ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(84) 伊藤 悟 ㊤

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

養鶏一筋に64年、日産145万個の鶏卵を生産販売
工場化で生産を全自動化、品質一途で執念の経営

グランジャ・スマレー 社長 伊藤 悟

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(84) 伊藤 悟 ㊤

 同社は1965年にホンダブラジル社の主力工場もあるスマレー市(人口24万人、サンパウロから北へ117キロ)に創業して今年で53年目を迎える。以来、養鶏業一筋で生きてきた。取材の始めに伊藤に昨年再投資をしたがどのような成算があって決断したのかを聞いた。すると「手元資金は余裕があるので積極的に先行投資をしている、昨年は50ha(スマレー市内)の土地を買い、そこには新しい養鶏場を作る予定だ。これは当社産の卵の質がいいから売れ行き好調で供給が足りない、その現状に対応したものだ」と明快。これが養鶏200万羽を飼育する82歳になった伊藤社長の素顔である。

 

 また各鶏舎から鶏卵加工工場に卵を運ぶ自動式ベルトコンベアーの工事が現在始まっており、屋外間を結ぶその長さは300㍍(ベルト総延長で600㍍)あり、地上からの高さは6㍍あり、さながらミニモノレール路線の感じだった。従来型の養鶏場の概念を遥かに超えた製造業方式の工場生産システムの現実がそこにあった。それはまさに驚きだった。

 

 そこでまず同社の現状と概要を見てみよう。1日当たりの鶏卵生産個数は145万個。ブランド名は伊藤悟の名前からとった『SATOSHI』で、配送車や梱包するダンボール箱全てにこのブランド名が付いている。サンパウロ、ソロカバ、サンベルナルドなどサンパウロ大都市圏の中堅スーパーを中心に直接配達している。このために最大21トン積みの大型トラック3台を始め毎日25台の車が配送している。事業の柱は養鶏と発酵鶏糞肥料づくりでこの3カ所の敷地総面積は3840haと広大だ。養鶏羽数は200万羽で1舎当たり10万羽収容の近代的な成鶏舎25棟が建ち並ぶ。1舎当たりの建坪面積は日本の小中学校体育館の高さを含めて同程度と思えば分かり易い。育雛舎も一棟当たり12万羽で6棟あり、現在米国産のデカルブ種をもってきて120日間ほど育てる。

 ブラジルの養鶏業界の中でも、品質向上に賭ける伊藤の執念に支えられた生産設備の近代化と合理化及びコスト削減策は、業界のトップレベルといわれる。実際、鶏卵生産工場(養鶏舎)での産卵からから梱包まで完全自動化システムを実現させている。オランダ製、イタリア製、ドイツ製、日本製などの最新鋭かつ最先端技術の機械を導入し、養鶏舎もコンピュータの1元管理で、餌まき、糞収集、卵収集、通風、舎内温度調整、光線調整、空気清浄などが行われている。その後、鶏卵は各養鶏舎から養卵加工工場にベルトコンベアーで送られ、そのまま、洗浄、選別、消毒、乾燥などの自動工程を経て梱包箱につめられ、消費者販売に直結する各地域スーパーマーケットなどの配送先に搬送される。

 養鶏鳥は「世界中から鳥もいい品種を集めなければ本当にいい成績(品質本位による生産性の向上)は上がらない、そのためにアメリカ、オランダ、フランス、ドイツなどからいい品種の鳥を集めている」、といわば売れるための最良品質の原料調達に磨きをかけている。鶏卵が売れる理由は「新鮮、高品質な卵、配達が早い、に徹していることが販売の好調さに繋がっている」と自社商品の確かさに絶対的な自信をもっている。

 

 また「経営の現状は全ての面でうまくいっている」と経営者にとってはうらやましい発言も出る。「こんな手堅い経営をしている会社はないと思っている」「51か条の経営理念、リーダーシップ、全員参加、目標管理とともに、会計管理、人材育成、資金運用力には常に万全の手を打っている」「着実に1つ1つこつこつと積極的に積み上げてきたこと」「信用の積み上げ第一に生きてきた」と、伊藤の経営語録が続く。

 

 同時に胆力があり時代の流れを読み切れる先見性に優れた伊藤は、「一見は百聞にしかず」も家族経営のモットーで、経営参加している息子3人は、日本、アメリカ、ヨーロッパに随時出張しており、最新の生産機械やテクノロジーの導入など、時代の進化を先取りするような進取の精神で世界中から最先端の技術導入や経営ノウハウの収集に努めている。これもグランジャ・スマレー社の強さを倍加させている。

 

 最初の養鶏業との出会いは、伊藤が広島の高校を卒業し名古屋市の初生雛雄雌鑑別協会の鳥雛鑑別学校に入学した時から始まる。1954年18歳の時に中退してスマレーにあった叔父である伊藤群平が経営するグランジャ・イトウの呼び寄せで移住した。日本の雛鑑別技術は当時世界でも最高だった。最初の5年間は従兄弟の下で無我夢中になって養鶏場で働いた。その後、独立した65年まではカンピーナス分場の責任者となって養鶏に関する経営技術と管理技術を覚えた。そして59年から60年にかけて2度米国・ペンシルベニア州のランズルでアメリカン・チェック・セクシング協会傘下の孵化場で鑑別技術の向上に磨きをかけた。この間に当時、鶏の最高品種だった米国産ハイライン種を伊藤の働きでグランジャ・イトウが導入した。これがブラジルに養鶏革命をもたらした。鶏種の品質力が養鶏業を左右するという現実を知った瞬間だった。これが伊藤の歴史に残る手柄話だ。おかげで従兄弟は山本喜誉司賞を受賞したが、「64年にはブラジルで誰もが養卵業に進出した結果、卵の洪水と呼ばれるほどの供給過剰の時代になって値段が大暴落した」という。

 

 そして10年間の下働き時代と決別し、29歳になった65年に独立しグランジャ・スマレー社を創業した。12haの土地を買い鶏500羽の飼育から始めたのが第1歩だった。その後、80年代半ばからブラジルの超インフレ時代が始まった。大規模な養鶏業を行っていたイトウ、サイトウ、ミズモトなど日系人大手養鶏業者もバタバタと倒産し、90年代に入ると僅かの業者しか残っていなかった。その1社がグランジャ・スマレー社だった。伊藤は当時をこう語る。「80年代後半に入ってから資金繰りの悪化で当社も銀行から借金した。当時の借金は超インフレで雪だるま式に膨れ上がった。そこで新型ブルトーザーや自家用車など会社と自分の財産をすべて処分して数年かけて借金を完済した。しかしそれはもう苦労なんてものではなく血の小便もしましたよ。これで会社を潰さないで済んだ」。6カ所あった古い養鶏場も全部閉めて新しい土地を25アールケール買って完全自動の養鶏場を建設した。

 いわば第2の創業時代を迎えた同社は、息子達の成長とともに会社隆盛期に入っていく。「子供たち3人と従業員家族の協力があればこそ新しい養鶏場が出来上がった」としみじみ語る伊藤だった。同時に鶏舎は10万羽の鶏が入るように設計された。このため80万俵(1俵60㎏)が入る餌になるトウモロコシ貯蔵庫も作った。飼料生産もすべて自動化し毎日200トンを生産している。トウモロコシは近隣の農家から直接買い取り、同時に毎日出る鶏糞は120トン、これを乾燥し臭いの出ない発酵肥料にして農家に売っているが品質がいいと好評だ。(文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明=つづく)

2018年3月27日付け

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password