ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(31) 南 パウロ 忠孝 社長

南 パウロ 忠孝 社長

叩き上げのオンリーワン人生に輝き
田舎の町工場が農業機械でシェア60%
ミナミ農機 南 パウロ 忠孝 社長

 「お客様の声は神の声」と言い切る南。コーヒー王国・ブラジルで車両型のコーヒー用肥料自動散布機分野のシェアが60%(年間販売台数は700台超)誇り、コーヒーの生産性向上に役立つ農機具として生産者から高い信頼が寄せられている。そのメーカーとして存在感を発揮しているのが1972年に設立されたミナミ農機(本社工場・サンパウロから北東に約85キロの郊外都市ビリチバ・ミリン市)だ。この創業社長が南忠孝、56年に移民した準2世で43年生まれの71歳だが、技術開発力旺盛な経営者として知られる。

 当初30年間は会社経営の資金繰りで苦しみ続けたが、ここ12年間は自己資金だけで事業を行っており、強い財務体質を誇る優良中小メーカーでもある。日本では今いなくなりつつある裸一貫の叩き上げの経営者であり、小学校卒の創業者として、「率先垂範」「一生懸命」「創造開拓」をモットーとする市場開拓型経営者の一人だ。

 このミナミの事業は、工場敷地が6万平方メートル、工場建坪7000平方メートルで、ここで20品目を生産する主力事業の農機具生産(年間700台)、10年から生産を開始した低価格公共住宅向けの量産化屋根、建材用店舗で使用する各種陳列棚の製造・販売を3本の柱として事業を展開している。ちなみにその営業取引先数は890社を誇る。事業の核は売り上げの65%を占める農機具で、工場には約100人の従業員が働いている。工場を見る限り近代化されオートメ化された工場とは異なり、町工場規模の伝統的な職人文化的体質で生産を行っているが、工場全般と生産ラインを見た限りどこにミナミの強さがあるのか一目では分からない。ただ確かなことは製品の一つ一つが手づくり仕様で南の魂が入った製品になっていることだ。ここ数年来で新たに事業化した公共住宅向け屋根の量産化生産と建材店用陳列棚生産の二つの事業は、中小メーカーでも創意工夫とオンリーワン精神があればここブラジルでも事業をやっていけることを南は身をもって示している。

 こうした創業者イズムに溢れた南は、4人兄弟の次男として和歌山県南紀地方で生まれた。当時、「ブラジルに移民すれが嫌いな学校に行かなくて済む」、と純朴に喜んだ。それが現実になり小学6年の時に一家を挙げて移民した。南少年の希望通りだったというべきか、ブラジルでは学校にはいかずそのまま親の仕事を手伝った。15年生まれの父である虎彦の人生信念は、「男というものは独立した仕事をやり遂げなければならない」、というのが口癖で、南も少年時代からこの精神を叩き込まれて育った。ガムシャラ、猪猛突進タイプで蛮勇時代の大正期生まれの男だった。農業をやるかたわら虎彦は農家に役立つ手づくりの農機具づくりに励んだ。趣味で始めたその第一歩が近郊農家で役立った「人参洗い機」でこれがミナミ農機立ち上げの原点になった。「夜はランプを付け通して仕事をやっていた」と語る南。親父の虎彦がその事業化の種を蒔き、その種を育てて実らせたのが南で、「私も見よう見まねで仕事を覚えその一端を手伝った。これがいまのものづくり経営に繋がっている」という。

 そしてさらに南を強くしたのが小学校卒というハンディキャップだった。それに気が付いたのは大人社会になりかけた10代の後半だった。田舎暮らし をしていた、人よりも知識が足りない、人の話が分からない、これではついていけない、と気が付き、これが持ち前の向上心と探求心に火がついた。「人の話を 誰よりも聞ける聞き上手になろう、そのためには出会った人との話を自分のものにして知識と常識を蓄積しこれを磨いていこう」と決断した。その結果、50年 以上たったいま、南にどの経営者にも負けないオンリーワンは何かと聞くと、「人からの話をしっかりと聞けること、誰よりも人の話を聞くことができる」、と 即座に答えが返ってきた。

 これが南の新たな人生の始まりになった。21歳の決断だった。「農業をこのままやっていたら自分はダメ になる」とカバン一つで家を飛び出しサンパウロに向かった。「20代は人から人生や仕事を学ぶ時期」と明確な人生設計を描いて貪欲に新たな人生の素養を磨 いた。「出会った人生の先輩格からの話は砂に水がしみ込むように自分の全身にしみ込んでいった」と南。続けて「この時に自分自身の人生の基礎ができ上がっ た」という。そして確かな自分を築き挙げ、その結果、29歳の72年にミナミ農機の設立となったのである。

 しかし会社を経営したものの、「スタートから30年間は資金繰りで四苦八苦し財務は火の車だった」。この期間に南が得たものは「私は『一生懸命』 という言葉が好きだ。なぜ自社製品が売れないのか、その原因を求めて製品改良と商品開発の日々が長年続いた」という。この南の『一生懸命』という言葉には 「この42年間、資金繰りがいかに苦しくても従業員の給与遅配は2回だけ」、「死ぬ物狂いで働き働いている」、「自分の能力ぎりぎりの一線を使い切る」、 「人と人との関係は絶対甘くない」、「正しい方向に向かって努力する」、のような意味も込められている。

 このような南の経営力に さらに磨きがかかったのが、京セラ名誉会長の稲盛和夫が主宰するブラジル盛和塾への入会だった。94年に入会しいまも熱心な塾生の一人である南は「稲盛イ ズムを全社員が学習し、その結果、『共有という企業文化』が生まれた。私も自助努力し盛和塾の教えと一体化した」。これが無借金経営につながり、建材や屋 根といった新規事業進出の成功に結びついた。南は盛和塾の教えと恩恵をこの二つの新規事業の成功で具体的な経営結果を出した一人にもなった。

  メーカーの宿命としてミナミ農機はいま機械設備の更新と近代化に取り組んでいる。その一例がレーザー機器と旋盤機械の導入で「ミナミの製品は一流だ、とい われるような製品づくりに取り組んでいきたい」と事業欲が全身からほとばしる。そこにはものづくりに生涯をかける真摯な経営者像があった。こうしたミナミ 農機を支えている経営陣は、社長の南忠孝、創業以来からの番頭格を務める営業担当専務で弟の南忠宏、工務部(設計や積算など)担当役員の肱岡道夫、息子で 財務担当役員の南広志、が核になり、ものづくりの原点である町工場の心意気を全伯に示している。

 ブラジル農機具業界を代表し日系コロニア企業を代表するジャクト農機は世界90カ国以上に輸出する世界企業に育っているが、一方ではサンパウロ近郊でも人口3万人のミリチバ・ミリンというのどかな農村地帯にミナミというオンリーワンの農機具メーカーがある。

  その南の経営のキーワードは「前提は品質力、日本人は信用とサービス、お客様は神様、アフターサービスが第一、万全なサービス態勢構築に全力、信用とクソ 真面目、不動の経営信念」など、南にはこうしたものづくりの原点であり日本の町工場経営の原点ともいうべき経営者精神が脈々と流れている。同時にボラン ティア活動でも、地域の少年野球への支援を15年間続けており、高齢者の参加が多いマレットゴルフにも積極的に支援している。

 南 は最後にこう言った。「信用とサービスには企業規模の大小という差はない、私は製品づくりに拘っている、売れるものをつくらないと商売にならない、42年 間の私のキーワードでもある。同時に稲盛塾長の教えでもある、『汗を流して心を鍛える』をさらに磨いていきたい」、と結んだ。(敬称略、筆者=カンノエー ジェンシー代表・菅野英明)

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