ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(83) 平上 文雄

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

300㌶でリンゴ栽培・サンジョアキンの発展支える
     和歌山県出身のリンゴ大王は個人で世界一の生産者

ヒラガミ農業商会 社長

 リンゴ生産量がブラジルでトップのサンタカタリーナ州。同州には個人のリンゴ生産量で世界一の規模を誇る、リンゴ大王の別称を持つ平上文雄が住んでいる。ヒラガミ農業商会のリンゴがどのくらいの生産量なのか、日本と比較してみよう。 リンゴの年間生産量1万3000トンは、都道府県別で比較すると秋田県の2万4500トンに次いで第7位にランクされる生産規模だ。またリンゴ栽培総面積は300haあり、6か所の栽培地で42万本のリンゴが植樹されている。果樹園で働く従業員は常時400人規模態勢。この面積は日本のリンゴ村がすっぽり入る大きさだ。またこの町には日系人のリンゴ栽培農家が創設したサンジョアキン・サンジョー農協があり年間生産量は5万5000トン、同様の比較をすると第1位の青森県、第2位長野県に続き第3位に相当する。
こうした大規模栽培のリンゴ農園があるサンジョアキンを訪れた日本人エッセイストは、「リンゴ農園はそのスケールの大きさに目を疑った。三つの山々にまたがって、見渡す限り延々と続くリンゴ畑は、サンパウロ州に見られるミカン農場や、コーヒー農場に匹敵するほどの壮大な景観を呈していた。日本最大のリンゴ産地である青森のリンゴ園を訪れたことはないが、1山すべてが1農家のリンゴ畑ということはないだろうと思う。種類は日本が原産の「フジ」であるが、日本のものより小型である。しかし、食べてみるとフジ種と変わらないくらい甘く、美味しかったことは少々驚きであった」とネット上で語り、日本とのリンゴ栽培の規模の違いに驚きつつ、果肉は日本のフジと同じという。平上のリンゴ栽培農場もまさにこれであり、このようなリンゴ栽培農園を6か所で運営している。

 サンパウロからサンタカタリーナ州の州都・フロリアノポリスまで南に向かって直線距離で700キロ、ここからサンジョアキンまで南西に向かい約200キロ、サンジョアキンは標高1350メートルの高地にある。ブラジルの夏でも朝晩はひんやりしており、国内では「雪の降る町」として有名な観光地になっている。この地に1974年から77年までにリンゴ栽培の営農移住地として、560ha(現在は1200ha)に44家族(現在は70家族)の日系人農家が3次にわたり集団入植した。理由はリンゴの国内需要はそれまで100%輸入に頼っていたが、ブラジル政府の国産化政策の下に、日系人が設立し当時南米最大規模であったコチア産業組合、JICA、この3者の連携のもとに、この地をブラジルのリンゴ栽培の拠点化にする国策プロジェクトがスタートしたのであった。いま日系人のリンゴ栽培農家だけでこの町(人口2万5000人)の70%の税収を収めているほど地域経済に貢献している。

 74年に移住した時からこの地にリンゴ栽培の人生を賭けた平上。サンジョアキンの土地は、山地で、土地も枯れ、石が至るところに転がっている地域だが、コチア産業組合の技師とリンゴ栽培に夢を託した農業者(平上と兄の博康など第1次移住者6名)が、リンゴ栽培の適地選びの作業を開始した。その結果、いまのサンジョアキンが適地として選定し、コチア産業組合に対してここでリンゴ栽培移住地の造成を進言した。栽培に当たり、後沢憲志博士(当時・長野県からのJICA派遣専門家)の強い信念で『ふじ種の栽培を基幹』とすると決定された。その理由はブラジルの広大な国土を考え、日持ちが長く、輸送中のダメージの少ない品種を選定した。平上は適地選定から現在までの入植地歴史を語れる数少ない1人になっている。リンゴの父と言われる後沢博士はこの地を『石は除ける、山は削れる、気候は人間の力では変えられぬ』(石碑が建っている)という、名文句を残してこの地を1大リンゴ栽培地に造成した。

 こうして74年から兄の博康とともにリンゴ栽培成功に向けた事業化の戦いが始まった。この時に肝っ玉母さんの母・秋子はこう言って励まし続けた。「『なにくそ根性』で何が何でも頑張って商売として成功させなさい」だった。平上が現在を築くことになった母からの最大の励ましだった。この言葉はいまも金科玉条になっている。苗木から収穫ができるまでの数年間はジャガイモの芋種づくりなどで食いつないだ。結果的にこれが結構いい収入になった。いま果樹園の栽培果実は、リンゴ42万本で300ha、ブドウ1万7000本で8ha、キューイ5800本で15ha、で栽培総面積は323haに達している。『世界に誇れる高品質の果物を生産する』ことを経営理念に、国内はサンパウロ、カンピーナス、べロ・オリゾンテなど、主に大都市圏で販売しているが、サンパウロ圏が国内市場の70%を占めている。トラックで毎日2台、多い日は15台で配送している。もちろんヨーロッパやアメリカにも輸出されている。日本と変わらない品質本位で育ったリンゴは、果肉、食感、サクサク感、十分な糖度、鮮度、見た目、色、艶、形、などが市場から受け入れられている。リンゴ栽培がここまで成功した理由については「経営理念に沿って不動の信念で一生懸命愛情をかけて育ててきた結果」という。

 リンゴ栽培の収益性についてある資料によると「ブラジルのリンゴ栽培が生み出す生産額は1キロ当たりUS$0・25。リンゴ栽培の単位面積あたりの収益は高く、1ha当たり30トン収穫するとして、5haの小農であっても1家族を養える。これが他の作物なら30haの耕地面積が必要となる」と書かれている。

 また関連事業としてワインの生産と販売も行っている。自社のブドウ畑から採れたワインだけを使用し、神社の鳥居マーク・ブランドの高級ワイン『HIRAGAMI』が国内外で販売されている。ヨーロッパのワインコンクールでも数々の賞を受賞している実力があり、在日ブラジル大使館でも公式の宴会用として出されている。

 ここで平上の人生を回顧してみよう。幼くして父と離別した平上は1949年に和歌山県田辺町で生まれた。物心ついた小学校3年生の9歳の時、ブラジルにいた叔父からの呼び寄せで、母、兄、妹の一家4人で移住した。58年のことだった。今年は移住60周年を迎える。最初の移住地は北パラナのウライだった。ここで母の秋子は2人の息子呼んでこういった。「博康と文雄、お前たち兄弟は父親がいない分、2人で手を取り合って心を1つして頑張ってほしい」と諭すように伝えた。平上は13歳から桃栽培を手伝って以来、果樹栽培に大きな関心と興味を持った。家族を助けるために、独立心が旺盛で、人に頼らず、進取性と探求心をもって、リーダーシップを発揮しながら、前へ前へと進んでいく文雄少年。実践自立の精神がこの時からすでに身に付いていた。その最初の仕事がサンパウロ郊外でいま桃の里として知られるマイリンケでの歩合制・桃栽培だった。これで収入を得て自分の農地を買うことができた。これがきっかけでコチア産業組合の組合員にもなれた。そして人生を変える瞬間がやってくる。先に書いた74年のサンジョアキンへの開拓入植だった。

 ここで平上の家族を紹介したい。夫人の静子(旧姓は平川)とは74年にサンジョアキンに開拓移住した年に結婚した。電気なし、水道なしなどないない尽くしの初期開拓移住者に近い生活も余儀なくされた。しかもこの高地は冬の寒さが特に厳しい。こうした環境下で静子は4人の子供を産み育てた。いまの13haある御殿のような自宅に比べて、移住当初の自宅は果樹園敷地内に、移民精神を忘れないために、ブラジル平上家の原点を忘れないために、いまもそのまま残してある。雪国のような煙突がある平屋建ての簡素な家だった。「新婚当初から静子は一言も愚痴を言わず、辛抱し、我慢して、4人の子供を育て上げてくれた。いまでも本当に頭が下がる」と平上。彼女との結婚理由を聞くと「移民3世できっちりした日本人家庭の日本文化で育ってきた。いまの日本人以上に日本人的で、明治時代を生きた女性堅気を持っている」と嫁選びの確かさに目を細めてこう語った。4人の子供は、長女はユミで既婚、次女はケイコで夫と子供3人、長男はヨシヒロ(84年から88年までサンパウロ州ポンペイヤ市にあるJACTO農機が運営していた全寮制のニシムラ農学校に入学し卒業)、3女はヒロコで既婚、となっている。いまブラジル平上文雄家は、親・子・孫、合わせて12人の大家族になっている。
 また創業当時から平上農業商会を共同経営していた兄の博康は、いまはサンパウロ郊外でゴルフ場のヴィスタ・ベルデ(カステロ・ブランコ街道51キロ)を経営している。

 「リンゴ大王」になったいま、平上の得意分野はリーダータイプでどこに行っても周囲を束ねる統率力だ。それだけ人間的な魅力があるということだろう。同時に経営者として人材の育成にも秀れている。人材を人財に変えていく器量と人徳は他の追随を許さない平上だけの独自の世界を持っている。

 ボランティアでも活躍している。サンタカタリーナ州日系団体連合会・第1理事を努め、ブラジルリンゴ生産者協会・融資担当理事職にある。

 趣味はオートバイのツーリングで既に南米大陸を5万キロ走破している。

 母・秋子の『なにくそ根性』が平上の意志と行動を導くように、自分自身の努力の結晶が大輪の花となって咲いている、公私ともに最も輝いている日系人経営者の1人だろう。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

コメント1

  • hosokawa,katsumasa Reply

    2018年03月16日 at 17:02

    菅野英明様 日系人経営者の連載、毎回興味深く拝見しております。MSS州Campo Grande市在住のサクマ タツヤ氏を紹介させて下さい。氏は大学教授で血液検査ラボを経営。ワイン愛好家としても知られる温厚な地方名士です。是非本シリーズに加えられることを切望します。
    因みに小生、30年程前にリオ在住時(彼はリオ連邦大学薬学修士課程生)に知己を得、成績表を見せてもらったことがありますが、ほとんど満点で驚いた記憶があります。

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