ブラジル最初の邦人殖民地④ 「夢の跡」と化した桂植民地

ブラジル最初の邦人殖民地④ 「夢の跡」と化した桂植民地
吉見さんの祖父母が住んでいた跡地
ブラジル最初の邦人殖民地④ 「夢の跡」と化した桂植民地
約10年ぶりに桂植民地に入った吉見さん

 吉見イゾさんに聞くと、同地が「桂植民地」跡で、イゾさんの祖父母や母親が住んでいた場所だという。

 ボートのエンジンを切り、住んでいる現地のブラジル人の許可を得て、上陸する。イゾさんも10年ほど前に一度来たきりで、久しぶりの訪問となった。

 上陸すると、植民地跡には水牛が群れていた。現地のブラジル人が放し飼いにしているそうだ。

 リベイラ川沿いのぬかるんだ道を歩くと、かつての住居が見えてきた。屋根はなく、壁には苔(こけ)が生え、家の周辺には草木が生い茂っている。

 家の内部に入ってみると、台所と洗面所らしき跡があり、台所には薪で火を点けていたと見られるレンガの台が置いてあった。

 イゾさんの案内で、家のさらに奥にあったというピンガ小屋へと行ってみるが、石の土台と柱があるだけで、その面影はすでにない。リベイラ川の毎日の満ち干(ひ)きで、それらの石の土台も浸食されており、「ここも、いつまであるかは分からない」とイゾさんは複雑な表情を浮かべていた。

 イゾさんが母親のハツエさんから伝え聞いた話によると、植民地での生活は厳しかったものの、果物や野菜類はよくでき食べ物には困らなかったという。また、ホバーロ(スズキ)やマンジューバも当時からよく獲れ、「マンジューバはペネイラ(コーヒー選別用の丸い金網)で獲れるほど多かった」(イゾさん)そうだ。

ブラジル最初の邦人殖民地④ 「夢の跡」と化した桂植民地
現存する唯一の元精米所

 再び家屋跡に戻ると、その周辺には古びたレンガが山積みされ、かつて祖父母や母親たちが植えたであろう柿の木があり、直径5センチほどの実が3個ほど成っているのが見えた。

 同地を離れ、リベイラ川をさらに遡(さかのぼ)った場所にある元の「精米所」を見に行くという。

 住居跡からボートで10分ほど行くと、赤いレンガの建物が見えてきた。

 同地に住むブラジル人のロジェリオさん(33)にあいさつして上陸させてもらう。思わぬ「珍客」の訪問に、子供たちが目を丸くして我々の後をついてくる。

 ロジェリオさんによると、元精米所の建物は現在、農機具などを入れる倉庫として使用しており、サンパウロ州の文化財に指定されているため、むやみに手を加えられないという。そのため、精米所時代からのレンガがむき出しとなっており、正面のドーム型の入り口も当時のままだ。

 倉庫(元精米所)の中を抜けて向こう側に出ると、約50メートル前方に鬱蒼(うっそう)とした林が広がっていた。その林の奥にはかつて、桂植民地の子供たちが通った学校や会館もあったというが、現在は樹木以外は何もなく、倉庫がかつての精米所として現存している唯一の建物だそうだ。

 イゾさんの母親のハツエさんは、桂植民地の自宅から学校まで日によって徒歩や、川からカヌーを漕いで通ったこともあったとイゾさんが教えてくれた。桂植民地で暮らしていた日本人の家々は現在、すべて崩れ落ちたような状態で、その子弟たちも誰一人として住んでいない。

 桂植民地跡を訪問しながら「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」という松尾芭蕉の俳句が頭をよぎった。(つづく、松本浩治記者)

2017年3月15日付

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