ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(82) 宮本 岩旺(いわお)㊦

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

輝かしい足跡誇る団体活動歴とボランティア
米国と並ぶ世界の大豆王国づくりに絶大な貢献

 ブラジルの大豆種子分野に72年から関わって46年目だが、宮本は種子業界の団体を手塩にかけて育ててきた。この種子に関するブラジルで最高権威者になった宮本の、現在までに辿ってきた業界団体の経歴と公職を紹介しよう。

 00年にサンパウロ総合大学(USP)でアグリビジネス経営・経済部門のMBA経営学士号を取得したかなり前からブラジル農業界発展の一翼を担ってきた。それは47歳から始まった。89年から92年まではパラナ農業協会事務局長、94年には当時のイタマール・フランコ大統領からの招聘で連邦供給公社(CONAB)農業政策企画局長に就任、95年には同公社運営局長、95年はパラナ州種子・種苗生産者協会(APASEM)会長、97年・2001年・05年・08年と都合4期にわたりパラナ種子・種苗生産者協会(ABRASEM)会長を務めた。1998年から2002年までの4年間は農務大臣アグリビジネスに関する顧問委員会顧問、00年から02年までは再度パラナ州種子・種苗生産者協会(APASEM)会長として再任され2期務めた。02年から04年まではブラジル大豆生産者協会(APROSOJA)会長に就任、04年から06年は ラテンアメリカ種子生産者協会連盟(FELAS)会長に就任、06年にはセアラ州フォルタレーザ市で開催されたパン・アメリカ種子会議の議長を務める。08年はラテンアメリカ種子生産者協会連盟(FELAS)会長として2期目の就任、12年にはリオデジャネイロで開催された78か国が加盟する国際種子連盟主催の国際種子会議の議長を務めた。最近ではサンパウロ州産業連盟(FIESP)のアグリビジネス最高評議会(CONSAG)評議員も務めた。

 こうした宮本の経歴を見ると、ブラジル政府からも、パラナ州政府からも、国内や国際的な業界団体からも、そして産業界の団体からも、宮本が如何に頼りにされてきたか、ブラジル大豆種子分野の頂点に宮本がいたことがよくわかる。190万人といわれるブラジル日系人の中でも、こうした経験をしてきた人物は極めて数少ないと思われる。大豆王国ブラジルの発展とともに生きてきた歴史の生き証人の1人が宮本だ、と改めて実感する。

 同時に北パラナ日系社会におけるボランティア活動でも節目節目で際立った貢献をしてきた。1988年のブラジル日本移民80周年の記念式典では、主催者代表の1人として秋篠宮文仁親王殿下をお迎えした。この時は記念展示会の実行委員会委員長を務めた。98年の同90周年の記念式典ではパラナ州式典統括役員を務めた。2008年のブラジル日本移民100周年の記念式典ではロンドリーナ市実行委員会統轄役員を務めて、浩宮徳仁殿下をお迎えした。
 北パラナ日系人社会を代表する1人になっている。

 さらに日本との関係でも宮本のお膝元であるロンドリーナ市と兵庫県西宮市とは姉妹都市を結んで交流しているが、宮本はロンドリーナ側の会長を務めている。

 こうしたことでも分かるように、リーダーの心得をもって、世のために尽くす、人のために尽くすこと、の人生哲学を教えてくれた熊本県阿蘇市出身の父・隆と母・初子夫妻の長男として7人兄弟の4番目として、パラナ州マリアウヴァ市で生まれた。両親は37年に長女を連れてブラジルに移住し、モジアナ線のクラヴィンニョ植民地に入植した。早くも4年後の41年には50ヘクタールの土地を購入し農作業に従事した。この間、宮本を含めて6人の子供が誕生し9人家族となった。49年7歳になった宮本は日本語学校に入学した。ロンドリーナに移転後も日本語の勉強は継続した。51年の9歳の時に隆が逝去。理由は数年前に相撲の取り組み中に頭を打った後遺症だった。54年からロンドリーナの清涼学園寄宿舎に入り本格的に日本語勉強に取り組んだ。中学時代は文武両道に優れ陸上競技や柔道などを得意とした。59―61年までサンパウロで高校課程を修了した。大学卒業まで家族は一致協力して事業を継続し、パラナ州内各地に農園を新規購入し続けた。

 大学を卒業した宮本は、68年に遺産として受け継いだ120ヘクタールのコーヒー園運営のためにマリンガに戻った。70年にはブラジル政府の国内コーヒー園更新&近代化計画を利用して、霜害が少なくコーヒー栽培の最適地といわれた、サンパウロ州モジアナとフランカ地方にコーヒー園を購入した。栽培面積500ヘクタール、コーヒー樹150万本、精選コーヒーを1万5000袋収穫した。余談だがこの時に農業機械の大手であるジャクト農機が開発した、自動コーヒー収穫機を最初に購入し使用したのが宮本だった。

 そして72年にコチア産業組合で大豆と小麦の種子生産担当になって以降、「ブラジルはこれから穀物の時代になる。特に大豆が農業戦略の柱になっていく」と時代の流れを読み切った。これがコーヒー園経営から大豆と小麦種子の生産&販売へと軸足を転換させた最大の理由だった。

 このように人生でも経営でも公職でも、「常に、世のため、人のために尽くす」宮本の人生観は、9歳の時に病気で亡くなった父からの教えだ。宮本が7歳前後の幼年期に父が諭すようにこう言った。「岩旺、自分の人生は自分で決めていくこと、世のため人のために、役に立つ指導者人生を生きてほしい」。それ以来、76歳になった宮本がいまも少年期から貫いている一途邁進の道を歩む、輝きのある人生そのものがそこにあった。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

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