ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(76) 白石 一資(ひとし)

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

赤心の大和魂でノロエステの万人に尽くす
オクラ栽培一筋で山本喜誉司賞も受賞

前ノロエステ連合日伯文化協会会長
兼 白石農園 農園長

幼少の頃から父の仕事を毎日手伝っていた2世の白石の人生は、オクラ栽培で名を上げた農業でも、地元日系団体のボランティア活動でも、『公に尽くす、世のため人のために尽くし奉仕する』日本精神をバックボーンに生きている。同時にノロエステの中心地であるサンパウロ州アラサツーバに住む83歳の白石は持論を持っている。「12歳の時に父から強く勧められいまも毎朝5時から日伯(現ニッケイ)新聞を読むのが日課だ」と、日本と日本の伝統文化を支える日本語への拘りと思いは熱く「移民200年祭まで日本語が継承されてほしいと切に願っている」と語る国士でもある。

 サンパウロ州約100万人、パラナ州15万人、そしてパラー州約5万人と、これは日系人が多く住むブラジルの州内人口だが、ここアラサツーバ市(サンパウロから北西へ500キロ)にノロエステ連合日伯文化協会本部がある。白石はこの協会長を2006年から15年まで10年間務めた。このノロエステとはサンパウロから北西へ350キロのバウル市からアンドレジーナ市までの沿線400キロの地域(東京から名古屋までの面積がすっぽり入る広さ)を指す。名前の言われは戦前に鉄道の施設が行われこの路線名がノロエステと言われたことから始まる。1908年からブラジルへの日本移民が始まった7年後の15年から、日本人移民が新天地での人生を求めこの地域に集中した。戦前は20万人、戦後は5万人が原始林を畑に変える開墾入植し、拓魂精神に支えられた開拓移民によって次々と日本人移住地が形成されていった。そしていまこの地には総数で6882家族、4万8371人を数える移住地だ。アラサツーバにも現在約2000家族の日系人がおり、うち800家族が会員になっている。

 そのノロエステ連合日伯文化協会の勢いを年に1回、肌で実感できるイベントがある。毎年夏に行われる『盆踊り大会』である。踊り手2000名、参加者総数6000名という桁外れの大規模なものだ。ノロエステ連合日伯文化協会を支える加盟文協は30団体、ノロエステ連合日伯文化協会の1区―A・1区―B・2区・3区、バウル日伯文化協会、カフェランジャ文化協会、平野農村文化体育協会、タンガラ2区農村文化協会、タンガラ7区農村体育文化協会、リンス慈善文化体育協会、ゼツリーナ日本人会、グアインぺ文化体育協会、グアイサーラ文化体育協会、プロミッソン日系文化体育協会、プロミソン日伯文化体育協会、ペナポリス日伯文化協会、クレメンチーナ日伯文化体育協会、サントポリス日伯文化体育協会、ガブリエルモンテイロ日伯文化協会、ビラッキ連合日本人会、ビリグイ日伯文化体育協会、アレグレ日本人会、アラサツーバ日伯文化協会、グアララぺス娯楽スポーツ協会、ヴァルパライソ日伯文化体育協会、ラヴィニア体育協会、ミランドポリス文化体育協会、アリアンサ日伯文化体育協会、グアラサイ日伯文化協会,フォルモーザ日伯文化体育協会、アンドレジーナ日伯文化体育協会、イーリアソルテイラ日伯文化体育協会、ぺレイラパレット日伯文化体育協会、トレスラゴア日伯文化体育協会、から形成されている。

 ここで白石はノロエステの日本移民の歴史についてこう説明をしてくれた。「(アグア・リンパ集団移住地でも分かるが)初期移民の先達の方々による不撓不屈の開拓者精神があったからこそ現在がある。マラリア、水害、日照り、霜など自然災害により、いわば屍累々の上にこうした日本人移住地が形成されてきたことを忘れてはならない。従っていまここで生きる私たちは開拓の先達に対して感謝と尊敬の念もって生きることが大切だ。これを次の世代に継承していかねばならない義務と責任が我々現役世代にはある」と信念をもって堂々と答えた。

 こうした確かな見識を持つ白石一資とはどのような人物なのだろうか、紹介しよう。福岡県出身の父・一郎と母・豊子の間の9人兄弟の3番目としてノロエステで生まれた。幼少の頃から働き者で父とともに米作づくりに励んだ。20歳になった55年から日系人では初めてといわれる本格的なオクラ栽培を始めた。収入の多様化を図る多角経営が目的だった。以来、この栽培に生涯をかけて取り組んだ結果、57年後の12年にオクラで山本喜誉司賞を受賞している。

 この間、白石は収益性の高いオクラ栽培を白石家だけの財産とせず、万人共有の精神で、その栽培ノウハウを惜しげもなく栽培の相談に来た近隣や遠方からの農家に、肥料や石灰使用などオクラ栽培のための土壌づくりも伝授していった。この結果、オクラ栽培がアラサツーバ一帯に普及したことにより、オクラ生産がサンパウロ州で最大になり、同時にブラジル全土でも第2位の生産高になった。現在の同地域の栽培面積は424haを超えている。ちなみに白石産オクラは市価よりも平均30%高く、高品質と均一性ある品揃えでセアザでは特級品扱いにランクされている。品種は肉質の良いサンタクルース種を栽培している。

 白石農園の生産品目と農地面積は、サトウキビ栽培300ha、とうもろこし栽培120ha、オクラ栽培24ha、大豆が100ha となっている。農場の運営方針は「常に良品質の農産物を消費者にお届けすること」だ。農場主として今後の方向については「農業生産の機械化がどんどん進んでいるいま、当農場も生産面積を拡大して機械化時代に対応していきたい」。

 この白石を支える家族は、妻・睦子との間に子供が3人。長男・一郎は49歳で妻・千代子との間にさゆり・はるみ・あゆみの子供3人。次男・基実は47歳で妻・明美との間にゆかり・等の2人の子供。

 3男・君彦は42歳。この3人の息子は全て白石農園で働いている。「家族があるからいまがある、妻、子供、孫たちに対して片時も感謝の念を忘れたことはない」。こう語る白石が幼年時代から親から教えられたことがある。「父は厳しい人だった。私も毎朝起きると家族とともに日本を向いて天皇陛下に対して挨拶のお辞儀をしていた。また父からも母からも日本人として恥ずかしいことをしてはいけない、と厳しく躾けられた」という。現在、「そのおかげでいまの農場や自分の人生がある。これは両親の教えのおかげだ。同時に周囲の皆様のおかげでここまでやってこられたことに感謝している」。

 また家訓にも独自性がある。「ブラジル白石家はこれからも代々にわたり出来るだけ日常生活でも日本語を押し通していく考えだ」。同時に子供教育でも「3人の子供は全て日本語学校に通い日本精神を身に付けている」家風がある。その孫たちもいま日本語学校に通学している。

 白石はいまの日本では会えないであろう、久しく会っていなかった輝きのある品性に包まれた伝統的な日本人の顔そのものだった。とても83歳とは思えない内面から出てくる精気がある。会話の対応力も50代並みの対応性と弾力性がある。「この人は人物だな」と思わせる修練と精進で鍛え抜いた人間的な魅力が備わっている。先の巨大な文協組織をまとめ上げてきた要諦について聞くと「周囲の方々や関係者の皆様のご支援と協力があったればこそ職務を全うすることができた。心から感謝したい。同時に常に相手との対等目線を大切にし、相互扶助と同胞精神を大切にして、いうべき点は言い組織の大義名分は何かを忘れずに会長の職務を果たしてきた」と語った。

 陽徳と謙虚さが同居している白石は「人間として何事も常に明るく見ること、常に謙虚さを忘れてはならないこと、相手に対する思いやりの心」を日常生活の原点にしている。幼少の頃から父とともに学んできた、戦後日本の国格の1つになった『生長の家』谷口雅春総裁の『生命の実相』をバイブルに日本の伝統文化を大切にして生きてきた。宗教心、皇室観、道徳心、倫理観などいまの日本では忘れつつあるが、日本人として生きていくために忘れてはならない大切な、大和心と魂をもって生きている人物の1人が白石だろう。ノロエステ連合の会長経験者にふさわしい2世の日本人リーダーがいることは感服ものだった。

 最後に白石は「日本からの初期移民以来、私たちを温かく迎え入れてくれたブラジルとブラジル国民に感謝の念を捧げたい」と言って取材を結んだ。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)
*主な公職と表彰・ノロエステ連合日伯文化協会会長を2006-15年まで10年間務める、アラサツーバ日伯文化協会会長を09-13年まで4年間務める・元ノロエステ日語普及会会長・元ノロエステ相撲連盟会長・12年に外務大臣賞を受賞・13年に旭日双光章を叙勲。

2018年1月9日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password