ブラジル日本移民110周年記念事業 USPの日本庭園修復

ブラジル日本移民110周年記念事業 USPの日本庭園修復
修復が終わった日本庭園

ブラジル・ニッポン移住者協会 1年かけて見違えるような庭園に

ブラジル日本移民110周年記念事業 USPの日本庭園修復
(サンパウロ大学総長に日本庭園 修復完了記念の「盾」を贈呈)日本庭園開園式の前日(6月28日)、ブラジル・ニッポン移住者協会は、サンパウロ大学総長ヴァハン・アゴピアン教授に日本庭園修復完了記念の「盾」を贈呈した。贈呈式には野口泰サンパウロ総領事が同席した。(写真提供=Lucí Júdice)

 6月29日、サンパウロ大学(USP)の植生研究院にある日本庭園の修復が完成し、開園式が行われた。ブラジル・ニッポン移住者協会(杓田美代子会長)がブラジル日本移民110周年記念事業として1年間を費やしたものだ。

開園式には約二百人 日本文化らしく工夫

 開園式には、サンパウロ大学都市市長のヘルメス・ファジェルスタン教授をはじめ大勢の教授、学生そして市民など約200人が参加し、新しくなった日本庭園を祝った。

 最初に、大本本部の秋山昌廣氏と藤井剛三氏による神式での開園式が厳かに行われた。続いて、ブラジル邦楽協会の山岡秋雄副会長による尺八を吹奏し日本文化の粋を披露した。曲目は、新年などに吹奏する縁起の良い曲と言われる「雲井獅子」。元は、博多の一朝軒というお寺に伝承されて来た曲に、京都明暗寺の樋口対山という虚無僧が、前奏と後奏を加え、明暗寺の伝承曲としたもの。続いて、「六段の調」も演奏された。

 開園式が終了後、参加した人たちは、修復された日本庭園を観賞し、その素晴らしさを称賛していた。

半世紀前に完成 日系社会が寄贈

 この日本庭園は、コチア産業組合の初代理事長下元健吉氏がサンパウロ花卉同好会の初代会長も務め、同同好会がサンパウロ大学に寄贈したもの。下元氏は、第2次世界大戦後、日本移民が勝ち組負け組事件でブラジル社会になじまないのではないかと危惧が表面化し、ブラジル社会で「黄禍論」再び起こっていた。国会でも議論が沸き起こったことを憂慮した下元氏が、1967年USPに日本文化の象徴の一つである日本庭園を造成し、贈呈したものだった。開園式には来伯中だった当時の明仁皇太子、美智子妃殿下がテープ・カットされ話題となった。

36年間も放置 来歴さえ不明

 ところが、年月が経つうちに日系コロニアでもサンパウロ大学関係者の間でも日本庭園造成、寄贈などの経緯が忘れられ、手入れする人もなく忘れ去られていた。

 2003年、戦後移住50周年式典を挙行しようと立ち上がった戦後移住者たちが戦後移住50周年祭典委員会を設立し、記念事業として桜とイペーの植樹運動を展開した。その運動拠点の一つとなったサンパウロ大学で委員会が活動中に目に飛びこんできたのが荒れ放題になっていた日本庭園だった。

 当時委員長だった中沢宏一氏は、思わず伸び放題になっていたツツジにはさみを入れたところ、大学の職員が「何をするのか」と押し問答になった。中沢氏は、日本庭園の樹木の剪定の必要性を説くと同時に日本庭園の来歴を大学職員に尋ねたが、わからないままだった。このため、中沢氏が調べたところ、前出のように日系コロニアとの関わりが判明した。

 同委員会は早速、日本庭園の修復を手掛け、蘇った日本庭園の盛大な再贈呈式を行った。

反対意見も多く それでも初志貫徹

 同委員会はその後、ブラジル・ニッポン移住者協会と改称し、杓田会長は、昨年、ブラジル日本移民110周年の記念事業を模索していた。そこで思いついたのが、15年前に行った日本庭園の修復だった。明仁皇太子、美智子妃殿下がテープ・カットして半世紀という大きな節目になる。大義名分は揃っていた。だが、スタートは順風満帆ではなかった。

 日本庭園は継続管理しなければ、日本庭園としての価値が失われる。それを危惧する声が強く、加えて、資金調達が難しいことから反対意見が多かった。それでも、杓田会長は持論を曲げなかった。「一人でもやり遂げる覚悟でした」と語る杓田会長。「捨てる神あれば拾う神あり」。反対ばかりではなかった。「棟門」をコチア青年ヴァルゼン・グランデ有志が寄贈してくれた。昨年6月から「趣意書」「協力願い」を作成し資金集めに回り、修復工事にも足しげく通った。開園式を終わってみれば、何とかかんとか赤字にならずに済んだ。「大変な1年でした。でも、終わったわけではありません。これからです」と休む暇はない。

 付記…サンパウロ大学のサイトに日本庭園の詳しい情報が掲載されています。

 www.culturajaponesa.com.br ou www.puspc.usp.br/jardim-japones

 日本庭園の所在地:Rua do Matão ,277 Universidade de São Paulo

 平日 午後5時までは出入り自由で、直接、日本庭園まで行かれます。

 USPの案内所(正門の向かいに位置)で講内の地図を受け取れます。

心温かい協力 「棟門」上棟式

ブラジル日本移民110周年記念事業 USPの日本庭園修復
上棟式に出席した人たち

 ヴァルゼン・グランデ在住のコチア青年の西川忠雄氏が材料を提供、指物大工のイヴァン・ロジェリオ・デ・オリベイラ氏が建設にあたり、ヴァルゼン・グランデ地方人たちの協力、4月5日に、棟門の上棟式が行われた。

 上棟式の司会は、コチア青年子弟で弁護士の古藤ウイルソン氏が務め、大本教の導師、藤井剛三氏が神式で取り仕切って100人を超える列席者全員が「しきび」を奉納した。

 野口泰サンパウロ日本国総領事、サンパウロ大学関係者との折衝に尽力した渡辺一誠教授、サンパウロ大学都市市長ヘルメス・ファジェルスタン教授が祝辞を述べた。続いて、植生研究院の教授のグレゴリオ・セカンチーニ氏から、ブラジル・ニッポン移住者協会の杓田美代子会長に謝辞が述べられ、花束が贈呈された。

 乾杯の音頭を取った西川忠雄氏は、同協会が行った修復事業を称賛した。

 同協会は野口総領事、渡辺教授、グレゴリオ教授、ピラニ教授、西川氏、イヴァン氏に協力に対するお礼に花鉢が贈呈され、参列者に軽食が提供され、庭園内を散策しながら、交流を深めた。

庭師、吉田欣司氏に追悼の言葉

 サンパウロ大学の日本庭園修復事業を手掛けることを決定し、南米開発青年隊出身で庭師の吉田欣司氏と1年間の修復事業の契約を交わした。50年前に造園され、2003年に40日間の期間で修復されただけで、その後、日本庭園としての手入れはされないままだった為、庭木が伸び放題で、まるで雑木林のような状態だった。さらに、庭石も汚れ放題、池も水漏れがひどかった。

 吉田氏は庭石を一つずつ、泥をこそげ落とし、庭木の細かい枝も丁寧に鋏を入れ、真剣に取り組んだ。池の修復は子息が主に担当し、順調に仕事も進んでいた。

 ところが、吉田さんは3月30日 急性心不全で突然、亡くなった。子息の大希知氏が、残された従業員、アドナイ氏と6月末に間に合う様に作業を行い、予定通り完成した。吉田さんは、子息の仕事振りを空から見守って、今頃は、安心されていることだろう。

 吉田さんは、庭園内に創設当初に植えられた日本松が、現存しているのが1本だったことから、日本松を植えることを提案した。これに対してヴァルゼン・グランデ在住のコチア青年の肥後英樹氏が5本提供し、さらに、コチア青年の相談役の村田重幸氏が「這い松」を1本提供して、日本庭園が一層際立つようになった。

ごあいさつ=ブラジル日本移民110周年記念事業

2018年7月19日付

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