのためだった。しかし実際には養鶏の方がいい収入になった。そこで本格的に羽数を増やして養鶏業者として生きていくことを決めた。76年からは移住地に電気も入り養鶏が加速した。

 こうしてミヤモトの事業は現状に甘んじることなく絶えざる進歩と発展を目指し、新事業にも取り組んでいる。本業の養鶏では、卵30個入りの紙パックを自社製造しており、卵専用の自社製梱包用ダンボール箱の生産も行う予定だ。同時に自社の工作機械を利用した鶏舎用鶏籠づくりを行うなど、コスト削減策が随所でみられる。また関連事業の、果樹栽培はマラクジャ(1ha)300本、パパイア(10ha)8000本、養豚は10年前から、など事業化に向けた試みが始まっている。さらに新事業として3年前からアマゾナス州政府に提案し、その後、州政府からの要請で生まれた「廃鶏処理センター」(仮称、建坪面積1000平方メートル)は西部アマゾンで初めてとなる廃鶏施設が完成する。今年末に工事が終わる予定で、終わり次第、操業を開始。年間最大で100万羽の処理数となる。

 現在、ミヤモトの養鶏場総敷地面積は10ha、飼育舎総数30棟、鶏卵の販売方法は直販卸しで主に店舗卸先に販売している。自社配送トラック台数は6トン車2台、4トン車1台で配達先に運んでいる。養卵販売では「取引先の店と人との信頼関係を最も大切にしている」。さらに商売の心得として「父が200羽(60年頃)から始めた養鶏が27万羽になっている。しかし同業者を潰してまで事業規模を拡大しようとは思わない。いまが適正規模と考えている」と宮本はこう答えた。

 今後の経営ビジョンについては「数年前から子供たちに経営権を任しているので発言は控えたい」という。その子供の名前と仕事の担当部署は、長男の民知男(みちお)は47歳で販売担当責任者、趣味はピストル射撃で世界のトップレベル。次男の幸治は43歳で生産担当責任者、具体的には関連事業の果樹栽培や養豚飼育、年内完成予定の廃鶏処理センターを含む。長女はたまみで45歳、既婚。孫は3人で名前は、優香、ゆい、寿輝。後継者教育の基本は「人に好かれる、人から信用される人間になる、ことに重きをおいて教育してきた」という。(つづく 敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2018年5月8日付

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