プロミッソン入植100周年に向けて 日系2団体の統合を視野に

プロミッソン入植100周年に向けて 日系2団体の統合を視野に
前田ファビオ実行委員長。上塚周平公園内の「開拓十周年記念塔」前で

皇族のご来訪も期待大きく

 1918年3月、上塚周平氏らがサンパウロ州ノロエステ線エイトール・レグルー駅(現プロミッソン)南方5キロの1400アルケールの土地を10アルケールずつに区画して、イタコロミー植民地(通称・上塚周平植民地)を建設した。ブラジル日本移民110周年の節目となる来年、当地ではプロミッソン入植100周年記念祭が一緒に開催される見通しだ。同記念祭の実行委員長を務める前田ファビオ氏(3世)が「これから具体的な話し合いに入る」と前置きし、入植祭の構想を語った。

 2008年にノロエステ連合日伯文化協会が発行した『ノロエステ記念史』によると、18年の入植以降、順調に入植者は増え続け、23年の調査で、上塚植民地の土地所有者は247家族、契約者134家族で、同植民地付近在住家族は計406を数えたという。所有土地面積2933アルケール、コーヒー樹総数299万5620株を有し、当時のブラジル国内の邦人所有樹数の3分の1に相当したとあり、当地はブラジル日本移民初期の一大邦人居住地の体を成した。

 33年の調査では、プロミッソン町近郊も合わせた大プロミッソンには1362家族が暮らし、全盛期を迎えたとある。

 当地の日系社会の歴史において特筆すべきは、入植50周年を向かえた68年のこと。上塚氏の友人である菊池恵次郎氏から、上塚氏の「事務所(旧家)」の土地の管理を委任された間崎三三一(まざき・ささいち)氏が土地をブラジル人に売却していたことに加え、上塚周平公園内の「開拓十周年記念塔」をプロミッソンの町に移すと言い出したことを引き金に、当地のコロニアは二分した。

 戦後期には勝ち負け抗争による思想の違いの影響があった他、当地の関係者によると、ブラジル日本移民100周年を迎えた2008年にも世代間や運営面において軋轢(あつれき)が表面化したようで、現在もプロミッソン日伯文化体育協会(岡地建宣会長)とプロミッソン日系文化運動連盟(吉田マサヒロ会長)の2団体に分かれたままだ。

 「2つの団体があるが、(プロミッソン100周年の入植祭では)1つの法被(はっぴ)を着る」と前田実行委員長は構想を語る。

 同実行委員長は、「これから2つの団体とプロミッソン市の3つで会議を行い、具体的な話し合いに入る」と前置きし、自らのアイディアを話した。

 会場は当地のブラジル日本移民の記念塔や記念碑が残る上塚周平公園を予定。「会場を2つに分けて、片方では和太鼓や着物、弓場農場のバレエといった日本の伝統的なもの、もう一方ではアニメやコスプレといった新しい日本の姿を披露する」と語った。

 ノロエステ連合会(安永信一会長)が毎年行う盆踊りを入植祭後に夕方から同所で行うことや、花火なども構想していて、「若い人も非日系も集めなくてはいけない」と狙いを語った。

 また、「皇族がいらっしゃれば、全てを止めて、日伯両国旗でお出迎えする」と、ご来訪への期待をにじませた。「皇室の方がいらっしゃるかどうか、それが週末かどうかも重要」と話し、平日の場合は、同市に要請して休日にすることも検討しているという。

 当地の日系2団体の統合に関しては、「(この式典が上手くいけば、)終了後に統合できると思う」と断定的な表現は避けたものの、当地に新たな歴史が刻まれる可能性を示唆(しさ)していた。

2017年9月12日付

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